あとがき

あとがき
 
 もしもこの話を本にした時、あとがきで絶対書きたいことがありました。それは「こんな素敵な話を書いてくれた私、本当にありがとな…! ! 」って一文です。ようやく書けました…! !  まさに二年越しの想い達成です。
 元々、グッバイ~は二〇一七年に行われたニーア× 15 コラボにあるエンジンブレードのウェポンヒストリー画像を見かけ、思いついた話でした。アーデンには唯一、父王の剣がないこと、ルシス・チェラムとして継がれなかった剣の存在、そしてこんな男にもしあわせな話がひとつくらいあっても良いのではないのか、という想いや考えが込み上げ筆を執ったと記憶しています。なのでこの話で一番初めに書いたのは父王の剣が現れた時のエピソード、次に夢から覚める直前の花火の話でした。
 ちなみに自分の性格から始めから長い文を書くのは絶対に無理だと分かっていたのでオムニバス形式に執筆をしています。それが功を奏してか、陽射し差す部屋の過去の話の途中まではちょこちょこ筆を休めながらもそれなりに順調でした。ただある日を境に書けなくなったというか、現実が忙しくなり、やる気もなくなって二年ほど放置した話でもあります。
 それが二〇一九年春、エピソード アーデンの公開と、ふと書きかけの話を読み返した時、思ったのです。今、この話を書き終えないまま私死んだら、絶対後悔するなぁ…と。
 再度筆を執って約一か月弱で、この話全てを書き終えました。おそらく全体量の三分の二ほどに値するのではないでしょうか。私が一番驚いています。そもそもこんな字数を書いたことがない上、こんな短期間で書き上げたこともなかったんですから……。それだけ、この話には書きたいことが詰まっていたんだと思います。
 正直、この話は全て勘違いやこうだったらいいのに、という二〇一七年に作り上げたプロットを元に書き上げています。そのため二年経った現在、当然ですが公式の見解とは違うことだらけです。なんなら新たに公開された情報も都合良く使っての強かさも持ち合わせております。そんなところも含めて楽しんでいただけたらと思います。
 さて、内容の補足も含めて少し書き残しておこうと思います。
 物語の都合上、頭の中では考えていても敢えて書いていないこともたくさんあります。例えば結局、アーデンの夢のゴールはどこだったのかという話。これは本編で回想を終わらせたところと同じ、ルシス王の玉座という設定でした。夢に堕ちたアーデンが一番安心できるところ、それが玉座。これほど絶望的で安堵できる場所はないんではないでしょうか。もう二度と命を狙われない場所、大事なものを奪われない場所。それがアーデンの唯一安らげる場所、玉座だったのです。
 他にもあります。アーデンの父王は本当にアーデンを疎んで、あのような扱いをしたのか、という話。実はこれ、はっきりとした答えは出ていません。と言うのも例えこの父王が本当にレギス王と同じく自分の息子を案じ、過ぎた力から、聞き慣れぬ王の選定から、傲慢な神々から少しでも息子を遠ざけようと考えていたとしても、神さえ欺いた男です。我々がその心を図ることなど出来ません。でも、もしかしたら。本当はアーデンを想い、愛する息子を守ろうとして動いた結果だったとしたら。そう考えながら読むのもまた面白いと思うんですよね。
 私はこの話を通してアーデンという男をしあわせにしたかったんです。より正確に言うなら、しあわせだった記憶を与えたかった。ゲームの中では不幸でしかなかった男にも、ルシスを、神を、クリスタルを憎み、星を滅ぼそうとした男にも、ちゃんとしあわせな記憶の欠片がひとつふたつあったのだと思いたかったんです。ゲームの結末に不満があるとかじゃなくて、そんなしあわせな記憶の欠片を持ってたとしても、アーデン・イズニアは止まれなかったのだと、けれどもどこか隅っこに残った、失ったはずの良心の欠片がちくりと痛む時があるのだと、そう思いたかった。そしてこれはそういう話なのです。
 最終話のその先でアーデンはいずれ誰かを迎えにいくでしょう。私はアデプロ派なので相手はプロンプトを想定したりもしましたが、ぶっちゃけ誰でも良いんですよね、これ。プロンプトでもノクティスでもレイヴスでも誰でも。大事なのはひとり夢の中へと堕ちた男が二千年の時をかけ、ひとりではなくなったということ。それが分かればそれで良い。だから相手は何もひとりとは限らないんですよね。もしかしたら全員迎えにいくのかもしれない。そして全員に出合い頭から嫌な顔をされてフルボッコにされると良いんです。
 それから、この話で出てくるほぼオリジナルキャラに近いイズニアも最初はイズニア・スキエンティアっていう設定だったりしたんですよね。後々、イズニアって姓じゃん! と気付いて本編では触れなかったんですけど。ただイズニアは、ノクティスにとってのイグニスみたいな存在だったら良いなとは思ってます。兄であり友であり臣下であり何よりも心強い味方である。一言では言い表せない関係。寂しさを分かち合ったふたりぽっちの存在だったらと。
 そして最後にもう一つ。最後のシーンでイズニアの代名詞ともとれるジールの花がかなしむように散る描写。これは私個人の置いて逝く者と置いて逝かれる者、果たしてどちらがよりつらいのか、というテーマに対する結論に起因しています。私の中で、それはより覚悟の決まっていなかった者、という答えがあります。だから過去の話で置いて逝く方だったイズニアより置いて逝かれたアーデンの方がかなしみを覚えたし、最後のシーンでは置いて逝ったはずの、アーデンより平気そうだったはずのイズニアが、今度はアーデンに置いていかれてかなしみを感じ、泣くのだろうと。そういう思いの元、あのシーンにしました。
 というように裏話、ちょこちょこあるんですけどね。これだとキリがないんで、この辺でおしまいにしたいと思います。ここまで読んでくれた方、主に私! 本当にこんなに刺さる話を書いてくれてありがとうございます! !  また気が狂った時にでも薄い本作りましょうね!

二〇一九年六月 三人一つ屋根の下/あさひなく