バルナバス×クライヴ

「──おい、あんた。ちょっとフードを取ってくれないか」

その言葉にぎくりと身体が強張る。とうとうバレてしまったか。脱出経路は。仲間の人数は。
さりげなく酒場の出口を確認しつつ、いつでも背負った長剣を握れるようにフードを外す。
そうすればクライヴを取り囲んだ、酔いどれ顔のいかつい男達がどっと笑い声を上げた。

「あ~~~~やっぱり男だよな。そりゃあ、そうだ。そのがたいで剣も背負ってるし、立派に髭も生えてるもんなぁ」
「悪い悪い、兄ちゃん。ちょっとばかし人探ししてるもんでよぉ。顔馴染みのないやつは一応確認してるんだ」
「その黒い髪も、鮮やかな青い目も噂通りだって言うのに、惜しいもんだな。まぁ俺達が言うのも何だが、その容姿じゃ行く先々で苦労してそうだな、兄ちゃん」

お詫びに一杯奢るからこっちに来いよ、と誘われ、考えた末に大人しく席に座る。赤ら顔の加減からして、どうにも離してはもらえそうにない。
それならそれでちょうど良いかとクライヴは話に乗ったように聞き返した。

「……あんた達の言う通り、最近になってから急に顔を覗かれるようになって困っていたんだ。ここらじゃ、どういう話が出回ってるんだ?」
「おいおい、知らないのか? テオトコスだよ。テオトコス!」
「テオ……? なんだ、それは」

聞き馴染みのない言葉に首を傾げれば、男達はまた笑い出した。どこの田舎の出だ、と言って。

聖母様テオトコスのことだよ。黒髪に青い目をした聖母様が王都からいなくなったらしいぜ」
「拐われたのか、自らお出になったのか……詳しいことは伏せられているが見つけ次第、国に報せたら報奨金が貰えるんだとよ。だからみんな、目を皿のようにして探してるってわけだ」

なんでも額が額だからなぁ。貰えりゃ一生遊んで暮らせる金額だぜ、あれは。
そう言ってぐびぐびと酒を流し込む男は、まぁ、さすがに聖母様がこんな片田舎まで来るわけないだろうけどよぉ、と付け足した。

「もう二週間も前の話だろ? まだ見つからないなんて王都の方は大丈夫なのかよ」
「一ヶ月だよ、馬鹿。レーベンウィットの奴らもそろそろ誰の首が飛ぶか考え始めてる頃さ。まさか、あの城塞を越えた可能性が出てくるなんてな。考えただけでも恐ろしいぜ」
「でもそのおかげで、こんな南のど田舎にまで一攫千金の話が出てきたんじゃねぇか。俺ぁ諦めねぇぜ!」
「とは言え、王都は船も止まってるんだろ? そろそろ再開しないと不味いんじゃねぇのか? こっちの船だって止まっちまったんだしよぉ。クリスタルや食糧が足りなくなってくるぞ」
「……こっちの船も止まっているのか?」

思わずと言ったように口を挟むと、男達が揃ってこちらを見る。
まさかそんなことも知らないのか、というように肩を竦めて。

「そうだよ。今じゃあウォールード中の船が止まってる状態だ。もしかして兄ちゃん、王都の船が止まってるからって、こっちの船を目当てに来たのか?」

そいつはご愁傷さまだな、と冗談めかして口にされる言葉にうっすらと嫌な汗が滲む。不味い。完全に想定外だ。こっちの港は封鎖されていないと聞いていたのに。

誤った情報を掴まされたのか。はたまた痺れを切らして新たに手を打たれたか。どちらにしろ、あれだけ苦労してレーベンウィット城塞を抜けたのが、全て水の泡である。
静かに肩を落とし、それでもまだ見つかっていない事実をよすがに次の手を考えていると、まぁあっちとは理由が違うんだけどな、と男は続けた。

「勅令で出せない王都の船と違って、こっちはオーク共のせいだからな」
「……オーク?」
「そうだよ。オーク。……あーそうか。そうだよな。兄ちゃんも剣持ってるってことは使えるんだよな? なら一つ相談なんだが……兄ちゃん、剣の腕に自信はあるか?」

そう言って話を振ってくる男とは別に、他の男達が慌てて顔を見合わせ、やめておけと首を振る。命に関わるぞ、とそう言って。
しかしクライヴにとってその話は好機以外の何物でもなかった。
船が止まった原因が勅令を出した王ではなくオークだとしたら、クライヴにもまだ打つ手があるはずだ。
灰の大陸から脱する手が──。

「一応は。…出来たら力になろう。船が出ないと、こちらも困るんだ」
「そいつはありがてぇ」
「おい、その辺でやめとけって。さすがに死人を出すのは不味いだろ。そもそも放っておいてもこっちには下りてこないんだ。こんな兄ちゃんを唆すなよ」
「いや、オーク相手なら何度かやり合ったことがある。だが、そうだな。やはり話次第だろう。無理だと思ったら断らせてくれ」
「それなら良いが……」

クライヴを気遣いつつも、なんだかんだ船を出せずに困っているのは事実なのだろう。
男は迷いながらも事情を口にし始めた。

「実は一月程前から採掘場にオーク共が居着いちまって作業が出来てねぇんだ。だから鉱石どころか石炭も採れねぇ。それが採れなきゃ船も動かせねぇって話だよ。少し前までは手元にあった残りでなんとか凌いでいたが、それも今じゃあ底を尽いてなぁ…。とは言え、ここいらの人間で、あんなものを相手に出来るはずもないし……」

普段ならあんなものが出たとしても王都から派遣された軍がどうにかしてくれる。
だが、今は聖母様探しでそれどころではないと。

自分のせいでもある深刻な事情に、クライヴは眉を寄せた。思った以上に国の機能は止まっているようだ。それだけバルナバスも本気なのだろう。灰の大陸から出なければ、見つかるのは時間の問題だと。
だからこそそこが盲点になるとクライヴは考えた。動かないと思っていたものが動くのであれば、クライヴにも機はある。

「数はいくつほど?」
「オーク一体に、ゴブリン数匹らしい。村に下りてこないか遠目で何度か確認したと言っていたから、それは確かだと思う」

なるほど。言葉通りなら村人には無理でもクライヴなら問題のない数である。多少前後してもいけるはずだ。
いいだろう、とクライヴは大きく頷いた。

「それくらいの数なら何度か経験がある。引き受けよう。ただ、それが終わったら初めの船には俺も乗せてほしい。それが条件だ」
「あ、…あぁ! 本当に討伐してくれるなら、もちろんだとも! まっさきに俺の船に乗せてやるよ!」

ここ一月のうちでようやく打開策を見つけたとばかりに男達の顔がパッと明るくなる。ついでに明日の朝にでも向かおう、と続ければ、それを聞いていた他の客までもが、わらわらとクライヴを取り囲み、頼むぞ兄ちゃん、任せたぞ、と背を叩いてきた。

久しぶりの感覚だな、とどこか遠くに思う。そのうちあれよあれよと言う間に酒を渡され、料理を出され、男達が明るい声で歌い出した。それを耳にしながら、クライヴは奢られたエールを一口含んだ。

 

*

 

「いやぁ、本当に奴らを討ってくるなんて……!」

昨晩の依頼主である男が、酒を片手に感謝の言葉を述べながらバンバンとクライヴの背を叩く。他の男達がはしゃいだように乾杯した。これで三度目である。
クライヴは手渡されたエールを片手に周りを見回しながら、そっと息を吐いた。やはり、やり過ぎではないだろうか。
もはや小さな祭りかというくらい、村の広場では人々が焚き火を囲んで、喜び騒いでいた。それほどに奴らに困っていたのだろう。そう言われれば納得するしかない。何せ鉱山は村の重要な収入源なのだから。それが戻ってきて喜ばぬはずがない。
そう分かっているのに、クライヴの気はどうしても晴れなかった。

何かが可笑しい。そればかりを考えてしまう。討ち取ったオークやゴブリンの姿を思い出しては、何度も頭を振る。ちがう。そんなはずないだろうと。
奴らがアカシア化していたことなど、関係あるはずが無い。

「どうした、兄ちゃん」
「いや、…………そう言えば聞いておきたいと思ってな。この辺りでエーテル溜まりが発生したという話を聞いたことがあるか?」

ごくりと喉が上下する。そうだ。それが一番現実的な話だ。むしろそちらを心配するべきだろう。
もしそうだとすれば、あのオーク達はあくまで始まりに過ぎず、この村にもいずれアカシア化した魔物達が下りてくる可能性があるのだから。
だと言うのに男はきょとんとした顔をし、一拍おくと途端、笑い声を上げた。兄ちゃんも冗談が上手いな、とそう言って。

「なんだ、それは。聞いたことがねぇ! エーテル溜まりって……水溜まりじゃあるまいし。エーテルの泉でも湧くのかよ? むしろ湧いてほしいくらいだよ。ここいらも黒の一帯がすぐそこまで迫ってきて困ってるくらいなんだから」

違いねぇ! と他の男達も笑い出す。純粋に、軽やかに。その口調に一層違和感が強くなった。
ならばあれは何だ。いつからアカシア化していた。
考えた先、つぅ、と冷たい汗が背を伝う。いや、まさか。そんなはずは……。

「……オーク達は、いつからあの姿を、…青みを帯びた身体をしていたんだ」
「青? …あぁ、そう言えば、あれを見た奴が言ってたな。普通のオークやゴブリンとは色や様子が違うって。だから余計、誰も近付けなかったんだけどよ」
「まぁそれも兄ちゃんのおかげで解決ってことよ! 本当にありがとな!」
「そういや船の話だったよな。採掘場の荷を積めば出せると思うから、あと三日くらいは村でのんびりと待っててくれれ、ば……って、ヒィッ!!」

調子良く肩を組んできた男が遠くで切り裂くまばゆい光と共に腰を抜かす。同じくして宴を楽しんでいた村人達の賑やかさが驚愕と混乱の声へと変わり、誰もが空へと指を差した。
突如、天へと一直線に突き抜ける光の筋。
それに呼応するかのように巨大な剣が幾つも生まれ、空から次々と降りてくる。
まるで国を囲うかのように──この南端の村、クライヴの真後ろにまでも及んでいて。

「…なんだっ、…何なんだよっ、あれは…っ!」

世界の終わりだと悲鳴が上がる中で、剣と剣の狭間を縫うように、“その力”は満ちていく。
生物一匹通さぬ壁となり、牢獄となり──バルナバスの……否、オーディンの《グラズヘイム・ウォール》は完成する。

 
「……オー、ディン様だ…っ」
 

誰かが震える声で指差し、そう言った。
焚き火に落ちる巨大な影の先──屋根の上。
そこには肩にかけたマントをたなびかせながら、黒い六本足の“馬”に跨がる召喚獣オーディンが佇んでいた。
馬が低く鼻を鳴らす。

「王だ……」
「国王陛下だ……!」
「オーディン様……ッ」

姿を目にするや否や、一人、また一人と地面にひれ伏していく。先程まで軽口を叩いていた男達もまた、酒を放り投げ、震えた体で平伏した。
ただ一人、クライヴを除いて。

クライヴだけが、じり……、と後ずさる。
それにおいっ、という男の小声が聞こえたが、戦いた身体はそれどころではなかった。

──逃げねば。
だが、どこに。
どうやって。

 
「──見つけたぞ、ミュトス」
 

完全顕現が解かれ、半顕現の姿でバルナバスが地へと降りる。
その手には斬鉄剣を携えて。
ゆっくりと一歩、一歩、地を踏みしめ、こちらへと近付いてくる。

逃げねば。
どこに。
どこへでもいいから、早く遠く、へ────

 

「──おや。どちらへ、おいでで? ミュトス」
「…………ッ!!」

そう言って、背後から銀髪の男に取り押さえられクリスタルの枷を填められるのと、バルナバスの斬鉄剣が村人の頸へと添えられるのはほぼ同時だった。

「ひぃ……っ!」
「…ゃ…、めろ…っ…、バルナバスっ!」
「神の膝元から逃げた愚か者の声に、私が耳を貸すとでも?」

傲慢も程々にしておけよ、と、冷え冷えと返すバルナバスに対し、銀髪の男──スレイプニルはくすくすと可笑しそうにわらった。

「そうですよ。…まったく、こんなところまで来るなんて。念のため神の兵達アカシアを用意しておいて正解でしたね。まさか本当にあの城塞を抜けるとは……。さすがはミュトスです。帰ったらぜひともコツをご教示いただきたいものですねぇ」

──何せ、使えぬ彼らはもう処分してしまいましたので。

言い聞かせるようにじっとりと、重い含みを持たせた最後の一言にぶるりと背筋が震える。村人達も同じだった。

『処分』した──ならば今、あの城塞は一体どれだけの血で赤く染まっているのか。そして、ここは一体どうなるのか。

「…っ、ふざ、けるな……っ!!」

人の命を何だと思って……! そう怒りに湧いた声さえバルナバスはくだらぬ、の一言で切り捨て、添えていた剣で男の顔を上げさせる。

「さて。お前達の申し開きくらいは聞いておこう。ミュトスを見つけて少しばかり気分が良いのでな。…お前達は何故、あれを手元に匿った? ミュトスは見つけ次第、報せるよう命じていたはずだが」
「みゅ…っ、みゅとす、だなんて……っ、俺達はっ、黒髪青目の…っ、聖母様としか……ッ」
聖母様テオトコス?」

一体何のことだ、とバルナバスが眉を顰めればスレイプニルがそう言えば、と口にした。

「南の方では色々と言い方が変わるらしいですねぇ。古くからの村の言い伝えがあるとか……例えばそう、女のドミナントを魔女と呼ぶ、とか」

そうなのか、と向けられる視線に男ががたがたと震えながら頷いた。
喉元に刃が突き付けられているのを忘れているのか、その皮膚を裂きながら必死に。

「こ、この辺りでは……テっ、聖母様テオトコスとはっ、…神を孕む聖なる御方、救世主の母として…っ、伝わって、おりまして……ッ」
「なるほど。……当たらずも遠からずと言ったところか。神のための器を、神を産む母と呼ぶとはな。なかなかに面白い」

産むという意味で女と思い込む点は嗤えないが。
そう嘯くバルナバスに、男が泣きながら申し訳ありません申し訳ありません…っ、と慈悲を乞う。
男の命も、村の存亡も、全ては王の御心ひとつなのである。クライヴは固唾を飲んで、事の成り行きを見守ることしか出来ない。
そのうちに、バルナバスはスッ……、と剣を退くと、男にとんと興味を失ったように歩を進めた。

「よかろう。良い機会だ」

何を思い付いたのか、今度はこちらへと歩み寄ってくる。だが、チャンスだと。せめて村人達から離れた今、反撃の一つ、隙の一つでも出来やしないかと。
そう思って力を練り、発現させようとするも、その悉くが枷により体内で乱され、壮絶な痛みとなって己を焼く。
届く前に炎ではなく火の粉となって散りゆくそれに鼻を鳴らして、バルナバスは切っ先をクライヴの眼前へと突き出した。

「民の教えを正すのもまた、真なる世界へと導く者の責務と思わんか、ミュトス」
「っ、…なに、を…………ひ、ッ!」

切っ先が肌を撫でるようにゆっくりと下りていく。
外套を繋ぐ革の留め具が呆気なく断ち斬られ、背を滑っては地へと落ち。仰け反った胸を辿るように服が裂かれれば、その下からは張りのある胸筋が晒された。

「…っ、…、ゃめ…っ、…ッ!」

バルナバスの意図を察し、弾かれたように、クライヴはその身を捩る。
しかしそれもまたスレイプニルの手により妨げられ、無力化される。
いやだ、と力無く首を振った。
城での記憶が脳裏を這って蘇り、ひゅうと息が乱れる。あの、おぞましい記憶が、経験が、意思に関係なくクライヴの身体に怯えと震えを走らせた。

「…ぃ、やだ…っ、…あれ、は…、…ッ!」
「──この際だ。お前達の云う聖母とやらの姿、最後までしかとその目に焼き付けよ」

切っ先が下衣までへと至る。
畏怖と崇拝の混じる村人達の目が恐る恐るといったように、こちらへと向いた。……これから始まる宴を見届けるために。かの信者達の如く。

「──────……ッ…!!」

襤褸となった服の下で、この先を予見するかのように、胸の先へと付けられた銀色の輪が鈍く光った。