夜→昼→鴆:偉そうな彼のセリフ / By 確かに恋だった

 好きなのだと言われた。家族ではなく、仲間としてでなく、一個人として、一人の男として君が好きなのだと、子どもはそう言った。好きだと言われることに嫌悪は無かった。けれどもそれが子どもへの愛だの恋だのへと繋がるかと問われれば答えは否、としか言いようがなかった。相手はまだヒヨっ子もヒヨっ子、そこに保護のような感情が在りはしても、そういった恋愛の対象には決して成り得なかったのである。
 だから変に期待を持たせたままではいけないと、そうこっぴどく断ったというのに、久しぶりに見た子どもは明らかに以前とは違う艶を帯びた様をしていた。

 まず目が違う。幼さの合間に覗く色香とでも言おうか。ちらりと流される視線にほんのりと混じる愁いのような陰の存在。それが無性に男という性を掻き立てた。
 それに、自分との距離も変わった。以前は何かと幼さ故の無防備さでいとも簡単に近付いては離れ、を繰り返していたというのに、今では遠すぎず近付きすぎずの絶妙な距離を保ってこちらと接してくる。これまでが易々と手の届く距離であった分、気が付けば届きそうで届かない距離というのにもどかしささえ覚えた。
 そしてなによりも変わってしまったのは夜の姿。昼の姿と同じく久しくまみえたその様は鴆を驚かせるには十分の変わりようだった。以前までは何においてもどこか興味無さげな少し冷ややかとも言える目をしていたというのに、今の目の前の男はとろりと、とろけそうな程、熱と柔らかさを含んだ目で鴆を見上げていた。それに付随して、その寡黙であった紅い唇も引き上げられ、それはそれは饒舌に舌を滑らせるのである。

「――なぁ、鴆。どうだい、オレの昼は? 綺麗だっただろう?」

 清くて、あどけなくて、けれどもどこか艶があって、なのに触れられそうで触れられない。触れようとすれば影を捕まえさせられ、ぬらりひょんの畏れを目の当たりにする。まるで日中の子どもとの出来事をすぐ傍で聞いていたかのような物言いに、鴆の背はぞくりと打ち震えた。

「…くく、そんな『何でお前が知ってんだ』みてぇな顔するなよ、鴆。オレとあいつは記憶を共有しているのを忘れたのかい? ――それに、あいつはオレが聞けば何でも教えてくれるしなぁ?」

 簡単だと男は嗤う。あの小さな体を背中から抱きしめて、顎を持ち上げ、耳朶に吐息を吹き込みながら問い掛けるのだと。低く、優しく、それでいて甘ったるい声で囁けば、隠し通すはずだった感情さえも溢れ落ちるだと。強情にも口を開かなかったら、その貝殻のような耳朶にそっと歯を立てて食んでやれば良い。音を立てて舌で転がしてやれば良い。そうしてゆっくりと顎をつまんでいた指で唇を撫で擦ってやれば、震えるそれはとてもとても愛らしく言葉を紡いでいくのだと。

「あいつは切り捨てられる恐怖を知った。だからオレがしがみつく術を教えてやった。簡単な話だろう? くく……、やっと手に入れたんだ……あぁ、もちろん、鴆、お前には感謝してるぜ?」

 傷心の子ども程、この手に堕としやすいことはなかった。誰かに手酷く、その手を振り払われることを怖れる子ども程、扱いやすいことはなかった。だから、オレは感謝している、あいつがお前に深入りする前にさっさと手放してくれたおかげで『躾』は思った以上に楽に出来たんだからなぁ。そう言って男はくつり、と喉奥で嗤う。

「なぁ、鴆、知ってるか? あいつは何でもすぐに呑み込んじまうんだ」

 するりと男が艶めかしく身を寄せて、吐息さえ掠める距離まで近付いたかと思えば、そろりと白い指が誘うように鴆の頬を撫ぜた。それは確かに夜の男の手なのに、何故かふわりと昼の子どもの姿が重なって見え、そのなまめかしさに息を呑んでしまう。事実、子どもが誘っているような錯覚が鴆の脳裏をじわじわと冒し、無意識のうちに目の前の男へとこの手を伸ばしている自分がいた。

「――おいおい、オレの影に誰を見てんだい?」
「…ッ、」
「あぁ、そういや、あいつも今じゃあ、こうやって男を誘うのも上手くなってんだったなぁ」

 男は自分の伸ばした指が触れる前にさらりとその手を払いのけ、されど揺るぎない欲を見つけたようにじっと瞳を覗き込みながらにぃ、と口角を上げる。そして、あいつのことを、昼のことを教えてやろうか? と、こちらがその紅い唇から目が離せぬのを良いことに、男は多少の意地悪さを含めて流れるように語り出した。
 お前が見ていた通り、あいつはそれはそれは幼い子ども同然だったさ。だがな、そうやってこちらに関しては何の知識もない分、淫らな言葉は鸚鵡返しのように繰り返すし、やり方を教えれば必死になって真似をする。だから教えれば教え込むほど望むままに育つってこったな。つっても、必ずしも従順って訳でもねぇ。羞恥が勝てば抗おうとするし、出来ないと言っては駄々をこねる。そこがまた良いとは思わないか? そう言って、男はうっとりと目を細め、ぺろりと唇に舌を這わせるとにたりと仄暗い笑みを浮かべた。
 男ってぇやつは従順な生き物が好きだが、一つ覚えの従順さってのは、なんともつまらぬものだろうよ。その点、あいつは才能あるな。上手い具合に凶暴な男心をくすぐって、されど程良く支配欲も満たして。

 煮詰めた蜜よりも濃く、どろどろと絡みついては離さない男の言葉は、まるで紙一重の狂気と同じだった。鴆は思わずにはいられない。己が主は、以前からこんな顔をして嗤っているような者だっただろうか、と。もっと美しくて、最も真っ直ぐに生きているひとではなかったか、と。それとも……あの時の、自分が放ったかの一言がそこまで子どもを、お前を変えてしまったのか、と、つい口を突いて問うてしまえば男はうっそりと唇を弧にしながらゆるりと首を傾げてみせた。

「可笑しなことを言う。オレたちを変える? 馬鹿言ってんじゃねぇよ、鴆」

 それだけの力がお前にあると? 自惚れるなよ。
 口では柔らかい笑い声を立てながらも、男の紅い目は鋭く鴆の目を射抜いた。変えたのはお前じゃない、オレなのだと、その目は言葉以上にものを語る。惜しい、惜しいなぁ、と男は嗤った――もしかしたら今のあいつを手に入れてたのはお前だったのかもしれなかったのになぁ……? そう哀れみさえ感じさせる口調で。確かに……確かに自分は言葉の裏にあどけなくも艶めかしい子どもの姿を思い描いて、無意識のうちに喉を上下させた。食指を伸ばし、触れてみたいと思ってしまった。

「でも残念だったなぁ」

 くつりと男の喉が鳴る。妖しくもうつくしいその貌が淡く儚げに揺らめいて、鴆にはそこにいとけない哀愁を含めた子どもの姿が重なるように見えた。二人は嗤う。

「――今更後悔したって遅ぇんだよ、鴆」

 酷く冷ややかに、そう言って。

(今更後悔したって遅ぇんだよ)