09

とまぁ、そんな良い感じのことを言っていた生き物なのだが。
その後、アーデンの「じゃあ、あのパネルじゃもうチョコボになれないんだよね?」の問い掛けにふと徒歩以外の移動手段を失ったことを思い出したのか『……! ああああっ…!』と羊皮紙に顔を覆うチョコボの絵を浮かべたり。でも目的の場所はもうすぐそこの棚の上だから! と言いながら到着した途端、『こっちじゃなかったぁああ…!』と叫び、目的の場所が部屋の対角線上にある真逆の棚であることが判明したりと。とにかく慌ただしく喧しく。そんな珍道中の諸々を考えれば、今、目的の場所とやらに着いているのは幸運と言えるのかもしれない。高く高く聳え立つ棚を前にしながら、アーデンはそんなことを思った。もちろん迷った先では飛び出してきたナイトメア相手に、何故この超弩級の迷子が自分の案内役をやっているのだろうかと考えたりもしたのだが。まぁ、着いたのだから口には出すまい。

 

「……とは言え」
遠い目をしながらアーデンは目の前の巨大な棚を見上げる。
「……これ本当に上まで登るの?」
別に高所がダメと言うわけではないが。さすがにこの体でこの高さと言われると眩暈がするな、とアーデンはぼんやりと思った。なんせ棚は天井まで続いている。落ちたら夢とは言え一貫の終わりだろう。
『アーデン こわい?』
「まぁ、普通の人間並みには」
『そっか~』
生き物が感慨深げに頷く。まぁ頷くだけででも大丈夫だよ! と全然大丈夫でない言葉を浮かべるのだが。
『安心して! 登るのはこのテッペンまでじゃなくてあそこ! あのおっきなクリスタルの欠片までだから!』
『あそこならアーデンもこわくないよね!』
「訂正して良いかな……高さよりも尚、無理やり登らせようとする君の方が怖いことに気付いたよ」
そうぼやきつつも嘆きつつも。言葉と共に掲げられた生き物の白い前足の先……よりも更に斜め上の棚の中に、遠目でもはっきりと分かるぷかりと浮かんだ大きなそれ。それを目にしたアーデンは、あんな大きな欠片なんて見たことあったっけ? と首を傾げた。それに気付いた生き物がキュウと鳴く。
『あれはおっきなクリスタルの欠片だよ』
『あれ1つで これまで集めてきたちいさなクリスタルの欠片10個分になるんだ』
「ふぅん…じゃあ、あれが君の言う“いいもの”になるの?」
『う~ん 半分アタリで半分ハズレ~』
「なにそれ」
『まぁ 行き先があの辺りなのは間違いないってことだよ』
だからちゃんとした答えは見てのお楽しみ~! そう語り終えると生き物はぴょんっと棚の上へと飛び乗り、こっちだよとばかりにトコトコと狭い足場を器用に歩き始める。いっそその背に乗せてくれたら楽だろうに。とは思うものの鞍も何も無い生き物の背に乗るのもまた恐ろしいことだなと考え直して、アーデンは階段上に積み上がる本の上へと一歩踏み出した。それが地獄の一歩になるとも知らず……。

 

 

あれからどのくらい登っただろうか。随分と小さくなった床の上、あちこちに散らばる物達を眺めながらアーデンはぜぇぜぇと肩を上下させた。少なくとも太陽が傾くだけの進歩はあったと信じたい。一休憩とばかりに目の前の行き止まりを示す大きなインク壺へと体を凭れ掛けさせる。やっぱり冒険なんてろくなもんじゃない。アーデンはこれみよがしに大きく嘆息した。

棚の中は実に巧妙だった。ただ上を目指せば良いと言う代物でもなく、こんな行き止まりなど当たり前で。ぐるぐると遠回りを余儀なくされたかと思えば、狭い足場で正しい答えを導き出さなければ道が開かないようなトリックが用意されていたりと想像以上に一筋縄では行かない。額に浮かぶ汗を拭いながら、先を行く生き物を見上げる。あんなに大きい図体なのにひょいひょいと身軽に飛び乗り、歩みを進められるなんて、なんだか羨ましいを通り越して恨めしい気分だ。じとりと生き物を睨みつけると、その視線を感じ取ったのか生き物がキュウ? と首を傾げ振り返った。
『ん? アーデン 疲れた?』
「…そうだね」
『あはは 皮肉も言えないくらいには疲れてるねぇ~』
体力無いな~と笑う生き物に大きなお世話だと睥睨するも大してダメージにならないようで。悔しさ半分、呆れ半分にぼりぼりと頭を掻くとアーデンは唇を尖らせ呟いた。
「…大体こういうのは専門外なんだよ」
『え~ でも剣は使えたでしょ?』
「……まぁ嗜み程度にはね」
そう返せば生き物は意外そうにぱちくりと目を瞬かせる。その姿に皮肉っぽく嗤ってあれくらいなら誰だって出来るよ、と続ければ、じゃあアーデンは何が得意なの? と問い返された。
「なにって……」
『あるでしょ得意なこと? 専門じゃないってことは つまりそういうことだよね?』
「そりゃあまぁ、あることはあるけど……」
なんだか急に生き物が真剣みを帯びたように感じて、アーデンは思わず言葉に詰まる。なんなんだ、一体。言い様のない違和感に小さく身じろぐも、それを嘲笑うかのようにズキリと鋭い痛みがこめかみを襲う。
「……っぐ、」
あまりの痛さに思わずよろめいた。それに慌てて生き物が駆け寄って来るも、痛みは更に激しいものへと変わり、その鋭さに堪らずアーデンはずるずるとしゃがみこむ。

 

《──、て》
《───げて、くれ…!》

「っ…、」
誰かの叫ぶ声。真っ赤に染まる視界。フラッシュバックする映像に思わず、映像……? と問い掛け、反射的に否定した。違う、映像じゃない。これはいつかの、自分の記憶だ、と。

《──げて、》
《───逃げて…》
《────頼むから、私など見捨てて…》
《はやく逃げてください… アーデンさ、ま》

ごうごうと何かが激しく燃え続ける音。ぶつかり合う金属の悲鳴。鈍い音を立て貫かれる“何か”。嗚呼、嗚呼。どうして、こんなことに。なんで、なんでだ。何が悪かったと言うんだ。俺は、俺達はただ、

《…救ってきただけじゃないか──…》

真っ赤に染まった手。鼻を衝く鉄錆。どんなに力を注いでも何も変わらない体の重みに、ようやくこの過ちが自分によって生み出されたものなのだと気付かされる。
そうだ、こんなことなんて極めるべきではなかったのだ。こんなことになるくらいなら剣の腕を磨いておけば良かったんだ。こんな力なんて最初から無ければ……そうだ、そうすれば、こんなことにはならなかったのに……
────を助けられたはずなのに……!

 
「…っ、………ず、に……っ」
『──デン アーデン…!』
焦ったように鳴く生き物の声に、ハッと意識が戻る。スーッと熱が引くように痛みが抜け、アーデンはぼんやりと視界を取り戻した。なんだ……? 俺は今、何を視ていた…?何を思い出していた…? じっとりと手汗にまみれた掌に視線を落とす。そこには血の一滴さえ付いてない。傷ひとつさえも。当たり前だ。ここは夢の世界で戦場ではないのだから。ぐしゃぐしゃと頭を掻き撫ぜる。意味が分からなかった。なんなんだ一体。一体何を、俺は忘れているんだ。
『…アーデン アーデン? …大丈夫?』
「………ぁ、あぁ、」
『……本当に? 本当に大丈夫…?』
「まぁ、とりあえず、は…」
『でも……』
「…大丈夫だよ、少し…何かを思い出しただけで」
『え それって…』
「いや、なんでもない…なんでもないよ、」
そう言って頭を振り、それよりも、とアーデンは話題を逸らすようにあとどれくらいで着きそうなの、と問い返す。それに生き物はそんな場合じゃ! と抗議するが構わなかった。とにかく違う話がしたくてアーデンは無理やり話を押し通す。
「…まさかまた道が分からないとか言わないよね、方向音痴くん」
『ほっ 方向音痴って! ひひひひどいよアーデン! 僕方向音痴じゃないし…!』
「いや、さっきの森と言いこの部屋と言い、どう見ても方向音痴のそれでしょ…」
『ちがっ…! あれはたまたま…偶然で…!』
「ハイハイ。で、キミの見立てだとあとどれくらいなの?」
『うぅぅぅ 信じてない上に話を逸らしたな~アーデン!』
そう嘆きつつも憤慨しつつも。アーデンの意図を汲んだように生き物はピンと耳を立てフンスと鼻息荒く語る。
『う~~ 君は信じてないだろうけど』
『でも今回は本当にちゃんと順調に進んで来たんだよ~!』
『なんたってあれで最後なんだから…!』
そう言うと生き物は目の前の通せんぼしている、棚から中途半端に引き出された分厚い本の上へと飛び乗り、そのままひょいひょいと上の段へと進む。そうすればその先には大きなレバーが一つあり。跳ね上がったままのそれを前足でタシタシと叩くとほらこれだよ! とばかりに主張した。……まぁもしかしたら、仕方ないから君の話に乗ってあげる! という意思表示かもしれないが。どちらにしろアーデンにとっては有り難い話だ。
「え~、本当にそれで最後?」
『そうだよ~! ね! 僕方向音痴じゃないでしょ?』
「まぁ、確かに。その話が本当ならね」
『絶対信じてないよね アーデン~?』
もう 本当なのに~! そう不服そうな文字を浮かばせつつ、生き物は掛けていた前足に体重を乗せる。ガシャンコ。レバーの下りる鈍い音と共にゴゴゴゴと周囲の棚が揺れ始め、アーデンは思わず手近にあったインク壺へと手を伸ばした。今度は何が始まるんだ。しがみつきながら成り行きを見守っていると揺れているのは棚ではなく、本であることに気付き、目を丸くする。
「なるほど…そっち、ねぇ」
目の前で行き止まりですよと言わんばかりに棚ギリギリまで飛び出していた分厚い本。それがゆっくりと動き始めたかと思うと棚の奥へと収まり始め。一冊、二冊と次々に仕舞われていく毎に開かれていく道の先、その先に生き物はぴょんと飛び降りてみせると、ほら見て! とばかりに鳴いてみせた。
『アーデン あれだよあれ!』
「あれ……?」
生き物の声に誘われて、アーデンは新たに出来た道を進む。最後の一冊が収まった先。そこには探し求めていたキラキラと輝く大きなクリスタルの欠片ひとつと、
「えーっと、これは…もしかしてサボテンダー…?」
の置物だろうか。等身大の立派な木彫りや大理石で出来たサボテンダーの置物。それが揃いも揃ってずらりと並べられており、アーデンは首を傾げた。これが生き物の言う“いいもの”なのだろうか…? 意味が分からないとばかりに眉を寄せれば、生き物はそうじゃなくて! と前足をぴょこぴょこ掲げ、こっちこっちと指し示した。
『こっち! こっちだよアーデン』
「こっちって…まさかこの帽子のこと?」
『そうそれ! その帽子!』
『それが“いいもの”だよ!』
「これが……?」
ミスリルで出来たサボテンダーの置物。その腕に掛けられた何の変哲もない黒い帽子。それが生き物の言う“いいもの”らしい。アーデンには全くそう見えない代物なのだが。何か特別な力でもあるのだろうか? そう思って手に取ってもみるも、やはりただの帽子のようで。一体これのどこが“いいもの”なのか。さっぱり分からないといった顔をするアーデンに生き物は分かってないなぁとでも言うようにキュウと鳴いた。
『アーデン』
『これがあれば君はもう まぶしくないでしょ?』
「………は? うん…? まぶしく…?」
『そう もうお日様こわくなくなるでしょ?』
『嫌いじゃなくなるでしょ?』
『悲しくならないでしょ?』
『だからね アーデン』
生き物が言う。
『窓の外を晴れにしようよ』
「は…………?」
それはあまりにも突飛な発想であり、提案であり。人というのは本当に驚くと皮肉どころか馬鹿にして笑うことさえ出来なくなるのだな、と思った。確かにまぶしいのは嫌いだと言ったけれども。だからと言って……だからと言ってこう来るだろうか……。
「君ねぇ…」
アーデンは驚きを通り越し、呆れた溜め息を吐いた。呆れる他無かった。だって天気も時間も自由に変えられる世界で。太陽なんて当たらなくても死なない世界で。晴れにしなくたって問題ない世界で。“晴れにしてもまぶしくないようにする”──そんな馬鹿みたいな目的のためにこんなところまでわざわざ登ってきてたなんて。
「ハハ…」
乾いた笑いが溢れた。……もう笑うしかなかった。だってもっとあったじゃないか。夜の時間にするとか、雨の天気に変えるとか。もっと手間の掛からない、短時間で済むような方法が。パネルひとつで終わらせる方法が。この夢の世界にはあったはずなのに。なのに、この生き物ときたら、パネルひとつで変わるまぶしい世界をどうこうするのでなく、まぶしいと言ってる本人をどうにかしようとするのだ。これが笑わずにいられようか。あまりにも馬鹿馬鹿しくて……そう、馬鹿馬鹿しくてしょうがなくて。アーデンは笑いながら、堪らずくしゃりと顔を歪ませる。
「……君さぁ、なんでそんなに晴れにすることにこだわるの、」
『………だって』
生き物がぐるりと窓に目を向ける。懐かしそうに、愛おしそうに、ゆるりと目を細め耳をそよがせ文字を紡ぐ。
『陽射しの差すこのお部屋 アーデン大好きだったでしょ?』
その言葉にぼんやりと思い出す。ソファに腰掛け、穏やかに過ごしたいつか、誰かを。書類へ向かうその人を。眺めているのが楽しくて、退屈で、心配で仕方がなかった感情を──。
《まだおしごとするの、──さま》
「…………あぁ、」
『…ね? アーデン』
『さぁ 窓の外を晴れにしよう?』
そう穏やかに、晴れやかに。キュイと鳴いて文字を紡ぐと。白い生き物は天気の変わるパネルへとアーデンを誘うのだった。