ひとりがふたりになる話 弐

 桃ってのは退魔の力があって、この酒には妖気さえ弾く力があるんだと。
 そんな話を聞いて目覚めてみれば、人間の自分と妖怪の自分、二人で一人の自分たちが見事二つの個体として分離していた。妖気を弾く――その言葉通り、退魔の酒を含んだリクオはその体の内より妖気の塊……つまり妖怪である自身が弾かれて出てきたとか。目覚める直前に感じた静電気のようなものはその前兆で、体が気持ち悦くなる云々はさておき体の変調を尋ねたのも、このように内なる妖気を切り離す手法は幾つか前例があると聞いていたとは言え、本来の使用法とは異なっているから心配だったのだと。

 しかし全ては杞憂であり、特に問題が起きることもなく体は無事、二つに分かれたというわけだ。……正確には、人の体と妖気、と言うべきなのだが。
 弾かれた妖気は純粋な力と同じ。そこに妖怪の、夜の自分と言う自我が付随しているという状態で、厳密には器では無い。それをここまで触れられる形にしているのは偏に妖気で形作っているだけで、夜に言わせてみればあの夢現の世界と同じようなことをしているだけなのだから造作も無いらしい。
 ただ一つ違うのは、真夜中ならともかく昼間の世界では妖気が薄く安定しづらいとのことだ。ならば昼間、大人しくしておいて、夜中に出掛ければ良いというのに。気を遣ってかはたまた予定のうちなのか、起きて間もない頃は抱きついてごろごろと布団の中で惰眠を貪っておきながら、陽が高く昇るようになると、でぇとだ、でぇと、とはしゃぎ出すので、ついつい水を差すのを憚られた。一体誰が出来るだろうか、自分と出掛けることをこんなに喜んでくれる恋人に。でも、どこに行こうか? と、そう問い掛ける昼に、夜はにっと笑って言った。
 昼、遠野に行こう、と。

 遠野? またもや首を傾げる昼に、そう、遠野、と応えて夜の髪がさらりと肩を滑った。一瞬で変わったその姿に……所謂、攻めの畏れと称したその姿に、驚いて目を丸くすると、この姿じゃねぇとイタクに怒られっからな、と肩を竦めた。どうやら行き先が遠野と言うのは既に決定事項らしい。一応、念のため、まさか走って行くとか言わないよね? と口にした言葉にギクリと体を強張らせた片割れは、そのまさかを実行する気であったのだろう。はぁ、と小さく溜息を吐いて、電車でだよ、と約束を取りつけると、項垂れた頭をよしよしと撫でた。何故だろうか、自分たち人間と妖怪の性格が違うように、姿、畏れが変わればその中身も僅かに変わるというか、守りの形では誰かのためにと回していた畏れも、攻めの形にすることで全ての自分のものとし表情豊かに表すことが出来ると言うか。素直だなぁ、と思う。可愛いとも。
 普段から寡黙で何考えてるのか分からないと言った顔をして不敵に笑う姿も好きだが、こうやってくるくると表情が変わり、一喜一憂を見せてくれる姿も好きなのだ。大人しくさらさらと腰まで流れる絹糸はなめらかで、ずっと指で梳いていたくなる。でも電車で行くと約束してしまったから、早く用意しないと遠野に着くのが夕方、なんてことになってしまう。どうせ、遠野まで行くのだから問答無用で泊りがけなのだろうけど。勝手に押しかけてイタクまた怒るよなぁ、とか、何だかんだ言って気の良い遠野側も泊めてくれるんだろうなぁ、とか、あぁ、明日も休みで良かった、なんて思いながら準備をして。二人となったというだけでも信じられない話であると言うのに、夜の姿と言えばまた普段とは違うそれなわけで、二重に驚く屋敷の者たちを横目に二人でそっと屋敷を出たのが数時間前の話。

 それから、例の酒を手に入れるためか少しばかり夜更かしをした夜がうとうとするのを傍らで見ていたのが数十分前。デートなのに君、眠っちゃってどうするの、と思いもしたが、あの世界でさえ滅多に見られない姿なので許すことにした。ぷにぷにと頬をつつけば、時折眉が寄って面白かったし、途中から肩に寄り掛かってきた重みは温かくてちょっぴりしあわせを感じた。……あぁ、本当に二人なんだな、って。
 そして横抱きに……世間ではお姫様抱っこなんて呼ばれる抱き方で空を飛んでいたのが数分前。向かうは遠野、妖の隠れ里。人の足で辿りつけるところではないと分かっているものの、はい、そうですかとすんなり受け入れられる格好でもなく、というよりこんな風に運ばれること自体ほとんど無いのだから暴れたくもなる。ただ暴れたいのだが、高い梢の上をぴょんぴょん飛んで行くのでそんな危ないことしようものなら命に関わる。妖怪ならばいざ知らず、人間の身としては少々どころではない高さもあって思わずぎゅっと首に腕を回してしがみつくと、くっくっと笑われた。絶対、わざとだろ、君。

 しかし、そんなことを言おうものなら舌を噛みそうになるので、代わりにすり、と胸元に頬を寄せれば、とくん、とくんと一定の音を刻む心拍が少しだけ早くなる気がした。飛ぶ速度が速くなったと思うのは気のせいにしておく。
 で、めぼしいところまで辿りつき、畏れを蹴破ろうとして、その寸前で止められたのが数秒前……つまり今へと続く。

「……なんで『客人』として呼んだお前が、盗賊みてぇに乗り込もうとしてんだ」

 ぴたり、と上げた足を止めて、二人顔を見合わせくるりと振り向けば、そこには予想通りの相手――イタクが呆れたように立っていた。昼の時間なのでイタチの姿で。ちょいちょいと夜に下ろしてと頼んで、(不承不承ながらに)下ろしてもらうと、 視線を合わせるよう腰を屈めて久しぶりだね、イタク、と声掛ける。するとイタクは、まずこちらをじーっと見て、それから夜の方も同じくじーっと見て、本当に分かれたんだな、とぽつりと言葉を洩らした。

「――あぁ、この通り無事にな。いいもん分けてもらった。ありがとな」
「……?」

 はて、客人と言い、分けてもらったと言い、一体何のことかと昼が首を傾げている間に、話は進む。あれはこちらが譲り渡したんじゃなくて、お前がぬらりくらりと誤魔化してちょろまかしたんだろうが、とイタクが(おそらくイタチの姿なので断定出来ないが)苦虫を噛み潰したような顔をすれば、そうだったか? なんて夜が飄々と返して。赤河童様が頷かれなければ、あんな秘蔵の酒、誰がお前に譲るか、と言えば、本当、気前の良い爺さんだよな、と笑って。爺さんじゃなく、赤河童様と呼べと何度言ったら分かるんだ……! と、何のかんのと繰り返す二人の応酬に昼はなんとなく事情を察した。
 つまり、あの桃の酒は(イタクの言い分が正しいとすると)ここ遠野で夜がぼったくって来たものなのだろう。それも遠野の長まで巻きこんで。あまりの申し訳無さに、ごめんね、と謝ればイタクはフン、と鼻を鳴らす。

「……赤河童様が良いとおっしゃったんだから、これ以上は言わねぇが……効果は長くても三日、あとは知らねぇからな」
「分かってる。今夜、保つだけでもありがてぇくらいだ」
「今夜はな。目に焼きつけて帰れよ。あんだけ持ってかれたんだ、意趣返しくらいさせてもらわんと気が済まん」
「もちろん、そのために来たんだからよ」
「…………えーっと…あのー、二人とも? 今夜、遠野で何かあるの?」

 イタクの口調からして今夜、何か見られるということらしいのだが、そんな話、夜から一切聞いてない。何があるの? と問い掛ける昼に、なんだ、何も話してないのか、とイタクは夜を睥睨する。睨まれようとも相変わらずの夜は、これまた変わらずぬらりくらりと、秘密の方が感動もひとしおだろ? なんて言ってのけ教えてくれる気配が微塵もない上に、イタクも……それもそうだな、と言うのだから昼は唇を尖らせる。二人だけ知ってるなんてずるいよと。そう言う昼に、イタクは肩を竦めた。

「年に一度の宴だ。……そうだな、お前たちはその客人で…半ばこいつが言質取っていったようなもんだが」
「人聞き悪いこと言うなよ、イタク。元々はあの爺さんが誘ってくれたようなもんだろ? それに昼もそう怒るなって。どうせあと数時間もすれば分かることなんだしよ」

 そう言って後ろから子どものように抱きついてきた夜に、君ねぇ……、と呆れつつも、分かったよ、楽しみにしてる、と口にすればあぁ、とどこか嬉しそうなイタクの声が返って来る。もしかしたら遠野勢にとって誇るべきものなのかもしれない。
 何だろうなぁ、と頭を巡らせていると、そうだった、と思い出したようにイタクは腰に付けていた巾着袋を取り出した。中から手に出したのは片手で乗るくらいの小さな白い箱。ご丁寧に可愛らしい赤のリボンまで付けられたそれを、イタクは躊躇いなく放り投げると、夜は慌てて受け取った。

「もっと優しく扱ってくれよ」
「知るか。里のもん、片っぱしから丸め込みやがって。伝言だ……くすみが気になるようなら、いつでも持って来い。また磨いてやる……だとよ」

 銀なんかにするからだ、と言い捨ててイタクはザッ、と音を立て高い枝の上へと飛び乗った。用は済んだぞ、とでも言いたげなイタクににやりと笑って、良いじゃねぇか、手入れする度に思い出せるだろ? と口にすれば、フン、とまた鼻を鳴らし、バッカでねーの、勝手に言ってろとくるりと背を向ける。

「……そうだ、お前ら…というか夜の方、客人らしく今日くらいは大人しくしてろよ。宴の準備でオレらは忙しいんだ。変なことで手間取らすなよ」
「ひでぇなぁ、普段からオレが迷惑掛けてるみてぇじゃねぇか」
「違うのか?」
「はは、容赦ねぇなイタクは。心配すんなって、ちゃんと昼と二人っきりで大人しくしてるさ。店の方は開いてんだろ?」
「……あぁ。それとそこの畏れは蹴破らんでも客人くらい判別して通す。それがこの里の畏れというものだ」

 まさか、里の者がここを出る度に一々蹴破ってるとでも思ってんのか、と呆れた言葉に少し遠い目をしていやはやごもっともです、と言いたくなるような、そうなの……? と疑問に思いたくなるような。こちらから遠野を訪れるのは片手で足りる程とは言え、初めて聞いた話だ。これで、ただの人の子が迷い込めばいつまで経っても同じところをぐるぐると回る、決して辿りつけない秘境となるのだから何とも不思議な話である。……まぁ、それ故に里全体が畏れと成り得ているのだろうが。
 それに、と言葉を切り、イタクは肩越しに夜の方を見て、気を抜くなよ、口を開いた。……一歩踏み込めば、妖気溢れる里の中。特に、力の塊として器を持ってないお前は普段以上に容易く妖気を己のものとして操ることが出来るだろうが、逆に言えば歯止めも利きにくい、畏れを操る修行としては最適の条件だがそのことをゆめゆめ忘れるなよ、と。そう言い残して、風のように去っていく。

「……お客さんの世話係、なのかな? イタク……」

 それとも無闇やたらと里の畏れを蹴破られるのを防ぎに来たのか。忙しい中、わざわざ現れたイタクへ小首を傾げる昼に、頼んでた物届けに来てくれたんだろ、と夜が上機嫌に笑った。届け物……と、その言葉につられて夜の手のひらに乗る白い箱に目をやれば、夜は悪戯っこのように目を細め、詳しいことはゆっくりしてからでも遅くないだろ、と、すぐさま袖の中へと隠してしまい、次いでひょいと昼を抱き上げる。

「え、…っ…ちょっ……」
「陽が落ちるまでお邪魔虫はいねぇんだ。なら存分に楽しまねぇと、……なぁ、昼?」

 くく、と笑って一歩踏み入れる。抵抗無く入れた妖気渦巻く里の中……慣れない濃密な空気に一瞬、ひやりと肌を冷やすも、大丈夫だと言うように力込められる腕が安堵を呼び起こした。そしてトン、と地を蹴る軽い音。どこへ向かうとも告げず高く高く跳躍した夜に、昼はぎゅっとしがみつくのだった。

 

 

 ――君だけずるいよ。それは随分、前に言った言葉で……決して責めるようなものではなく、ちょっと拗ねたからかいの口調で零した言葉だった。『デカ盛り遠野スペシャルあんみつ』と銘打った名前の通りとても大きなあんみつ。身長の半分はあるんじゃないかと思わせる、もはやあんみつよりも巨大パフェに近いそれは、ここぞとばかり盛られており、一人じゃ食べきれないだろうなぁ、と目の前に昼はしみじみと思った。夜はぺろりと平らげてしまう勢いだったけど。……そう思い出して小さく笑みを浮かべる。ずるいよ、なんて言っておきながらすっかり忘れてた。ここ、甘味処に連れて来られるまでは。以前、昼が夜に言った言葉、羨ましいなんて呟いたそれを夜はちゃんと覚えていたらしい。

「それにしても、改めて見ると大きいねぇ」
「あぁ。味も最高だぜ? 一緒に食やぁ、より美味ぇ」

 かなりの大きさもあり手が届かないなら食わせてやろうか? なんて言って笑う夜は、ふと思い出したように、そうだそうだと袂に手を突っ込んだ。甘味よりもその前に。そう言って取り出されたのは例の白い箱……イタクに頼んで持ってきてもらったものらしいそれに。なぁに、それ、とぱちくり瞬く昼の手を掬い取り、夜はその手のひらの上へちょこんと乗せると、ぷれぜんとってやつだ、とそう答えて、昼の手を両手で包んだ。

「なぁ、昼。オレはお前のことが好きだ。体が一つだろうが二つだろうがそれは変わらねぇ。ずっとずっと好きだ。これまでも、これからも、ずっと」

 急に真面目な顔をしたかと思えば、まるで何かの誓いのように指先に唇が触れて。ぴくりと肩が震える。おもむろに顔を上げた夜がじっとこちらを見る。ピン、と空気が張り詰め、息を呑むほどの緊張感、けれどもそこでゆるりと甘く目を細め、唇が柔らかく弧を描く夜の表情に。かああと頬が赤く染まっていった。……見ずとも分かる、きっと今の自分は頬だけでなく耳も首筋までもが真っ赤に染まっているに違いない。
 この指先さえも白い箱とは対照的に赤く赤く染まっていて、気恥かしさと嬉しさとそれから巡る愛しさで心がいっぱいになる。あぁ、ボクもちゃんと伝えなくちゃ、と思う。

「……好き……ボクも君が好きだよ。ずっとずっと君に負けないくらい…好きなんだから……」

 初めて会った時から惹かれていた。これからだって夜以上に惹かれる相手なんて居ない。たどたどしくもそう口にすれば夜の目元はうっすらと紅を刷いて、照れ隠しのように落とされる唇に、くすぐったくて笑みが零れた。開けてみな、と夜が囁く。促され、赤いリボンの端を摘まんでしゅるりと解いて、箱の蓋を開けた。箱の中にはもう一つ白い箱。ただ、この箱の形を見る限り、中に何が入っているのか何となく分かった。いや、でもまさか……、と思うも、とくとくと早まる心臓の鼓動を抑えつつ、昼はその箱をゆっくりと開ける。パカリ、と開いた箱の中、その中には、

「……ゆび、わ…?」

 白銀に輝く二つの指輪。……所謂ペアリングと呼ばれるものがちょこんと並んで鎮座していた。それは特に目立った飾りなどは無いシンプルなデザインだが、流れるようなその形は美しく、華美を嫌う夜らしくて。そう、と頷き、小さい方の指輪を手に取ると昼の右手を掬い上げ、すっと薬指に通してぴたりと填まるのを確認する。夜がにっと笑った。

「体を共有してるってのは良いな。サイズを間違える心配がない」

 変化でもして新調してもらったのだろうか。楽しそうにそう言って、自分の分もと同じ右手の薬指に填める。同じくぴたりと填まる指輪。きらきらと輝くそれに、しばしまじまじと眺めていると不意に里に入る前の会話を思い出した。おそらくこの指輪のことを差しているのだろう……銀で出来た指輪。なるほど、それであの夜の応えか、と思いだしてまた昼の頬が赤く染まる。銀はくすみやすいのだ。放っておけばすぐに輝きが失われてしまう、繊細な金属。故に日頃から手入れした方が良いし、手入れする度にきっと自分は今日のことを思い出すだろう。

「…ずるいなぁ……」

 昼はぽつりと呟く。こうやって幾つも幾つも考えて己の術中に嵌める夜も、好きだと言いながら口だけでそれに全て応えられない自分も、二人になって渡してくれたその理由も、一つではなくてわざわざ二つ揃えてくれたその意味も、全部全部ずるいと思う。ずるくてずるくてもう離れることなんか出来なくなる。そうか、ずるいか、と夜は楽しそうに目を眇めた。

「ずるくもなるさ。なんたって、お前の心を手に入れるんだ。幾つも罠を仕掛けなきゃ、逃げられちまう」

 そう言って取り出されたのは一緒に収められていた長い鎖。首に掛ける形となっているがネックレスと呼ぶには少し長く、首筋に合わせられてもやはり服の下に隠れる長さのそれに、これは学校ってところのだ、とにやり夜の唇は弧を描いた。
 昼間通う学校……そこでは指輪を始め、必要のない装飾品を身に付けることは禁じられていて……まぁ、制服など所々、規則の緩いところも多々見受けられるが、指輪は見つけられ次第、確実に没収だろう。だから、と夜はささめく――見つからないよう身に付けていれば良いのだと。肌身離してくれるなと。あぁ、やはり用意周到だなと、昼はついつい笑ってしまう。

「……おかげで、ボクは君の罠に掛かりっぱなしだ」

 校則破っちゃうな……、なんてぼやけば、夜はとろりととろけそうな笑みを零して、ぎゅうと抱きしめ。元々が綺麗な顔であるのに、そんな笑みを見せられて、挙句の果てにちゅ、と唇に口付けられれば、これ以上無いほど動悸が速まったっても可笑しくはないだろう。本当、綺麗って罪だ。ふわりと掠める吐息を肌で感じて。場所も場所ながらそんなことを頭の隅に過らせつつ、……ほら、あんみつ食べよう! と気恥ずかしさに誤魔化せば、きょとりと目を丸くした夜がふっ、と笑って、分かった我慢すると大人しく離れた。……何とはなしに罪悪感を感じるがここで何を、などと下手に問うてはならない。そんなこと聞いてしまえば、すぐさま、教えてやろうか? と楽しそうに目を輝かせて実践してくれようから。それはさすがに不味いと、と大人しく口を噤んだままの昼に、それはそれで楽しそうにスプーンを手に取り、デカ盛りのあんみつを一掬いした夜は、ほら、と目の前に差し出した。食べろという意味なのか。素直にぱくりと口に含めば、途端、優しい甘さが舌の上に広がる。

「……美味しい」
「な?」

 ぽつり、と落とした言葉に、ここのあんみつは普通の白玉と抹茶味の白玉が入ってて、甘すぎずちょうど良いだろ?  なんて得意げに言ってみせる。白玉、みつ豆、求肥に餡子、果物、寒天、アイスに葛餅、それに黒蜜がたっぷりかけてあって。そこに抹茶やきな粉がほろりと合わさって。小鳥に餌を与えるように夜はあんみつを昼の小さな口へと運ぶ。君も食べなよ、と言えば、食わせてくれんなら、と悪戯げに笑った。もう、しょうがないなぁ、と変に我慢する甘党を前に、並べてあった自分のスプーンを取ろうとするも、そこで少し気になった。肩を滑って流れる髪。さすがに食べる時は邪魔だろうと思えば、スプーンではなく先程解いたリボンを手に取って、ちょっとじっとしててよ、とスプーン片手に瞬きを繰り返す夜へと抱き付いた。突然のことに驚いたのかぴたり、と止まる体。それを好都合とばかりに、するりと首に回した腕でざんばらな髪を背に流しリボンで括ると、用途が違うせいか少々緩い気もするが、なかなか上手く纏まった。

「はい、動いて良いよ。せっかく綺麗な髪なんだから、汚れないように、ね」
「……………昼は時々すげぇ照れること平気でやるよな」
「そう?」

 普段、夜が仕掛ける艶事に比べれば子どもの戯れと同じもので照れるとこなんてあったかなぁ、と不思議に思いつつも、今度こそスプーンを手にあんみつを一掬いした。ほら、夜も早く食べよう? と唇をつついて、開いたそこに差しこむ。反射的にもぐもぐと咀嚼し始めるその姿が何だか微笑ましくて次々とあんみつを掬っては、口へ運んだ。もぐもぐもぐもぐ。夢中になって黙々と食べる姿を可愛いなぁ、と思う。普段は切れ長の鋭い眼差しのそれが甘いものを口に放り込む度、柔らかくなるのがとても可愛くて仕方がない。年相応と言うか、感情豊かと言うか。ここは遠野で、隣にいるのは自分の片割れだけで。屋敷の者たち、配下の者たちは確かに信頼しているものの、やはりどこか主として見栄を張っていなければならなくて、ここまで気を緩めたりはしないから。だから、嬉しい。あの夢現の世界でも稀に甘えてくることはあったけど、現実だとやっぱり違う。夢なんかじゃない、自分が思い願った空想ではない。そんな確信が得られる。

 そんなしあわせとあんみつを夜と共にもぐもぐと咀嚼して、互いにほら、とあんみつの乗ったスプーンを銜えさせ、順調に量を減らしていく。途中からはアイスも入ってるせいか、どことなく寒さを感じていると夜はちょいちょいと手をこまねき、何かと思えば自分の合間へと抱き込んで、昼の背中をその胸に包むような形にして。と同時に左手同士、指を絡められて手を繋げられれば、(何故か自分より明らかにたくさんのあんみつを食べたはずなのに)温かいままの指とそれから密着した背からぽかぽかとした熱が分け与えられた。そして抱き人形によろしく、肩口から顔を覗かせてぱくぱくと残りのあんみつを食べる夜。よくぞそこまで入るなぁ、ともはや賞賛の域で、ふふ、と笑いを零せば、あむりと耳を甘噛みされた。

「…っ…こら!」
「―――あんみつも美味いが昼も食べたい」

 何言ってるの……! さっき我慢するって言ったでしょ…! という言葉はどこ吹く風で、どこかしこ口付けるものだから止めようにも止められず。耳朶に、頬に、こめかみに、上を向かせて額にも。最後はそのまま唇へと重なって、ぺろりと舐められ触れた舌は甘い甘い味がした。それからも口付けだけでなくスプーンを置いてどこそこ撫で回し始めた不埒な手を嗜め、今はダメ……! 後から、ね、と慌てて約束を結んで、ようよう押し留めることに成功したのだが、どうにも言質を取られただけのような気がしてならない。もちろんこうやって触れてくれるのは嫌ではない。嫌ではないのだが、今は場所が問題だった。
 ちらりと周囲を見て、内心溜息を吐く。……今更であるが店側、その他ちらほら見かけるお客たちが何も見なかったことにしてくれるのを願うばかりだ。御機嫌にまたあんみつを掬う夜。その腕を取って自らスプーンをぱくりと口にした。上に乗るものを舐め取って離したスプーンをしげしげと眺め、真似してぱくりと夜も銜える。そして、こういうのって間接キスって言うんだろ、なんて言って笑ってみせる夜に――照れるような呆れるようなそんな笑みを昼は浮かべるのだった。