歴史の爪痕、王の墓標

「先に逝って、待ってるよ……」

そう言って王は安寧の地へと旅立った。二度と闇の中へとは戻らなかった。
遠い、遠い砂漠のどこかで高く長くトウテツがなく。嗚呼、嗚呼、我らが王よ。別の場所で他の誰かがないた。伝染したように、世界のあちこちでシガイ達がないた。声無き声で闇夜を震わせた。
シガイ達は知っていた。かつて正しく世界に生きていただけの自分達が、気付けば仲間に石を、剣を、牙を、敵意をむけられ、殺されかけたことを。迫害され、命を狙われる中で王だけが愛し、慈しんでくれたことを。仲間が亡くなれば、王自らその足で訪れ、弔いと祈りの言葉を捧げに来てくれたことを。星の病に冒されていても、まだ救える者は世界へと、手遅れな者は懐へと導いていた男の姿を──。
王はまた世界から、歴史から消されるのだろうか?
誰かが闇夜でそう訊ねた。
そうかもしれない。そうなんだろう。誰かがあちらこちらで応えた。
それがどれだけかなしいことか、シガイ達は知っていた。歴史から置き去りにされたんだと、そう口にした王のかなしい声を聴いていたから。だからシガイ達はかなしかった。我らの王が消されると。誰よりも優しき王が忘れ去られてしまうと。
もうすぐ世界は夜明けを迎える。闇の王がいなくなった今、真の王は我らを消し去り、その命をもって新たな時代を切り開くだろう。もう誰も王の名を、その存在を知る者がいなくなってしまう。
本当にそれでいいのだろうか?
誰かが言った。もう、我らには何も出来ないのだろうかと。誰かが応えた。まだあるのではないのかと。誰かが問うた。それは一体どうやって。誰かが答えた。歴史に爪痕を遺すのだ、と。
あぁ、あぁ、そうか。あぁ、そうだ。シガイ達は理解した。闇の王の名が消されようとも。我らシガイという名はきっと歴史から消えることはないだろう。それはそれは悪辣に、悲劇的に記され続けるだろうと。
ならば。
ならば、とシガイ達は剣を取り、牙を剥き、得物を掲げ、闇から飛び出した。
歴史に傷をつけるのだ。夜が明けるまで、我らが消えるまで、人に害を為し続けろ。
それはもしかしたら最後の足掻きだと記されるかもしれない。誤った真意を付されるのかもしれない。……けれど、それでいいのだ。いずれ、いずこかの誰かが辿り着くだろう。その傷痕の名が間違っていることに。間違った墓標の名であることに。その墓標の下にはアーデン・イズニアという王が眠っていることに。いずれ誰かが辿り着くだろう。
シガイ達は知っているのだ。
人の根本がそう簡単には変わりはしないことを。闇に堕ちても尚、王が闇の民を愛し続けたように。人を呪いながら、人の世に交わり続けたように。人はいずれ、その好奇心と純粋さで歴史を紐解くだろう。夜の時代の正体を、星の病の原因を解き明かしたくらいなのだから。
だから、これは我ら最後の忠誠だ。
シガイ達は世界のあちこちで咆哮を上げる。そう遠くない、消えゆく仲間に向かっての、逝ってしまった優しき王に向かっての、かなしいかなしい弔いの声を。

全てはそう──歴史の爪痕という名の、闇の王の墓標を立てるために。

 

(了)