「こんな可愛い子に、Kneelもさせてないの?」
信じられないとでも言うようにおどけた表情で肩をすくめる男は可哀想に、とプロンプトに憐憫の眼差しを向けた。
「そんなんじゃ、その子満足出来ないんじゃないかなぁ」
だってレベル、違いすぎでしょ?
そう問いかける男に、ぞわり、と鳥肌が立った。
──レベル。
それは一般的な、軽度Dom、Subにはあまり認知されていない言葉。
しかし重度になればなるほど重要視される、持って生まれた、個人ではどうしようもないものだった。
「…あんた、誰だ」
「アーデン・イズニア。初めまして、王様」
あぁ、それと、そっちの重症の子も。
アーデンと名乗った男はゆるりとわらう。
「ねぇ、王様。王様はその子を壊す気なの? それとも単純にSubの魅力を知らないだけ?」
「さっきから何言ってんだ、てめぇ…」
「だってその子、そのままだと壊れちゃうよ」
ねぇ? と話を振られたプロンプトは顔面蒼白となる。
それは誰にも知られることのない秘密。
同じ“レベル”の人間でもない限り、察知することなど出来ないはずの変化で──
「バカ言うな! こいつはっ」
「あぁ、なるほど…王様は本当に何も知らないんだ」
レベルも、Subの魅力も、本能を抑えるこわさも、それがなにを引き起こすのかも、なにもかも。
じゃあ、教えてあげる。
アーデンは人差し指でプロンプトの顎を軽く持ち上げると、その目を覗き込み、耳に残る低い声で命令した。
「《Kneel》」
大した大きさではなかった。
なのに息が止まるかと思う程の衝撃がプロンプトの体を走り抜け、気が付けば膝を震わせていた。
それも、
───カクン
あっけなく崩れ落ち。
プロンプトは男を見上げたまま、ぺたりと座り込んでしまう。
「え、…、ぁ……うそ、…うそ、だ……っ」
大きく目を見開く。
到底、信じられるものではなかった。
Kneel──それはSubがDomに服従を示す最初の姿勢。
信頼関係が築けた先の服従行為である。
犬でいえば主人に腹を見せるようなもの。
決して見知らぬ他人相手にするものではない。
なのに、今、自分は。
「ね、セーフティって知ってる?」
どんなに重度のSubでも誰かれかまわず服従するわけではない。
むしろ重度であればあるほど、自身と同等のレベルと信頼関係が必須となってくる。
求める行為と欲求が底なし沼のように深くなるからだ。
ゆえに、重度のDom、Subは……特に後者は自身のレベルと信頼、両方に見合う相手以外、反応しないよう本能としてセーフティが存在するのである。
己の身を危険に晒さないために。
「じゃあ、なんでこいつは今……!」
「王様はまだ分からないの?」
本能を、欲求をセーフティで抑え込む。
その危険性を。その先を。
「ねぇ君、自分で思ってるよりずっと重症だよ」
プロンプトに視線だけでKneelを強要し続ける男は新しいおもちゃでも見つけたかのように嬉々とした表情でわらった。
レベルを無視して放っておいたからかなぁ?
君のセーフティ、もしかしたらもう既に壊れてるのかも。
「さて、どうしようか」
男はプロンプトの顎を掬うと、その指でするりと輪郭をすべり、かと思えば手の甲で柔らかく頬を撫で上げる。
「…っ、ん」
ぞくぞくとプロンプトの背筋にあまい電流が走った。
思わずぎゅっと目を閉じる。
ぞくぞくが止まらなかった。
「うん、イイ子」
男の手が髪を梳き、ゆるやかに頭を撫で。
跪くことを強要される苦痛とは真逆の声のあまやかさに、プロンプトは混乱した。
なんで、どうして。
不本意な命令と強いられる屈辱。
なのにそれを超えるしびれるような、沸き立つような感覚。
手を払わねばと分かっているのに、たった一言で思考が融けたように、体が言うことを聞いてくれない。
「…ぁ、っ」
「っ、プロンプトに触るな!」
そんな姿を見て激昂したノクティスがプロンプトに触れる男の腕を掴み上げる。
ギリギリと込められる指の力に、アーデンは無粋とばかりに嫌味のように鼻で笑った。
「だから壊しちゃうんだよ」
命令も、ご褒美も満足に与えられない王様(Dom)のくせに。
所有権だけはいっぱしに主張するなんて。
ぎろり、と睨み付けるノクティスの視線にアーデンはおぉ、こわい、こわいと冗談混じりにそう言って、噛み付かれる前に退散しますよ、とばかりにプロンプトから手を放した。
「あぁ、そうだ」
一度背を向けた体をくるりと反転させ、アーデンは懐から名刺入れを取り出すと、中から一枚、黒い名刺を抜き出した。
「これは俺からのプレゼントだよ、”プロンプト”くん」
王様に壊される前においで。
そう耳元で囁いて。
呆然とするプロンプトの胸ポケットにそれを差し込むと、今度こそ男は振り向くことなく去っていった。