ひとりがふたりになる話 壱

 はらり、はらりと薄紅色の花弁が舞う。幾つもの樹齢を重ねただろうしだれ桜は、少しばかり咲き誇る時期を過ぎてしまったというのに一向に葉桜になる気配はなく、それどころか依然として花咲き誇る美しさを魅せていた。綺麗だなぁ、と昼は柱に凭れつつ、大樹の目の前である濡れ縁へと腰掛けて、ぼんやりと眺める。散っても散っても地に増えぬそれは、決して枯れることのないその花は、夜――片割れである夜の自分と己自身が創った夢現の世界のものだった。常に闇夜に閉ざされた世界に唯一色を持つ桜、それは遠目ではうっすらと光を纏っているように見えるのに、実際手に取ると普通の花弁と大して変わらないというのだからとても不思議だ。悪戯に手を伸ばせば、花弁が何枚か指先を掠めて滑り落ちていく。そう言えば、花弁が落ちてしまう前に掴めたら願いが叶うと言っていたのは誰だっけ。ふふ、と笑いながらひらひらと落ちてくる花弁を追いかける。特に願い事なんて無かったが、良い暇つぶしくらいにはなる。

「――何してるんだい?」

 問い掛ける声につい、と桜の枝を見上げるといつもの大枝、定席であるそこで、いつの間に現れたのか夜がくすりと笑って、柔らかい眼差しでこちらを見ていた。何か、あるのかい? と首を傾げる男に、桜を、と口にして、そこで一度言葉を切った。夜がその手に片手に収まるくらいの、赤い紐で縊られた濃い飴色の瓢箪を持っているのを目にしたからだ。艶々としてなめらかなくびれを持つそれは、すぐに昼に酒という概念を呼び起こし、この世界にまで持ち込むなんて珍しいなぁ、と思う反面、今日外に出ていたのはそのせいか、とちょっとだけ素直に答えたくない気にさせてしまった。約束していた誰かと酒でも酌み交わしていたのだろうか。それとも美酒を貰いにわざわざ出向いたのか。どちらにしろ恋人である自分を放って置いて、ひどいなぁとほんの少しだけ拗ねてみせて、桜の花びらを捕まえようとしてただけだよ、と動かしかけていた唇はちょっぴり意地悪な言葉を紡いでしまう。

「……ひみつ。君には教えてあげないよ」
「へぇ、これはまた、」

 随分、ご機嫌斜めなお姫さんのようで。そうからりと笑う夜に、ボクはお姫さまじゃないよ、とむくれて反論するが、それはばさりと風に煽られる着物の音に掻き消されてしまった。夜が枝から飛び降りたのだ。肩に引っ掛けていた着物がひらひらと舞い踊るせいか、一瞬の出来事なのにゆっくりとした動きに見え、ついついぼうっと見惚れているとあっという間に距離を縮められ、柱に手を掛けられた。夜の体と柱に挟まれて、うっと息を呑めば、さらりと指で耳の横の髪を梳かれ、桜相手に妬いちまうだろ……? なんて囁かれる。それについ頬を赤く染めたって無理はないだろう。

「……君はずるい」
「ずるいか?」
「……うん、ずるい。これじゃあ、ボクばっかりが君のこと好きみたいだ」

 好きなんだけど不公平。やきもちを妬くけどこの余裕の差。自分ひとりがはしゃいで拗ねて一喜一憂してるみたい。そう口にしてしまえば、さぁてそれはどうだかな、と笑われ、ちゅ、と唇に口付けられ――そうすれば近付いた夜の口元からはほんのりと甘いお酒と桃の匂いが香る。触れるだけの口付けは離れる時もふわりと甘い香りを残して、くすぐったさを覚えた。しかし夜と言えば甘いものは好きだけど、果実酒などの甘い酒は嗜まなかった気がする。はて、どうしてか、と不思議がっていると、いい匂いだろ、とひょいと持っていた瓢箪を掲げた。

「ちょっとした〝つて〟で貰った貴重な桃の酒なんだが、甘ぇからお前の口にも合うだろうと思ってな」

 飲んでみねぇか? とそう言って、返事もしないうちにさっさと懐から出した盃を手渡すと、栓を開けて中身をとろりと注いでしまった。途端、噎せ返るくらいに漂う濃厚な桃の香とそれに混じる酒精の香。くらくらと眩暈がしそうになるも、せっかく注いでもらったことと、芳醇な甘い桃の香りに不思議と口にしてしまいたい衝動に駆られ、気付けば盃を持ち上げ、口に含んでいた。
 夜が貰ってきた酒なのだからおそらく強いものではあるだろうに、思ったよりもその口当たりは軽く、舌の上で広がるのは酒精よりも甘くて瑞々しい桃の柔らかな風味。喉を通るなめらかな感触に、美味しい、と一言洩らせば、そうか、と笑って夜は次々と酒を注いだ。まろやかな桃の風味は果汁をそのまま口にしているようで、酒という感覚はあまり無い。その分、盃は簡単に空になってしまうのだが、ほろりと酔いが回ってくれば、徐々にひとりで飲むのがつまらなくなる。

「……ね、君は飲まないの?」
「あぁ。もうあっち(現)で飲んできたからなぁ……それに、やっぱ甘ぇ酒ってのは何だかねぇ」
「……甘いもの好きなくせに、変なの。そう変わりはないでしょ?」
「つってもなぁ、やっぱ甘ぇもんと酒は別だろ?」

 肴にするならともかく、酒自体が甘ぇんじゃそう幾つも進みやしないさ、と肩を竦めて、あぁでも、とにやりと笑うと自分の額を昼のそれへとくっつけた。――そんなに言うなら甘味の方を貰おうか、と。え、と目を丸くする昼にそう言ってふるりと吐息が触れると、そのままそっと唇が重なって。
 ゆっくりと酒に濡れた唇を楽しむかのように何度も唇で啄ばみ、角度を変えて触れ合うだけの優しい口付け……それは情事の時とは違うお互いの愛情を確認するような可愛らしいもので。驚きに強張らせた体はすぐに柔らかく解けた。夜の首へと腕を回せばちゅ、ちゅ、とわざと音を立てて、まるで初々しい恋人の如く触れ合い、昼の中でもいっとう気に入る口付けとなる。欲よりも心が満たされる感覚。けれども今は所々で、はぁ、と洩らす甘い吐息に、酒も入った昼は少々物足りなさを感じて、ついつい大胆なことをしでかしたくなった。あむり、とひとつ噛み付くと、薄く唇を開き、ちろりと舌を覗かせ、夜の舌を誘い出して。据え膳食わぬは何とやら、とでも言うように躊躇いなく誘われてくれれば、夜の舌に自分のものを存分に絡め合わせて口付けを深いものへと変える。

「…んぅ…あ……」
「はっ…甘ぇ、な……」

 奪い合う唾液は甘く、浸る銘酊感。頭の中がジンと痺れていくような感覚に、酒精も手伝ってふわふわと浮遊感まで感じる。堪らなくなって夜にしがみつく腕に力を込めれば、腰を抱き留められ、もう片方では耳朶をくすぐられ、そろりと辿られる指先に昼の背はぞくりと震えた。きもちがいい。拗ねるのも、嬉しいのも、心地の良いのも全て夜の一挙一動に依存しているのは分かっているが、知れば離れることなんて出来やしない。この世界だけでの逢瀬。二人だけの秘密。それを寂しいと思わなくもないが、その寂しさを凌駕する喜びが確かにある。ちゅるり、と舌先同士で繋がる糸を舐め取って、最後にもう一度唇を重ねれば、甘い吐息を交らせ二人は満足気に微笑んだ。現実で無くとも触れられる。それだけで十分だ。ちゅ、とまたひとつ目元や頬に口付けられながら、そういや、と夜はふと思い出したように囁いた。

「――昼。お前の体、何か変わった感じはしねぇか? 変に体が熱くなったり、痺れたり、そういうの」
「………え? いや…ない、けど…」

 口付けの後、と言う意味でなら無いこともないが、とりわけ体が変に感じたりするはずもなく……どうして? と首を傾げれば、それはだなぁ、と呟いて、まるで羽で触れるかの如くするりと輪郭をなぞると、夜はそれはそれは悪い笑みを浮かべて言ってくれた。

「なけりゃあ、それで良いんだが……ちっとばかし気持ち悦くなる薬って聞いたんでねぇ」
「…ッッ!? ……ちょっ…!君、ねぇ…っ」

 何考えてるの……! と、昼がそう叫びたくなったのも致し方無いだろう。この世界での行動は結局のところ自分たちの心が創った世界の中でのことであり、夢とそう大差が無い。故に望めば何でも出来るだろうが、望まなければ何も変わらないのがこの世界のルール……しかし現実の体に実際に影響が出てしまえば、例えば風邪を引いたり、今のように知らぬ間に何かを仕込まれでもすれば自分が望もうと望まざろうとも強制的にこの世界でも影響が出てしまうものなのだ。憤る昼を余所に反省の色も無く、夜はつ、と指先で首筋を辿り、問い掛ける。本当に何も感じねぇのかい……? そう言って触れる指先は羽の如く肌をくすぐって。そのせいで、怒った言葉は、小言は、ことごとく口の中で消え去ってしまい、それどころか感じるはずのないところまでじわじわと熱を帯びていくような気がした。

 うそだ。さっきまで何とも無かったのに、急に体が反応するわけない。そう分かっているはずなのに、下っていく指に体はぴくりと跳ねてしまう。夜がじっとこちらを見つめているのも一つの理由なのかもしれない。……じっと見て、口端を上げて、本当に……? と艶のある低い声で耳朶を掠めるように尋ねるから、だから。洩れそうになる吐息を必死に詰めて、固く目を閉ざす。そうすれば耳元でくく、と小さな笑い声が聞こえた。

「―――冗談だ」
「~~~~~っっ!! きっ……み、ねぇ…!!」
「悪かったって。そう怒るなよ」

 悪ぃ、悪ぃ、とよしよし子どもをあやす手付きで頭を撫でられて、もう意地悪しねぇから、と額に口付けられればもはや言えることなんて無くなってしまって。じゃあ、何だって言うのさ、と頬を膨らまし、睨むように視線で問い掛ければ、そう悪いもんじゃねぇよ、と笑って答えた。

「桃ってのは元々、退魔の力を持ってるって話は聞いたことあるだろ?」
「まぁ、聞いたことくらいは……」
「で、だ。この酒はそんな桃の力を溶け込ませたって言やぁ良いのかねぇ……。とにかく妖気さえ弾くような代物なんだと」
「……へぇ」

 と相槌の如く頷いて、そこで、えぇ……!? と驚き、固まる。いやいやいや、妖気を弾くようなものって、そんなものを口にして君こそ大丈夫なの!? と慌ててぺたぺたと顔を触って確かめるも、もうしばらくは大丈夫だ、と逆にその手を取られ、ゆっくりと甲に唇を押し当てられた。急にされる恭しいくらいのその仕草に、昼はぴたりと動きを止める。しばらくとはどういう意味だ、とか、何のためにそんな危ないことをしたのか、とか問い質したいことはたくさんあるというのに、次に顔を上げた夜の艶やかな笑みで、そんなものは全部吹っ飛んでしまった。

「なぁ、昼。オレと『でぇと』ってやつをしてくれねぇかい?」
「…………デート?」
「そう、でぇと。ダメかい?」

 難しいことは考えなくていい、ただオレとでぇとに行ってくれるか、くれないか、それだけが聞きたいと。行けるとか行けないとかそういうものではなくて、もし行けるのならば、という前提の話で――時折、夜はそうやって夢物語みたいな話をする。叶うとか叶わないとか関係無い、ただの夢の話を。
 今回だってそうだ、デートなんて自分たちにとっては夢のまた夢で、きっと叶うことなんてないような話で。それでもどうする? と問い掛ける夜と一時の夢物語を語らうことは嫌いじゃなかった。喩えそれが叶おうと叶うまいと、想い人と同じ夢を見るというのはしあわせなことだと思っているから。

「デートかぁ、いいね……もちろん、ボクで良かったら喜んで」

 一緒に出掛けて、手なんか繋いで、それから二人で甘いものなんか食べて、ずっとずっと傍に居て……夢物語を脳裏に描いて、決まりきった答えを口にすれば、夜はそうか、と頷き、オレはお前が良いんだよ、と綺麗に笑って、唐突に掬っていた昼の小指に自分の小指を絡ませた。あっという間に出来上がった指きりの形。それにまじないを掛けるように、そうっと唇で触れると、ふっ、と吐息が掠める。

「――約束だからな」

 そう優しく愛おしげに紡がれる声にどくんと昼の心臓が跳ねた。まるでこの夢物語が夢では無いことを知っているような、そんな夜の言葉に期待をしてしまいそうになって、ねぇ、それってどういう意味? と、期待と疑問を込めて尋ねる前に、夜はすぐに結んだ小指を解いてしまった。しかも最後に触れた一瞬で、ぱちっ、と静電気のようなものが走って。びくりと肩を揺らせば、時間だよ、と夜が囁く。
 気付けば、すぅ、と自分の体が薄れて始めており、おそらく現の世界でも夜が明ける時間となっているのだろう。夜が笑う。けれどそれは、いつもの逢瀬の終わりとは違った、心底嬉楽しそうな、嬉しそうな笑みで。

「――でぇと、忘れんなよ?」

 その言葉を最後に、夢現の世界が消えた。それは昼の意識によって、ではなく、その存在ごと、丸ごとぽっかりと昼の中から抜け落ちる感覚に似ていたのだが、不思議と寂しいと言うよりは己の吐いた糸で作った繭を抱き留めるかのように、あったかいと思ったのだった。

 

 

 

 チチチ、と遠くで小鳥たちが鳴く。朝の眩い光を瞼越しに感じながら、昼はもぞりと布団の中で動いた。今日の布団はいつにも増して温かくずっと目を閉じてくるまっていたいそんな心地よさで。休日ということもあってか珍しく惰眠を貪りたくなった。太陽は既に顔を出していると言っても、きっとまだ早朝で、台所では誰かが起きて用意をしてくれているのかもしれないけれど、この辺りでは首無もつららも起こしに来るような気配は無い。だから大丈夫、もう少し、もう少し寝かせて欲しい……もう少ししたら起きるから。
 そう心の中で言い訳をしてごろりと軽く寝返りを打とうとして、ぴたりと温かい何かがくっついてる感覚に気が付いた。枕でも抱きしめて寝たのだろうか? 普段から寝相は良く、枕を抱いて寝るなどという習慣はないのだが、何せここは布団の中、それ以外考えられないのだから、そうなのだろう。うとうとと微睡みに沈む頭で特に深く考えることもなく、その温かいものへと頬を寄せる。さらさらとした布の感触は決して悪いものではなく、むしろなめらかで気持ちがいい。すりすりと何とはなしにすり寄っていると、何故か温かいものが応えるように背に触れて、なんだろう……、と夢うつつに思っていると急にぐい、と腰が引き寄せられた。先程よりもずっと熱が近くなる。
 ふわりと鼻先を掠めるのは懐かしいような、初めてのような何とも言えぬ香りで、思わずしがみつきたい衝動に駆られる。手を伸ばしても良いだろうか……いやダメな気がする。

 ここは自分の布団の中で、良いも悪いもあるはずはないのに、そんなことを半ば真剣に悩んだ。手を伸ばしたらなんだか消えてしまいそうな気がして、怖い。でも触れたくてうーん、と頭を悩ませていれば、そこでふと気が付いた――はて、自分は一体『何』に触れようとしているのか。よくよく考えれば、枕は自分の頭の下にちゃんとあって(そりゃそうだ、枕を抱いて寝るような癖、自分には無い)じゃあ、これは何? とひとり自問自答する。目の前にある、今、頬っぺたをくっつけている温かいものが枕でなければ一体何だと言うのか。
 ……ん、と洩れる寝言のような掠れた低い声。その声を聞いて、昼はすーっと血の気が下がった。ひと、だ……何がどうしてそうなっているのか分からないが、自分以外の誰かが同じ布団の中にいる。
 え、と一瞬、思考が停止した。どうしたらそんな状況に陥るのか必死に頭を巡らす。……そうすればひとつだけ思い当たる節があって、胸のうちで絶叫した。

(――っ、もしかしなくても、夜のボク、眠る前に部屋、間違えた……!?)

 それも男、青か黒か、はたまた首無か、ともかく背に添えられているものが誰かの手だとするならば、人型を取った者だろう。男同士なのだから同じ布団に寝てもそう問題は無いのだが、如何せん意外とやきもち焼きの片割れは、自分が部屋を間違えたとは言え、それを棚上げして大いなる誤解なり嫉妬なりをするような相手なのだ。寝惚けてたとは言え、自分からすり寄ってしまったこともある。あぁ、出来ることなら現実を見たくないな、と思わず逃避しそうになるが、事が大きくなる前に早く部屋に帰った方が良い。相手が誰であれ、面倒事にはなるのだ。気付かず誰かとずっと寝てましたなどと笑い話のタネになるなど真っ平御免である。昼はそぅっと、そぅっと目を開けた。寝起きの、視力の弱いぼやけた目をよく凝らして、相手の顔を盗み見る、と。

「…………………………………え……?」

 固まった。
 自分の見たものが信じられなくて、もう一度目を瞑り、深い深い深呼吸、そうして再び開けた視界でじっと見る。変わらない。変わるわけがない。しかし有り得るはずのない光景にこれは夢だと思うのもまた事実で……。だって、誰が信じられよう。自分たちは二人だけど一人なわけで、一つの体を共有しているわけで、つまり一緒の時間に現実の世界に現れることなど不可能なわけなのだから……。それがいる。目の前にいる。綺麗な顔をして自分を抱きしめながらすぅすぅと気持ち良さそうに寝息を立てる――夜が、いる。

「………………えええええええええ!?」

 驚くしかなかった。
 今、何が起こっているのか、何が起こったのか当然、昼には分かるはずがなくて。どうして夜がいるのか、どうして同じ時に存在しているのか、誰かの悪質な悪戯ではないのか……。疑問は深まるばかりなのに、どくんどくんと早鐘を打つ自身の中に、確かにもうひとりの存在を感じることは出来なくて、これが夢ではなく現実なのだと否応なく突き付けられる気がした。

「うそ……ほん、もの……?」

 ぽつりと昼は呟く。懐かしいようなこの香りも、じわりと沁み入るこのぬくもりも、腕の中の安心感も、みんなみんな本物、現実のもの……?
 堪らなくなって確認するように、するりと夜の頬を指で撫でれば、柔らかい肌はあの世界で感じていたものとよく似ていて、ふにふにと調子に乗って触っている内に……ん、とまた夜が吐息を洩らした。ただし今度はきっちりと意識が浮上したようで、ふるりと長い髪と同じ色の睫毛が震えると、そろりと白い瞼が持ち上がり、その下から覗いた紅い目は視点を定められないのかゆらゆらと揺れて。何度かぱちぱちと瞬きをして、ようやくこちらを見たかと思えば、ふにゃりととろけるような笑みを浮かべ、ぎゅっと抱きしめる腕に力を込められた。
 容赦ないその力に、ってちょっと、苦しい! 苦しいよ……! とそう小さく身を捩るも夜はぎゅうぎゅう抱き付いきて、あんまりにも暴れるせいかふぅ、と耳元に息を吹き掛けてくる。それにびくっと震え、硬直する体。そうすれば更にくっくっと笑う声がして、より一層、体を密着された。そうしてやくそく、と耳元で囁かれ、もう何が何だか分からないと言った風に涙目になる。分からない、分からない。分からないけどこれだけは分かった。分かったと言うか認めるしかなかった。――あぁ、もう認める、この有り得ない現実を信じてやる。

 どうやらボクたち、この通り…… 一人が二人になったようです。