二人分にしては少々小さな皿を手に、引き留められるのも構わずクライヴは私室に戻ると、バルナバスへと声を掛けた。
「──どうだ、バルナバス」
「……騒々しいこと、この上ない」
開いた扉より覗く向こう側。隠れ家の者達の憩いの場、タブアンドクラウンから聞こえてくるかしましい声を差しているのか、そうそっけなく返してくる男にクライヴは肩を竦める。
「どうせ死んだら静かになるんだ。生きてるうちくらい賑やかなのがちょうど良い──とシドは言っていたな」
懐かしい言葉と共に、出来立ての皿を目の前に並べてやれば、面白くもなさそうにバルナバスは鼻を鳴らした。
「シド…シドルファスのことか。……そう言えば前にも同じことを言っていたな」
あの時はやかましく鳴き喚くオークの前でだったが。あれも最後まで変わらぬものだったかとぼんやりと口にしながら、ふとクライヴを見上げる。
「それより良いのか。皆、お前が訪れるのを待っているようだが」
「“シド”が居たら気を遣って飲めるものも飲めなくなるだろ。俺は引っ込んでる方が良いさ」
せっかくの“シド”の奢りなのだからと。喧騒を耳に、クライヴは頬を緩ませた。
──きっかけは予定外に湧いた討伐依頼だった。その破格とも言える報酬の一部で、皆に振る舞ってほしいとメイヴに頼んだことが事の始まりである。
普段のものよりだいぶ色のついたそれ。それを前にメイヴを始めとする厨房の者達は大いに沸き立った。
どうせなら盛大にやろうと、カローンやグツに品を頼むのはもちろん、他の者達にも声を掛け、買い出しに走り、そうして始まったのがこの宴である。
時は既に半刻ほど経っており、中には早くも呑めや歌えやのお祭り状態がいるようだった。それでも眩しいものを見るようにクライヴは目を細める。そうやって隠れ家の皆が協力し、何かを成し得、盛り上がる姿は久々のことなのだ。それが尊くもあり、微笑ましくもある。
バルナバスにとってはただただ騒がしいだけのようであるが。
「お前こそあっちに行っても良いんだぞ。あの討伐のもう一人の功労者はお前なんだから」
今からでも遅くない、と軽口を叩けばそれこそ「抜かせ」と一蹴される。どうにも人慣れしないものだ。
まぁいいかとカトラリーを並べ、まだ湯気の立つ温かな皿を勧めた。バルナバスの眉間に皺が寄る。
「お前がなかなか皿を空けないから、次をせっつかれたよ。王様は猫舌なの? って聞かれたくらいだ」
明日には猫舌の王様って名前で広まるな、とからかい混じりにそう言えば、寄せた皺が更に深くなった。
「……そもそも私は飲み食いせずともよい身体だ。食材を無駄にしおって」
「あぁ、エールも減ってないな。さすがに安酒は口に合わなかったか」
仕方ないとばかりに部屋の奥へと歩み寄る。いくつかある重厚な木箱の一つからワインを取り出し、新たなゴブレットも用意してやればバルナバスの唸る声が聞こえた。
「話を聞け」
「ちゃんと聞いてる。飲み食いしても死ぬ身体じゃないってことだろ?」
そういう問題じゃないと睨み付けるバルナバスを放って、さっさと栓を抜き、ゴブレットへと注いでやる。そうすれば、ふくよかな香りがふわりと広がり、しかめ面をしていた男の顔も思わずと言ったように和らいだ。
「……随分と香りの強い」
「そうだろう? この年のブドウは特に香りが強くて色々と大変だったようだ。魔物の群れまで引き寄せて、俺も駆除を手伝ったくらいだからな」
飲んでみろと促せば、さすがのバルナバスも口を付ける。一口味わい、飲み込んで。瓶を見直し、なるほどな、と呟いた。
「……ゴールトンルージュか。また貴重なものを。あそこはエーテル溜まりに沈んだと聞いたが」
よく知っているなと感心ながらも、さすがは元一国の王だと思い直す。
今となってはエーテル溜まりに沈んでしまったロストウィング名産のゴールトンルージュ。もはや残り僅かとなった貴重なワインであったはずなのに、大義を果たした彼らより、手ぶらで帰すわけにはいかないからと贈られた品だった。曰く、俺達にはまだこのブドウ畑がある、これでも飲んで待っていてくれ、と。
「作り手達は生きてるよ。近くに農場があるんだ。そこからまた村を立て直して、ワインも造り直すらしい。これよりも上等なやつをな」
そう言ってようやく手の付けられた酒を皮切りに、クライヴは他の皿も引き寄せた。色とりどりの料理が乗った皿は見ているだけでも目を楽しませてくれる。
「これはニンジンを巻いた蒸し鶏に、ギサールの野菜と香辛料で作ったソースをかけたものだと言っていたな。野菜はイーストプールで収穫したものらしい。覚えてるか? 前に魔物の大群が押し寄せた村だ」
「……自分達も戦うと言って聞かなかったベアラー達の」
「そう、そこだ。今回はいつもより多く採れたからと支援ではなく交換の形になったそうだ。凄いだろう。命令の下でしか生きられなかった彼らが、今はもう自分達の足で立ってる」
ほら食べろと、切り分けたそれを口の中へと勝手に突っ込む。そうすれば明らかに機嫌の悪い顔がますます悪いものへと変わるが、決して不味いと言わないあたりそういうことなのだろう。
残りを自分の口へと運びながら、そう言えば知っているかと問いかけた。
「ギサールの野菜は臭いや味が独特な割りに、チョコボ肉と相性が良いらしい。チョコボの好物だからじゃないかとモリーは言っていたが」
そういうものなのだろうか。不思議なものだな、と口にすれば、バルナバスが鼻を鳴らす。そんなことも知らんのかと言うように。
「……古今東西、獣肉の付け合わせは、それが好んだものが最も合うとされている。鳥を射れば、その鳥が啄む果実を。獣を屠れば、その獣が口にする蜜や野草を共に採って帰れと言われたくらいだ」
どこか懐かしいものでも見るように、目を細める。それにそうか、とちいさく微笑みながら、クライヴは次の皿を取った。
「ミメットの野菜もよく食べていたのか?」
スープ皿をカトラリーでくるりとかき回す。そうすれば手元のポタージュは、まだ底の方で熱を保っていたのか、ほのかに湯気と香りが立った。
「……疾うに昔の話だ」
「灰の大陸の知識は深いものだな。人が食べるのには不向きだと思われていたものが、処理一つでこんなにも変わるんだから」
元はチョコボの気を落ち着かせるために使われていた野菜であるというのに、今では隠れ家における立派な食材の一員である。バルナバスの呟きにより食べられると知った時のモリー達の顔が忘れられない。食の探求心に強い彼らに囲まれた男の顔も。
「さて。このポタージュも猫舌の王様と言えども、いい加減飲める温度になっていると思うんだが、どうだ?」
「誰が猫舌だ。私は冷ましているのではない。食す必要がないと言っているだけだ」
「パンもあるぞ。こっちはドレイクファングパンだな。中は甘じょっぱいから、そのまま食べてもいい」
「話を聞け」
「ちゃんと聞いてるさ。聞いた上で勧めてるんだ」
パンを手に取り、ちぎってミメットのポタージュへと浸す。たっぷりと吸わせたそれを口の中へと放り込めば、香ばしいパンの中からほんのりと甘味のあるポタージュがじゅわりとしみ出した。美味い。
お前も食べるか? とちぎって差し出せば、バルナバスの眉間の皺が再び深いものへと変わり、それについ笑いが漏れる。
「バルナバス。俺達も同じだよ」
お前が食事を、微々たるエーテルしか得られない無駄な行為と思っているように。この賑やかな食事が生命活動に必須の行為でないことを、ここの者達のほとんどがよく知っている。
「温かろうが冷めていようが糧は糧だ。一人寂しく毒味の済んだ宮廷料理を味わおうが、地面に投げつけられた残飯を犬のように這って食おうが、どちらも同じく血肉にはなる。……でも、食事というのは、そういうものじゃないだろう?」
「………………」
「温かいものを口にしながら、束の間の時間を皆で過ごす。それもまた生きる悦びの一つだ、バルナバス。それはきっとお前が思っているほど悪いものじゃない」
クライヴはそれをシドの隠れ家に来て思い出した。だからバルナバスも、いつかどこかで思い出してくれたら、と密かに思っている。
「ちなみに料理長一番のおすすめは、このフリットだそうだ」
先程、持ち帰った皿を引き寄せれば、バルナバスは深い深い溜息を吐いた。そしてしばし考えた後、ようやく折れたようにカトラリーを手に取り、少しだけだぞ、と返す。その言葉に、あぁと頷いた。今はそれで十分だ。
さくさくの衣にナイフを入れ、切り分けたそれを口へと運ぶ。一噛み二噛みする毎に、意外だとばかりに目を瞠るバルナバスが面白かった。
「イヴァンが言うには『外はサクサク…! 中はフワフワ……! 濃厚な食感とともに、爽やかな香りが駆け抜けていく!』とのことらしいが、お味はどうだ?」
「……悪くない」
呟かれた男の最上級の褒め言葉に思わず笑みが浮かぶ。後でモリーにも伝えておくとしよう。きっと喜ぶだろう。何せ、元国王も認めた味なのだから。
「……して、これは何の肝だ」
獣か? 少なくとも魚ではないようだが……。そう首を傾げるバルナバスに、そう言えば言っていなかったなと思い出す。
「ワイバーンだ。お前にはトビトカゲの方が伝わるか? ほら、一昨日狩っただろ。ノースリーチの北の方で、青い体をした」
そう言えば、バルナバスの身体がピシリと固まった。
「ワイ……っ!? 待て、あれは薬の材料ではなかったのか」
「薬……? もしかして一緒に摘んだセイントボンネットのことか? 確かに香りの強い薬草らしいが、あれもこのフリットの材料だな」
爽やかな香りというのがそれらしいと口にすれば、バルナバスがわなわなと震え始める。どうした。魔物も案外食えるという事実に驚いているのか?
以前、美味すぎて、竜騎士のように遥か彼方までジャンプできそうだと言っていたイヴァンを思い出す。
「…………………、るな」
「バルナバス?」
「勝手に珍味を食わせるな……! お前は何を考えている……!?」
「? でも美味かっただろう? 今じゃ大人気の品らしいぞ」
「美味い、不味いの話ではない! 妙なものを同意も得ずに勝手に食わせるなと言ってっ」
「──シド!」
バルナバスの言葉を遮るように、扉の向こうからひょっこりと男が覗く。
誰かと思えばイヴァンだった。その手には深皿が一つ乗っており、こちら用のものと窺える。
「あ! すみません、お取り込み中でしたか?」
「…いや、どうしたんだ? 皿なら俺が取りに行くと言ったのに」
お前もまだ忙しいだろう、とひとまずバルナバスのことは置いておき、皿を受け取ろうと立ち上がる。だが、そうして気付いた。その皿の中身に。漂う、不吉な臭いに……。
「いえ! どうしてもシド達にも食べていただきたく、お持ちしたんです。この前、またシド達に取ってきていただいたでしょう? あの肉を熟成させてみたんです。そうしたら臭いだけじゃなく味にも深みが増して、以前よりももっと美味しいものが出来たんです! 今日初めてお出ししたんですけど、向こうでもすごく好評で! だからぜひ、シド達にも召し上がっていただこうかと思ってご用意しました!」
自信を持ってキラキラと輝く瞳。その輝きとは相反する禍々しい色合いと臭いを発する皿。魔物の煮込みシチューもとい、ローランド・スコーピオンの煮込み料理である。
「………………そうか。ありがたく、いただくとしよう」
期待に満ちたイヴァンを前に、受け取らないという選択肢は用意されていなかった。
なんとか手に取り、厨房へと戻っていく男の背を見送りながら考える。どうしようかと。
「……おい。なんだ、それは」
さすがに臭いで気付いたのか、少々引き攣った顔でバルナバスが問いかけてくる。こいつも運が悪い。
そう思うも、いや物は考えようだなとすぐに考えを改める。イヴァンも言ったではないか。シド“達”と。
そう、世界は広い。そして奥深いのだ。バルナバスもそれを知る良い機会である。
「煮込みシチューだ」
皿を置き、さっさとカトラリーで大きめのシチュー肉を半分に切り分ける。こういうことは躊躇う方が良くないのだ。
「何の」
「紫紺の什宝と言ってな、ロザリア産が特に濃厚らしい」
「待て…待て待て待て……明らかに魔物の肉だろう、これは。紫紺…? ロザリア産……? お前……先日、ロザリア方面の討伐でスコーピオンの尾を回収していなかったか……?」
良い質問だとばかりに、にっこりと微笑みながら、切り分けた肉とスープをスプーンへと乗せる。
さぁ食え、ほら食えと湯気の上がるそれを目の前に差し出すと、バルナバスと言えどもその毒々しさにたじろぎ身を退いた。
「安心しろ。こんな色だが、毒じゃない。モルボルのくさい息に勝るとも劣らない鮮烈な臭みの向こう側に、とろけるような肉の食感と芳醇な旨味の広がりを感じるらしいぞ」
「ふざけるな、なんだそのやけに早口な説明は! そう言うのならお前が食え! いや、そもそも何故、先程からして伝聞の言い回しなんだ……? もしやフリットからして食ってないな、お前!?」
「臭いが次第にクセになってくると評判の品だ」
「ならば、お前が食え!!」
埒が明かないな、と面倒くさく……否、冷めたら美味さも半減するだろうと思い、クライヴは苦渋の決断をする。何事も経験だろう、こういうのは。
口が開いたタイミングで問答無用にスプーンをねじ込む。そうすれば赤くなったバルナバスの顔が途端に青へと変わり、最後は真顔となって咀嚼する。……意外といけるものらしい。良かった良かったと胸を撫で下ろすも、だ。
「……クライヴ・ロズフィールドォォオ」
次に発せられたのは、地獄の底より這い上がる怨嗟の声そのものだった。
あっという間に胸ぐらを掴まれ、引き寄せられる。反射的に目を閉じれば唐突に唇を塞がれた。
何で、とは聞かないでほしい。決まっているだろう。……そう、煮込みシチューを食べたその口で、だ。
「ッ、~~~~~~!!」
鼻腔を掠める酷い臭いに暴れて離れようとするも、いつの間にやら身体はがっしりと抱え込まれており。舌先が唇を割って、ぬるりと中まで侵入し、味までをも共有させられる。いや、もう味なんて分かるものか。臭いが強すぎて味覚なんか飛んでいる。そもそも、それどころの話じゃないだろう、これは。
「…っ、…んっ、ンンッ! んぅ…ッ!!」
せめてもの抵抗で爪まで立てていると言うのに、どうして止まらないんだ、この男は。むしろ嘲笑うかのように舌を絡めとられ、擦り付けられ、頭がくらくらする。
「……っ、ぁ、……はっ…」
ようやく解放された頃には半ば腰が抜けており、それをバルナバスは鼻で笑った。
「自業自得の味だ。思い知れ」
今日一番の、機嫌の良い顔で。
エーテルをごっそりと持っていった男が言うことじゃないだろ……! とクライヴは心の底から叫んだ。