ご近所さんの話 弐【大人夜と鴆(一部、鴆→夜)】

「……つまりだ、あんたはいつから衆道横切って稚児趣味になったんだ」
「稚児とはまた粋も何も無いもんだ。もう少し違う言い回しが出来ないもんかねぇ」

 稚児は稚児だろう。あんな子どものうちにさえ入らぬようなガキ相手に何やってるんだ! と怒鳴りたいものを必死に押さえての発言だったが、それさえも主であるリクオは気に入らなかったようだ。はぁ、と鴆は溜まりに溜まった息を吐く。鴆にしてみれば、傷を舐めてやったらくすぐったいと言いやがった、とからからと笑って話のタネにするリクオの方が信じられなかった。
 年端もいかないばかりか、あれはリクオの『実の弟』であると言うのに……!

 まぁ、実の弟とは言えどもその血は異母兄弟故に半分しか繋がっておらず、加えて半妖である父親と妖怪の母を持つ主のリクオと、反して人間の母を持つ子どもとでは同じ血を受け継げしども天と地の差があったが。理由有って別々に暮らす話となってはいるものの、何分この主、実の弟というものに興味を覚えてかそれはそれは干渉の限りを尽くしていると言う訳だ。
 それだけならば別に鴆とて首は突っ込まぬであろう。半分とは言え同じ血を有する者に情が湧かぬとは言い切れないのだから。しかしだ。最近ではその干渉もあまりに過ぎてはなかろうか、と思うのである。……何と言っても彼の者は人として生きることを定められているのだ。

 四分の一が妖怪の血で賄われているとは言え、半分以上が人の血、ならば人の世界に生きる方が容易いことは火を見るより明らかだ。だからこそ、こうして主の、奴良組の威光が及びつつも及びきれない人の世界へと母子共に暮らしているというのに……。

「稚児ねぇ……稚児つったってあと十年もすれば立派な青年となろうよ? まぁ、あの丸っこい、柔らかい感触が無くなるのは惜しい気がしねぇでもねぇが」
「あんたなぁ」
「だが、あいつ、思った以上に育つのが遅ぇからなぁ。十年経ってもあんまり変わってなさそうだ」

 それでも、あと十年が関の山ってとこか、と、そう一人うんうんと頷き、傍らに置いてあった桃へと手を伸ばし皮を剥き始めるリクオに鴆は眉を顰めた。やけに主は十年という境を気にしている気がする。十年後と言えば、確かあの子どもは人の世では成人目前の頃と思われるが、どうも主はその時期が全てを決めると言いたいらしい。寿命か……いや、でもかの子どもは妖怪の血を抱いている。そんな人間でさえ早い時期に寿命が訪れるとは考えづらい。何か言いたげな鴆の視線に気付いてか、リクオは桃を剥きながらうっすらと唇を引き上げて嗤った。

「あいつの成長はあと十年もすれば止まるだろうよ、って話だ」
「アレは半分以上が人間だぞ……。あんたみたいに多くが妖怪の血ならともかく、それは有り得ないだろ」
「いいや、止まるさ。あいつは、昼は既に人でも妖でもなくなったからなぁ」
「それは、あんたの、兄弟としての勘かい……?」
「違うな……鴆、お前のところにも回状は来てんだろうよ」

 内容は覚えてるかい? そう尋ねられた鴆は躊躇いつつも口にする。かの子どもに近寄るべからず。触れるべからず。刃向けるべからず。牙立てるべからず。
 確かに来はした。それも突然降って湧いた話のように。けれども書いてあることは理解すれど、その本意を汲みとれた者は一体どれだけいるのだろうか。……少なくとも鴆にはあの子どもの保身を約束させることくらいにしか思い付かなかった。主がそんな単純な命を下すとは思っていなくとも、その真相へは届きはせずに。ならば、とリクオは続ける。

「オレの婆さまのことは知ってるかい?」
「……珱姫さまのことかい? そりゃあ、知ってるも何もぬらりひょんさまが唯一娶りなさった、神通力をお持ちのえらく綺麗な人間の姫さまのことだろう?」
「そうさ。婆さまは人間にしちゃあ、えらく立派な力を持ってたって話だ。そりゃあ、もう生き胆を狙われるくらいにはな」

 生き胆には力が宿るとされている。何かしらの能力が有れば有るほど、その生き胆は美味なる味を齎すものだとも。まさか、と鴆は目を見開く。……まさかあの子どもに、その神通力が受け継がれたとでも言うのか。だとしても、ここいらは奴良組の傘下、生き胆信仰を未だ続けている者など、そう滅多にはいないし、そうでなければ、いくら総大将の妻とは言え、この地で生を全うされることなど出来なかったはずだ。

「鴆、おそらくお前の勘はそう遠くはないだろう。だが当たってもいない。確かにあの力はどういうカラクリか知らねぇが、人間の血にしか継がれねぇようだからなぁ」
「じゃあ、本当に治癒の力があんのかい……?」
「結論から言えば、それは分からねぇ。昼の場合、何て言うのかねぇ……血が四分の三の分、力を集中させるのに欠ける、というのが正しいか」
「どういうこった……?」
「あいつは生き胆なり手のひらなり一つのところに力を集められねぇってこった。力が全身を巡ってる。だからその身全てが力の固まりみてぇになってんだ」

 その証拠にあいつの怪我は大抵が次の日にはけろりと治ってやがる。老いてゆくだけの細胞を治癒し続けるであろうその力は、人間が求めて止まない不老不死にも似ている。まぁ、簡単に言やぁ、あの体は妖怪にとっちゃ永久に朽ちない水蜜桃みてぇなもんなんだよ、と剥き終わった桃を行儀悪くがぶりと齧って、手首に滴った蜜をぺろりと舐め上げながらリクオはそう言った。噛みつけば甘い水蜜の味がするだろうよ。齧れば水蜜のように力が滴り落ちるだろうよ。……あの子どもの体はそれこそ今、甘い匂いで妖怪を呼び寄せている。本人も無自覚のままに、その体は妖怪たちを誘っている。

 ぞくり、と鴆の肌が粟立った。……それは目の前の主がじゅるり、と音を立てて桃を貪る色に惑わされてか、はたまた辺りを満ちる桃の香からその子どもの匂いを連想してか。
 確かに、そのような子どもが他愛なく界隈を闊歩しているとすれば、妖怪の身としては堪らないであろう。本家の目さえ無ければ、たちまちにも子どもは喰われてしまうに違いない。回状を回したからと言ってもそうだ、妖怪は目先の欲には弱い。力溢れる〝餌〟が目の前にあるとすれば余程の自我が無い限り牙を向いてしまうだろう。

「今日もガゴゼ会の奴らが回状を無視して牙を向けやがったしな」
「……斬ったのかい?」
「いいや、〝まだ〟だ。他にも追いかけ回してた奴らを幾らか放って置いてはいるが……そろそろ潮時かもしんねぇな」
「オイ、……言っちゃなんだが、そんな末恐ろしいガキ相手なら生半可な奴らにゃあ、そう簡単に我慢なんぞ出来ねぇんじゃねぇのかい……?」
「昼にも責があるってか? まぁ、誰彼構わず引き寄せるんだから性質が悪いっちゃ悪いな」

 だがよ、そもそもあいつに近付かなければ良いだけの話だろう? 回状にもそう書いたし、あいつを使ってオレに対する何かしらの目論見立ててんならそれこそ白黒はっきり付けさせてもらわねぇと、なぁ? そういうケジメは大事だろうよ……?
 またも桃を大きく一齧り。それと同時にぐちゅり、と音がしたのは主が握る指に力を込めたせいか。何はともあれ、かなりの割合であの子どもに肩入れしていることには間違いないのだろう。

「リクオ…っ、オレはお前が狙われてるなんて初めて聞いたぞ……! それに潮時ってのは一体どういう意味だ?」
「ふん、今日初めて言ったしな……。まぁ、オレの場合、結局は昼に踊らされてんだから問題ねぇよ。潮時ってのは……聞きてぇかい?」
「質問を質問で返すんじゃねぇよ……。まぁ、少なくとも、事を穏便に進める気がねぇってことなら耳にしときたいな」
「穏便にねぇ……。それはそうさな、全ては昼次第と言ったとこか――なんせ、オレはあいつを屋敷に迎えるつもりだからな」
「ハ……? いや待て、それは……」

 人の子として生を全うさせようとする約定を破ることにはならないか。そう声にならない言葉に、リクオはそれこそハッ、と鼻で嗤った。……馬鹿言っちゃならねぇ、それは親の決めた話だ。子が己の未来を己で定めたのならば誰にも文句は付けらんねぇもんだ、と。つまりだ、この主はかの子どもに己から屋敷へ来るように仕向けると言うことか……。怖ろしい男である、と鴆は思った。兄弟のため…、否、執着した相手であればどんな手を用いてでも手に入れるつもりか。もちろん、主のことだ、そこに卑しい手段は無いのだろう――全てが道理に叶い、されどどこか歪んでる、始めから平行には引かれなかった、いつかどこかで必ず交わる美しき直線のように。けれども、ここで一つの疑問が思い浮かぶ。かの婆さまとは違い、子どもは芳醇な香を撒き散らすと言う。……ならば屋敷に呼び寄せたとして、そこに住む者たちがその子どもを狙わずにいられようか。いられたとしても大変な忍耐を強いるのでは無かろうか。
 一人の相手のためにそこまで主が残忍な所業をするはずなど無いと信じつつもついつい口に出してしまうと、主はぱちくりと目を瞬かせ、そうかと思えば相変わらず鴆は頭が硬いこった、とからから笑った。

「そんなの、人の血を無くせば良いだけのことだろう?」
「あ……?」
「オレは別にあの匂いがするから、あいつを欲しいと思った訳じゃねぇ」

 そりゃあ、あの甘い香りは嫌いじゃないが、それが障害となるならば取り除くことさえも構わねぇし、人の血を失えば寿命なんぞ有って無いようなものだから一石二鳥だしな。そう淡々と言葉を発す主に鴆の肝はひやりと冷えた。
 人の血を無くすなど、そう簡単に為せることではない。……出来るとすれば一つ、この組にも牛鬼というそんな末路を辿った男がいる。一つの結論に辿り着くには十分なその思惑に鴆はごくりと生唾を呑み込んだ。

「…まさか、あの子どもを魔道にでも堕とすつもりかい……?」
「さぁな」
「止めておけ、どう堕とすかは知らねぇが、」
「オレが堕とすかどうかはさておき、どちらにせよ、今一度選ぶ時がくる。……変わらぬ体を持て余しつつ人を取るか、それとも妖を取るか」
「惨たらしいな……あんたは時折、オレたち生粋の妖怪よりよっぽど妖怪らしくて堪んねぇよ。今のお前さんは、まるで……、鬼だ」

 鬼、という言葉にリクオは毒気を抜かれたようにその目を丸くして、しかしすぐにくっくっと可笑しそうに喉を震わせた。まるで言い得て妙とでも言うように。

「鬼、鬼ねぇ……鴆よ、妖怪なんぞ、その半分は鬼みてぇなもんじゃねぇか」
「間違いとまでは言わねーがよぉ……、じゃあ、あとの半分は何だって言うんでぇ…?」
「そりゃあ、お前決まってる。残りの半分はお前みたいな獣だろうよ」

 なぁ、鴆? と主は問い掛け、食べかけの桃を置いて、にぃっと艶めかしく口端を上げた。全てを見透かしている紅い目はゆうるりと細められ、誘うように滴る水蜜を舐め上げるその様は、喩え義兄弟の杯を交わした者でも惑わされてしまいそうな程、色を持つ。
 分かっているのだ、この主はどうすれば相手がそのような心地を抱き、どう動かせるのかを。ちゃんと知っているのだ。
まさに意地の悪い御方。……だと言うのに、それを諌めも離れも出来ないのは、鴆がこの主に多少ならざる気を持ってしまっているせいなのかもしれない。ひらりひらりと闇に浮かぶ白い手首を捕え、鴆が獣のようにそっと舌を這わせると、その舌の上では酷く甘い、蠱惑的な蜜の味がした。

(言わぬが花)