異母兄弟パロ 参

 ざく、と貫く重い感触に手を滑らせないよう気を付けながら、ぐっと力を込める。鉄っぽい生臭い血の臭いに纏われながら斬り裂いた体は、切り口から血液や妖気を勢いよく噴き出し、屍と化した。初めの頃とは違い、飛び散る血液で身体に目立つ汚れを残すことは無い。身のこなしも裾の翻し方もここ数年で実践により自ずと学んだ。妖怪の本能にただ従うだけではココ、戦場では生き残れない。……少なくとも奴良組三代目候補として定められている夜のリクオには強さ以上の価値が求められた。幽玄なる畏れ。奴良組全ての妖怪を魅了出来るだけの畏れを纏わなければ、夜のリクオにはただただ死のみが待ち構えていた。己は所詮、あの子どもの身代わりでしかないのだ。――そうは理解はしているのだけども、そこに夜は哀切も絶望も感じていなかった。ただ諦観の念が心を締めるばかりだった。

 生かされている、それだけでも感謝しなくてはならない。己の母はかの子どもの父を殺めた。なのにそんな母の血を受け継いだ息子の自分にさえ子どもは、知らぬとは言え笑みを向けてくれる。それだけで十分だと夜のリクオは思っていた。夜のリクオが未だこの組に残るのは負い目と呵責、そして今もまだあどけない子どもの存在故。ただ傍にいたいと思った。自分を自分として見てくれるあの子どもの傍へと。光に寄せられる夜光虫のごとく引き寄せられる感覚はきっと誰にも分からないだろう。……昼は夜にとっての唯一の光だった。その昼の光を奪い生きている今、喩えいつか知られ恨まれようとも、傍にいるためには斬り合わなければならなかった。

 目端でひらり、と袂が揺れる。視線を寄こせば愚直にも目の前へと躍り出る妖怪に目を眇めながら、その切っ先が届く前にゆうらりと夜のリクオは消えた。そのことに妖怪が驚いて辺りを見回せば、すぐ真後ろで姿を現わした夜が揚々と祢々切丸を振り翳して。白銀に鈍く煌めく刃は簡単に柔らかい肉へと食い込み、続いて硬い骨の感触、それを一気に流れるようにして滑らせ一閃すれば、呆気ない程に離れた首が勢いのまま宙へと舞った。
 次いで隙有りと背後から巨大な爪を掲げ襲い掛かる妖怪。振り向くには足りないと祢々切丸の持ち手を変えて身を捩れば、心の臓の高さで深く穿つ。悲鳴を上げ、痛みに悶絶する妖怪の胸を裂くよう横に刀を引き抜けば、飛び散った赤黒い血が避ける間もなくべっとりと頬を濡らした。生臭い。そう呟いて乱暴に袖で拭うが汚れが広がっただけで特に拭えた気もせず、むしろ黒い着物の袖もその生臭さが移って余計不快なばかりであった。

一方で血に染まる己を見てか、打ち倒された妖怪を見てか、より一層熱を上げて騒ぐ妖怪の血に身を任せたまま好戦的に仕掛け始める組の者たちの姿に夜は気味の悪さを感じた。腹の底で何と思おうとも自分が畏れとして魅せれば魅せるほど流れる血に抗うことも出来ず惹きつけられていく妖怪たち。同じように己の中で確かに高ぶりを感じさせる妖怪の血、無骨な骨、肉、噴き出す妖気に血臭……そして何よりこれが、昼の未来の定めであったことに吐き気がした。

 それでも一番気分が悪いのは、そんな状況を喜んでいる自分自身だった。畏れを魅せれば魅せる程得られる力と高揚感、滾るように高ぶる妖の血はとても心地良く誰彼構わず牙を向けたい衝動を募らせながらも、これで昼の手を紅に染めずに済むのだと勝手に安堵している利己的思考。いっそ呑まれてしまえば良かったのかもしれない。どこかで知っている畏れの魅せ方を余すことなく振りまいて、高ぶる妖怪の血に身を任せて刃を振るい、『昼の未来』と言う名の光を奪いながらも『昼』という光の傍で寄り添えたなら。そう思って、本当に莫迦なことだ、と自嘲する。今のうちに全てを虜にしてしまって、知らぬ間に血で染められている未来さえも奪われ、いつか皆にもういらないと切り捨てられる昼を自分だけが守ってやれれば良いと願うなんて。本当、どうかしている……。そう嗤って薙いだ刃でまた一つ醜い屍を積み上げた。

 

 

 

 目が覚めたのは滅多にない偶然で、開けっぱなしの縁側に出ようと思ったのはなんだか外がガヤガヤと騒がしかったからだ。そろり、と冷える縁側の床を踏みしめて庭を覗くと、大きくてたくさんの影が月明かりで伸びていた。怖くなってリクオは一瞬体を強張らせるが、よく目を凝らしてみればそれがいつも見る屋敷の者たちのものであり、ほっと息を吐くのも束の間、青白く輝く長い銀髪の後ろ姿に眠かった目はぱちりと見開いて、ついでに口元は笑みで弛んでしまう。

「……おかえりっ、よる!」

 下に置いたままにしてある草履を適当に引っ掛けて、ちょこちょこと駆け寄ると夜は驚いた顔をして振り返った。あまりにも焦った顔をしているのでこんな時間まで起きていたとでも思われたのだろうか、と首を傾げて弁解しようと口を開くが、ふと古い金属っぽい嗅ぎ慣れぬ変な臭いが鼻を衝く。何だろうと夜の顔を凝視すると、その頬には影だとばかり思っていた黒いものが大きなかさぶたなのだと分かった。金属っぽい臭いは血の臭いだったのだ。

「…よる、けがしてる…っ…?」
「…………っ…!」

 驚いて慌てて手を伸ばせば、夜はびくりと身を震わせ、後ずさりし、それに昼も思わず手を引っ込める。が……そこには異様な空気が漂った。兄が怪我をしている。血がいっぱいくっついている。……その事実に幼い子どもの頭はいっぱいになって、痛くないはずの昼の方が泣きそうに顔を歪ませる。
 今にも泣きそうな昼の様子に夜の方も何度か説明しようと口を開くも、結局言葉には出来ず黙り込んで、その気不味い沈黙にとうとう首無が小さく溜息を吐いて昼の前まで出て目線を合わせるようしゃがんだ。

「リクオさま、確かに若はけがをされていますが、付いた血のほとんどは若のものではありません」

 ゆっくりと噛み砕いて昼のリクオにも理解出来るように掛ける首無の言葉はいつものように優しくて、話を呑み込んだリクオはこくりと頷く。それに首無はにこりと柔らかく笑って、しかしですね、と続ける。若は怪我をされているので治療をしなくてはならないのです。ただその前には湯浴みをして体を綺麗にしなくてはならない。そして今の状態でリクオさまに触れては汚れてしまう。そう言い聞かせられる言葉にもやはりリクオは素直に頷いた。だから夜は気を遣って身を引いたのか、と思いはするも意図的に引き離されているのだと幼い子どもは考えもしない。けれど何を言い出すのか分からないのもまた、幼い子ども故である。

「……ねぇ、くびなし。くびなしたちはいつもどこに行ってるの……?」
「…それは、…ですね……」
「けがをするようなとこに行くの? いつも痛いことしなきゃいけないの? なら行かなくても、」
「リクオさま」

 遮るように首無が口を挟む。……その少し咎めるような有無を言わせぬような声色に気付いたリクオはすぐさま口を閉ざして肩を落とす。それに首無はあくまで子どもを慮るといった口調で言い募る。

「リクオさま、今夜はもう遅いです。あまり夜風に当たられては体が冷えてしまいますよ」

 あなたは眠ることも大切なお仕事の一つなのですから。そう微笑んで、立ち上がったかと思えば誰かいないのか、と二度柏手を打った。パンパンと乾いた音にすぐにすす、と障子が開くと部屋の中から毛倡妓が出て来て、あらまぁ、どうしてリクオさまが? と目を丸くして声を上げる。それでもすぐに状況を理解したのか、毛倡妓は庭に下りて歩み寄ると、さぁ、リクオさま御部屋に戻りましょう? と手を伸ばしてくる。その手を無視することもましてや振り払う訳にもいかず、結局毛倡妓の手を取れば否が応でも夜たちから離されてしまった。

「…っ…夜がもどってくるまで、まってるからね!」

 だから早く部屋に帰ってきてね、と暗に夜に言えば、それを最後にリクオは毛倡妓に連れられて行く。草履を脱いでひんやりとした廊下に上がってようやく冷たい夜風を思い出し、体をふるりと震わせると毛倡妓が今日はすぐに寝ないとダメですよ、と釘を刺してきた。おそらくリクオが眠るまで毛倡妓は部屋から出ていかないつもりなのだろう。……それはそれでリクオには都合が良かった。聞きたいことがあるのだ。夜は首無たちはいつも一体どこへ行っているのか、と。

 前々から、夜中になると出掛けて行く彼についてそう問うたことがあった。そうすると大抵の者がお茶を濁すように苦々しく笑って御勤めですよ、と口を揃えて言った。では御勤めとは何なのか、そう尋ねるとお仕事ですよ、と言ったきり皆一様に渋い顔をして、詳しいことは小さいリクオさまにはまだ難しいからまた今度ですね、と誤魔化される。その後同じ質問をするものの毎回同じ答えの様にいい加減、永遠に来ないまた今度、に正直昼のリクオはほとほと飽きていた。
 そんな訳の分からないことではなく自分はたった一言、行き先を教えてくれれば良いだけなのだ。怪我をしている兄を案じることはそんなにいけないことなのだろうか。疲れて眠るばかりの兄を心配することは、せめて兄が何をしているのか知りたいと思うのは罪なのだろうか。
 導かれて部屋に入ったは良いが手際の良い毛倡妓にまだ熱の残った布団に押し込まれてしまう。不満気に頬を膨らますと毛倡妓はくすくすと笑みを零しながらぽんぽんと頭を撫でてくれるものの、肝心な事は何一つ言ってくれない。
 きっとこちらが尋ねたいことは分かっているのだろうに、その口は固い。

「……ねぇ、けじょうろう…みんなはボクになにをかくしてるの…?」
「隠してなど……そうですねぇ、リクオさまが大きくなられたら分かることです」

 大きくなってからではなく、今知りたいのに。……大体大きくなったら一体誰かが教えてくれるとでも言うのだろうか。今、誰に聞いても教えてくれないことを大きくなったからといって教えてくれる者などいるのだろうか。それとも自分で気付けということなのか。ただ、一人だけ聞いたことの無い相手はいるから、そこから自分は真実を知るのだろうか。聞いてしまうのだろうか。決して彼には、夜にだけは問わないであろうその答えを彼の口から。それだけは嫌だな、とリクオは思った、どうしてかは知らないが、でもきっと夜は嫌な気持ちになるのだと胸のどこかで確信していた。

 それからたくさん夜に関する質問をした。若、とは何か。何から付けた名前なのか。どうして黒い着物ばかり身につけているのか。たまには明るい色も着れば良いのに、そうしたらもっと綺麗なのに。そう言えば次のお休みはいつなのか。また遊んでくれる日は来るだろうか。最近疲れて眠ってるから鴆くんに元気になる薬を貰えないだろうか……云々。
 一つ一つ投げ掛ける度に毛倡妓の顔は曇っていき、難しい質問ばかりですねぇと苦笑する。リクオにとってはふと思いついたものばかりではあるのだけど、毛倡妓にとってはそうではなかったようだ。遠回しに夜や首無に聞いてくださいと返される言葉に小さく溜息を吐いた。それでも最後の質問に、では明日にでも鴆さまをお呼びしましょうか、という毛倡妓の言葉でリクオはきらきらと目を輝かせて、うん、お願いね! と念を押す。これで夜も少しは元気になるはずだ、とちいさく顔を綻ばせて。