……何故、こやつは起きてるんだ? 何故、寝ようとしない……? いいから寝ろ。寝てくれ。今すぐに。
途方に暮れた目で、バキバキに冴え渡った青い目を見つめ返しながら、バルナバスは何故このような事態になったのかを思い返す。
──目の前の男、クライヴ・ロズフィールドを寝台へと突っ込み、寝かしつけるはめとなった、その理由を。
それは降って湧いたような話だった。
「クライヴを寝かしつけてくれないか」
まさかこの私に、そんな話が来ようとは。オットーを前にバルナバスは眉を寄せる。
「どういう意味だ」
「言葉通りの意味だ。クライヴを寝かしつけてほしい。周知の事実だが、あいつはウォールードから帰ってきてから、ほとんど休んでいないんだ。つまりまともに寝ていない。いくら気力体力があるとは言え、こうも毎日走り回っていては、いずれ限界を迎える」
だから、その前に寝かせてやってほしいと。その言葉に言われてみれば、と思い起こす。自分がさほど休みを必要としない身体のせいで忘れていたが、あれは休息が必要な身なのであったのだと。なるほど。いつも顔を合わせていたから忘れていた。だがやはり腑に落ちないと言ったように、バルナバスは顔をしかめる。
「……それで何故、私になる。フェニックスがいるだろう。シヴァでも他でも良い。もっと適任がいるはずだ」
少なくとも自分ではないはずだと。あれと気心の知れた者達にでも頼めと口にすれば、オットーは力無く首を振った。
「ジョシュアは最後の戦いのためにもと、外に出て最終確認中だ。ジルも…これから寝るって男の部屋に入れられるわけがないだろう。ドミナントとは言え、女性なんだ」
「お前がいる」
「クライヴを“寝かしつけて”ほしいんだ。…分かるだろう? 俺達じゃ無理だ。いくら口で言ったところで大丈夫だと気丈に振る舞うだけなのは目に見えてるからな」
要は力ずくでも寝かしつけてくれと、そういうことらしい。そうだとしてもバルナバスが適任かと言えば、やはり答えは否だった。そもそも人を寝かしつけるなど、したことが無いのだから。
「あれを斬り刻めば満足か?」
とにかく死なない程度に、体力を減らしてやればそれで良いのかと。そう問えば、オットーが違う違う、と慌てて止めに入る。
「物騒なことはよしてくれ。タルヤに大目玉を食らっちまう…が、あー……そういう意味か?」
「どういう意味だ」
「まぁ…クライヴとは、そういう関係なんだろう? それならそれで、人払いもさせておくが」
「………………」
まるで普通に寝かしつけるのが無理ならば、抱き潰すでも良い、と言われたような気がするのだが。気のせいか、いや気のせいではないな、おそらくは。それも含めてこの男は自分に声を掛けたに違いない。
ようやく相手の真意が読み取れ、思わず目が据わる。良い度胸だ。私があれごときに、身体を使わねば寝かしつけることも出来ないと考えるとは。
「…寝かしつけるだけであろう。余計な気遣いは要らぬ」
鼻を鳴らし、踵を返す。
よかろう、あれ一人くらいすぐさま寝かしつけてやる。元より疲れてるはずの者を寝台に突っ込んで寝ないわけがないのだ。母恋しさにぐずる乳飲み子でもあるまいし。さっさと捕まえて、寝床に放り投げ、掛布にでも包んでやればすぐに寝落ちる。なに、簡単なこと。どうしても寝付かないと言うのなら背でも叩いてやればいい。寝物語の一つでも語ってやろう。たったそれだけのことではないかと。
そう考えていた時が私にもあった。
──結論から言おう。やつは寝ない。
いや、何故寝ないのだ、この男は……!?
目の前の現実に、もはや遠い目となる。寝ない。寝ないのだ、三十も超えた男が。もう一刻は過ぎたであろうに、ギンギンに開いた目でこちらを見ているのである。
せめて目を閉じろ。そしてそのまま寝落ちろ。四の五の言わず、今すぐに。
「バルナバス? それで、その後、村はどうなったんだ?」
「……お前、本当に寝る気があるのか? 寝ない者に語ったとて致し方あるまい」
「寝る寝ない以前に、そんなところで終わられたら続きが気になって眠れないだろ」
「同じようなことを口にして、私がお前の横に寝てからどれほど経ったと思っている」
「思ったよりお前の体温が低くて眠気が遠ざかったんだ。仕方ないだろ? でも、この話が終わったら眠くなるかもしれないから早く続きを教えてくれ」
そんな気など全く無いような目をして、こんなふざけたことを言うのだから堪らない。
それもこれも背を叩いても寝落ちない男に、仕方なく寝物語でも聞かせてやろうと思ったのがいけなかった。
寝物語と言ってもバルナバスが知っているのは、遠い昔に母様が語ってくれたマリアス教に因んだ神話か教義、もしくはベネディクタのような女達に聞かせた時勢の話くらいである。前者はもちろん論外で、後者としても自発的な任務に明け暮れて寝ない男にする話でないのは明らかだった。せっかく寝床に入れたのに、気になるからと飛び出されては堪らない。
ならばと語ったのが己の昔話である。
常々、人というのは年長者の長話を厭うきらいがある。これも同じだろうと思い、適当に摘まんで話してやったのが仇となった。
よりにもよってこれは幼子のように目を爛々と輝かせ──いや、むしろそれを通り越し、食い気味に続きをせがんでくるという始末なのである。
何故だ。何故こんなことになっている。
「……お前は何故そこまで話を聞きたがる。そんなに取り合うほどの話でもあるまい」
実際にそうだ。興奮しては面倒だからと建国あたりを抜いた話は、つまるところ、そこかしこに掃いて捨てるほどのものなのである。
風の大陸が灰の大陸に、戦の相手が人から蛮族に変わっただけのもの。国は違えど似たような話はどこにでもあるのだ。世間も物語も知らぬ子供ならまだしも、酸いも甘いもそこそこに噛み分けた良い歳の大人が目を輝かせて聞くような内容では無い。
そう苦り切った顔をするバルナバスにクライヴはぱちくりと瞬くと、すぐにふにゃりと気の抜けた顔をして微笑んだ。
「お前の話だからだよ、バルナバス」
「……そうか」
「あぁ、そうだ。俺はアルテマや全てのことが終わったら、これまでの話を纏めて冒険譚を書く予定だからな。そこにはバルナバス、お前の話も入れるつもりだ」
だからもっと話してくれと。子供のように続きをせがむ男にバルナバスは深い溜息を吐いた。
──呆れた。
こやつは本気で神に打ち勝ち、あまつさえ生きて帰ってくる気なのだと。
それに加えて冒険譚まで書くつもりだと。どれだけ五体満足に帰ってくるつもりなのか、これは。
「バルナバス?」
「……なんでもない。お前に呆れただけだ」
「……? 呆れるところなんてあったか?」
「あぁ、あった。十分にあった。全てを片付ける心づもりがあるのなら、今すぐに寝ろ。さっさと寝ろ。神と対峙するより先に、寝不足で倒れられては元も子もない」
「じゃあ、さっきの続きだな。さすがに、あそこで終わるのはダメだろう?」
「……本当にこれで最後だからな。終わったらすぐに寝ろ。とっとと寝ろ。でなくば、二度と続きは話さんぞ。あと、いい加減目くらい閉じろ」
分かった分かったと言わんばかりに、クライヴはようやく目を閉じる。
何が面白いのか、微かに肩が揺れているが、……まぁ静かになったので、それは良しとしよう。背も軽く叩きながら、致し方なくもねだられた先程の続きを訥々と語り始める。
まったく、このような者が神を討とうとしているとは。先のことなど分からないものである。
口を動かしながら、ふと、こやつの綴る冒険譚とは如何様なものなのかと思いを馳せた。吟遊詩人の唄以上に語られることのなかった身の上が、どんな話となって綴られるのかを。
……くだらない。
それでも、これから先も続く人の世というのはそういうものなのだろう。不完全で、誤りだらけで、不出来なそれを、誰かが誰かのために紡いで、繋いで、未来に託し、残していくのだ。
記録として。想いとして。
今度は神ではなく、人のために。
──そうして、しばらくすれば話は終わり、背を叩く手が止まる。
温かな寝床からは、いつの間にか静かな寝息が溢れ落ち、束の間の穏やかな時間が部屋を満たしていた。
*
扉の向こうの喧騒を耳にしながら、男を起こさないようにとそっと身体を起こし、息を洩らす。
すっかりと寝入ってしまった男の顔。それはどこかあどけなく、幼い子供のようでもあり。寝ている時はこんなにも穏やかだというのに、どうして起きるとあぁなってしまうのだろうかと不思議に思う。
そんな男の額にキスを落とせば男はちいさく身動ぎをし、眉を寄せた。まだ眠りが浅いのかもしれない。
なるべく音を立てないよう静かに寝床を抜け出すと、人を探すためサロンへと向かう。目的の人物はいつものようにそこに居り、その後ろ姿へと声を掛けた。
「オットー」
「あぁ、どうし、た……っ!?」
「? 悪いが人払いを頼みたい。一刻ほどで良いんだ。俺の部屋から……」
「いや…っ、なんで、お前がここに居るんだクライヴ!? 寝かしつけられたんじゃないのか、お前はっ!?」
「寝かし…? あぁ、バルナバスのことか? あいつなら今、俺の部屋で眠ってる。よほど疲れてたんだろうな。まだ眠りが浅いようだから、部屋の周りでは少し静かにしてくれるよう皆に言ってくれると助かるんだが……オットー?」
「………………」
そう来たか、と額に手を当て、オットーが天を仰ぐ。もうお手上げだ、と言わんばかりに。
しかも、その口からは何故だかバルナバスに対する同情の言葉までもが紡がれており、訳が分からずクライヴは首を傾げることとなった。