Adam’s CHERRY-8

 打ちっぱなしのアパートメントの屋上でぽつぽつと宿る街中の光を見つめながら、レイフェルは舌打ちをした。昼間は騒然とするこの街も、夜となればひどく閑静なものだ。木を隠すなら森の中、そう言うようにもしやと思いココに足を運んでみたが、ものの見事にハズレであった。手元の地図にバツ印を入れ、溜息を洩らす。もう五件目だ。だと言うのにレイフロの消息は未だ不明のままだった。

 ──一体、あの男はどこにチェリーを隠したんだ。
 ひと一人……否、ヴァンパイア一人拐ったのだから隠し場所なぞ限られているはずなのに、それでも尻尾を掴めないのは、あぁ見えてあの男が裏ではそれなりに名高い資産家であるせいだった。今でこそチェリーのアパートメントを二人の家と称して住み着いてはいるが、元の住み家はアルフォードに貸し出している屋敷であるし、その屋敷もバリーに見つかる前にと処分する予定であった。その前か二つ前に住んでいた屋敷は逆に面倒だからと開き直ってバリーとの食事に使っていたとも聞いている。つまりアレは屋敷の一つ二つを手放そうが、捨て置こうが、大して問題ないくらいに幾つもの屋敷を所有、もしくは買い付ける先を用意しているということだ。まぁ半分は資産家だからというよりもバリーに見つかる度に転々と住み家を変えざるを得なかったせいでもあるだろうが。そのバリーに探させようかとも思ったが、おそらく無駄であるとバリー自身が首を振った。常時ならともかく、チェリーどころかレイフロさえも外へは出てこないだろう。宝物を囲っているのだ。その状況では探すとしても結局レイフェルと同じ手段になると言うのである。要は可能性のある場所を一つ一つしらみ潰しに探すのだ。それならばレイフロと感覚が近しいレイフェルの方がよっぽど効率的だということで、おかげでこうして警察でもないのに靴底を減らして骨を折る羽目となっている。

 もう一度レイフェルは溜息を吐くと、苛立ち紛れにガリガリと頭を搔いた。しらみ潰しに探すにしてもアメリカはもちろん、ヨーロッパ、なんならどこぞの島や別荘まで含めれば目星にキリがない。クルーズ船とまでいけばもはやお手上げである。それもあくまでこちらが把握しているだけのもので、知らない場所なら元より手の出しようもないのだ。それでも一つ一つ潰して回っているのは、レイフロが本気で雲隠れしていないだろう確信があったからだ。
 もしアレが本気ならばそもそもミネアの前にチェリーのシャツを抱えて出てきたりはしないはずだ。それにどうせ命じるならコウモリに変えずとも、チェリー自身に言伝てを残させ玄関から出せば良かった。その方が自然だ。自然に連れていける。痕跡を残さず拐うことなど隷属のチェリー相手なら簡単にやれることなのだ。なのにそれをしなかった。違和感ばかりを残して消えた。それほどまでに理性を飛ばしていた可能性も無いわけではないが、レイフェルはあの男が敢えて意図的にやったものだと考えている。

(……見つけて止めてほしいのか、はたまたチェリーに逃げ道を作ってやったのか)

 自分で拐って閉じ込めておいて、いざ助けが来たらチェリー自身に選ばせる気なのか。自分の手を離すか否か。離してもお前は被害者なのだと、恨んでいいのだと、そう言うつもりなのか。お前が始めたことなのにお前以外の者に結末を委ねるつもりなのか。
 ろくでもない奴だな、と思いつつ嗤い飛ばせないのはレイフェルもきっと同じ状況なら似たようなことをする予感があるからだ。
 誰よりも大切だからこそ離したくない、傍にいたい。囲って隠して壊してしまいたい。でも。誰よりも大切だからこそ傷付けたくない、手放してやりたい。穢れた自分を知られたくない。嫌われたくない。
 相反する想いは、葛藤はいつだって最後の一線を躊躇わせる。

(……どちらにしろ、それを赦すも裁くもチェリー次第だ)

 だから探す。これがどう転ぶのか見届けるために。いつか訪れるかもしれない未来を見定めるために。
 さてと、と。気を取り直して骨折り損の報告でもするか、と空を見渡せば、小さな物体が音もなく遠くからスーッと飛んでくる。それ──ポロンの対であるプルシツ──へと手を伸ばせば、大人しくレイフェルの掌へと着地し、静かに羽を畳んだ。

「──ハイ、チェリル?」

 呼び掛けた先、遠く離れたアルフォードの屋敷でポロンと共に待機しているであろうチェリルへと向かい、手を振る。こちらには向こうからの音声しか届かないが、あちらにはレイフェル側の音声が映像付きで伝わるのだ。待つと言うほどのタイムラグもなく、返事はすぐに返ってきた。

「……マスター! ご無事で。えーっと……そちらは? どの辺りでしょう?」
「屋敷から大体三千フィート先のアパートメントだよ。ほらアレが例の屋敷……って言っても暗くてよく見えないか。まぁ無事だよ、無事。まぁたハズレだったからね」

 状況的にも、地理的にも、もうあそこしか無いと思ったんだけど。そうぼやき半分に報告すれば少しの間を置いた後、困りましたねぇ……とチェリルが呟いた。いつもなら仕方ないですよ、でも絶対見つかるはずですから気を取り直して次に行きましょう、なんて言って慰めてくれるのに。珍しい、どうしたんだとばかりに首を傾げればマスター、と硬い声で問いが続いた。

「……あの、本当に誰も、何もありませんでしたか?」
「ん? ん~~? ……まぁ、ハズレはハズレなんだけど厳密に言えば気配や形跡やらは微かながらに残ってたって感じかな。でも肝心の二人はどこ探しても見つからなかった」

 つまりアイツはこちらの動きを読んでいて、すんでのところで逃げた可能性が高い。そうアタリをつけてのハズレ発言だったのだがチェリルの声は変わらず浮かないものだった。

「なんだ? 何か気になることでもあるのか?」
「…実は良いニュースと悪いニュースがあるんです。どちらからお聞きになります?」
「……?」
「ハズレと判断するには時期尚早だと言うことだよ、エヴァ」

 ふふ、と可笑しそうに嗤いながらバリーが口を挟んできた。その様は実に機嫌の良いものだった。……それもそうだろう。レイフロとチェリーの仲を引っ掻き回せているのだ。さぞ愉快であるに違いない。それもチェリーを壊しかねないほどレイフロの執着心を煽っておきながら、今度は手元に囲って閉じ込めた途端その宝物を取り上げるようなものなのだ。長年レイフロを苦しめてきた者としてこれほど悪魔的な愉悦を得られる機会もそうそうないだろう。レイフロの激情は如何ばかりか。今回に限ってはほんの少しだけ同情する。

「んー……じゃあアイツらが見つからなくて最悪の気分だからグッドニュースから」
「──では輸血用血液製剤の納品についてですね。……つい先日よりレイフロさん名義で納品先が突然変更されたところがある、との情報が入りました」
「……!」

 その言葉にパッと顔を上げる。捜索が難航している今、まさに一番欲しいグッドニュースだった。この収穫は大きい。チェリーはともかくレイフロには血の供給元が必要なのだから。普段と言い、チェリーを手元に置いてることと言い、男を漁って生き血をいただくことはないと思ってダメ元でその線も調べていたが、本当に情報を得られるとは。運が向いてきたな、と口端が上がる。

「当たりじゃないか! よくあの口が堅いお企業様がお喋りしてくれたもんだ……アルフォードのおかげか?」 
「えぇ。すごいですよ、彼」
「裏取引とは言え、ノクティアンは大口顧客だからねぇ。坊やへの信頼も厚いのだろう」
「一を取るか多を取るか、ってか……まさかアチラさんもその一が全ての大元である真祖様だなんて思いもしないだろうなァ」

 まぁアルフォードのことだ。個人情報の提供とは言え、それなりにあちらを立てた上手い理由をつけているのだろう。大企業相手に見事なものだと苦笑が洩れる。
 チェリーが行方不明となった原因がレイフロだとほぼ確定してから、アルフォードの行動は早かった。こういう時、表側の伝手やコネクションを持っているというのは便利なものだ。レイフロの所有する屋敷や所有地、不動産関連についても八割方はアルフォードの功績である。さすがバリーに負けず劣らずレイフロをストーキングしていた男だ。それで? と気を取り直すとレイフェルはプルシツを見つめた。

「変更された納品先ってどこなんだ?」

 場所次第では、このまま向かえる。手間掛けさせやがって……、ようやくチェックメイトだ。そう思った矢先、今のニュースが飛んでしまうほどにとんでもない爆弾が落とされた。

「それなんですが、まさにバッドニュースと言いますか……そのお屋敷、先程ハズレとおっしゃった後ろのアレのことらしいんです」
「………………はァ?」

 ひとというのは驚くと言葉を失うらしい。グッドニュースはバッドニュースへ。ゴール目前からスタート地点へ。まさかまさかの逆戻りに開いた口が塞がらない。ふざけるな、あそこだと……? ギリギリと鈍い動きで背後の屋敷へと振り返ると、レイフェルは思わずクソッと舌打ちした。

「逃げ足だけは速い奴め……!」

 あの野郎、見つけたら絶対絞める──! 苛立ちもピークに達し、そう息巻いてるとチェリルが確かにその可能性もあるんですが……、と悩ましげに声を上げた。

「…あまりにも妙なんです。この、納品先の変更と言っても屋敷から屋敷への変更ではなく、正確にはあの屋敷のゲストルームからパントリーへと変更になったそうなんです」
「納品場所が変わった……?」

 訝しみ、首を傾げる。元々、緊急時を含め血液製剤を納品する屋敷が常に複数存在するのは良いとして今、納品場所を変更するのは明らかに妙な話だ。ここだけ聞けば誰だってまず間違いなくレイフロがあの屋敷にいると推測する。少なくともそのゲストルームには都合の悪い何かがあったのだろうと。

「…だが、どれだけ痕跡や状況証拠が残っていたとしてもアイツらが居ないってことは、目と鼻の先で逃げられたってことだろ?」
「──もしくはエヴァでも簡単には見つからない隠し部屋にでも居たのかもしれないね」
「…………⁉︎」

 バリーの言葉に目を見開く。隠し部屋? 確かにそんなものを想定して探してはいない。どういうことだと言わんばかりに睨み付ければフフ、と嗤い声が返ってきた。

「あれはアメリカの家にしては珍しいほど古い館らしいじゃないか。確か百年ほど前に造られたとか?」
「……バリー、お前は一体何を知っている?」
「いや、なに。ここ百年なら色々あったものだと思ってね。可能性を挙げているだけさ」

 百年前……? 意味深な年月にレイフェルは曖昧な記憶を遡らせる。ここ百年ほどであったもの。世界大戦、大恐慌、狂騒の二十年代──禁酒法。行き着いた先、その答えにハッと息を呑む。

「まさか地下か……? スピークイージー…‥? いや、あの規模なら金持ちどもの秘密クラブってところか」

 かつて悪法として社会に多大な影響を与えた高貴なる実験、禁酒法。だがその内容は酒類の製造と販売、輸送のみを禁じるというもので、飲酒そのものは違法でないという実に杜撰なものだった。そのため裕福な資産家達は禁酒法施行前に金と人脈を駆使して酒を買い占め、時にはコネクションで高品質のものを密輸し、最高級のセキュリティを敷いた地下室で夜毎パーティーを繰り広げたものだ。禁酒法廃止後も恐慌や大戦の気配を知るよしもなく彼らはその地下で優雅に、下品に享楽へと耽り続けた。──レイフロとて例外ではない。チェリーを避けるようピジオンと名乗っては、そういう館に入り浸っていたのだ。故にそのような地下室の存在を知っていても不思議ではない。……いや、むしろ敢えてそういう屋敷を用意していた可能性もある。理由如何は問わずして。

「じゃあ、もし本当に地下の隠し部屋があるのなら、どこかに入り口があるってことですよね普通……? この場合、一番怪しいのはやはりゲストルームでしょうか」
「そうだな……」

 レイフェルは時間を掛けて散々探し回った屋敷の内装をひとつひとつ頭の中に思い浮かべる。ゲストルーム、インテリア、ベッドにクローゼット、バルコニー、違和感、不自然なもの、地下への入り口……。記憶の中でぐるりと一周し、ふと見逃していたある物の存在に引っ掛かる。

「鏡……そう言えば、やたら華美な姿見があったな」

 大きな屋敷なら当然のように存在するそれも、レイフロ相手なら実に奇妙なものだった。こう言っては何だが、ゲストルームというのはレイフロにとって綺麗な名前のついたただのヤリ部屋なのである。アイツは自分の寝室に他人を引き込まない。勝手に入ってくるチェリーやバリーならともかく、棺桶はあってもベッドが無い寝室に他人を呼ぶ必要性はないからだ。あの部屋はレイフロが食事をするためだけに用意している場所。なのに姿見があるなんてあまりにも奇妙だ。ヴァンパイアは鏡に姿が映らない。その上、レイフロが呼びつける相手は見目を気にするレディーではなく男達。明らかに不自然なもの、不要なもの。それをわざわざ残しているということは……。

「あそこが入り口か……」

 おそらくあの鏡を外した壁あたりに入り口、もしくはそれに連なる仕掛けが施してあるのだろう。やられたとばかりに舌打ちをする。よくもまぁ、これだけ手の込んだことを。だがトリックさえ分かればこちらのものだ。プルシツを空へと放ち、そちらへと軽く手を振るとレイフェルはにやりと嗤った。

「……ということで、アイツら取っ捕まえてくるよ、チェリル。ご褒美は甘ァいキスがいいな」

 そう言ってバサバサと音を立てながらコウモリへと変化しつつ、レイフェルは空を見上げた。高く昇った十三夜の月。夜が明けるまでまだしばらく掛かりそうだった。