夜若→攻若→昼若→夜若

「……ん…」

 微かな声を上げて、昼が目を覚ます。散々、貪られた体は疲労で気だるいのか、自分がすぐ傍にいると言うのにぼんやりとその視線は宙を彷徨った。ぐるりと部屋を一周して、それからようやく視線が合う。かと思えば、

「……よる…?」

 名前を呼ぶ。自分の名前を……でも自分ではない、その名を。

「……って、きみ、か」

 どこか気落ちしたような、納得したような、そんな声が続く。分かっている。夜というのはこの子にとって自分ではない。片割れの、自分ではない夜を指している。そう、この子は――昼はいつからか自分のことを名前で呼ばなくなっていた。いや、逆かもしれない、片割れを夜と呼ぶようになったのかもしれない。その意味をおそらく昼も、呼ばれている片割れも気付いてはいないだろう。気付いているのは自分だけ。呼ばれなくなった自分だけがずっとその意味を持て余している。

「あいつは枝の上だぜ」

 少しだけ意地悪を言いたくなって、情事が終わったら逃げるようにさっさと出て行った、と遠回しに告げれば、ふぅんと気の無い返事が返ってきた。予想の範囲内ではあるのだろう。やつにとっていつもの事であるから。

「風呂に行くかい?」

 それと違って、自分はずっと傍にいる。昼が気を失っても、体を清め、それから目覚めるのを待っている。連れていってやる、と言外に告げる自分に、良いよ、ひとりで行くからと言って昼は慣れたようにゆっくりと立ち上がった。ちらりと重ねられた視線は、君はまだそこにいるんだ、と待てを言い渡していた。兄だと言うのに、まるで犬扱いだ。それでも良い、と思った。……犬というだけで傍にいれるなら、それくらい容易いことだと。言われた通り、大人しく浮かしかけていた腰を下ろすと、向けられていた視線は心底不思議そうなものへと変わった。

「前から思ってたんだけどさ……なんで君、そう甲斐甲斐しいの?」

 ふと、投げ掛けられた言葉に瞬いた。いつだってやりたいことをやっているだけで、甲斐甲斐しいとかそういうの、考えたこともなかった。

「さぁな……まぁ、てめぇの好いた相手なんだ、世話くらいしたいだろ?」

 世話をしたいし、されたいし、触れられたいし、触れたいし。敢えて言うなら、ごくごく普通の欲求が、ちょっとばかし過剰に見える形に変わっただけのことだろう。あぁ、でもな、と言葉を切って見上げると、従順な犬の顔から一変、獲物を狩ろうとする狼のように、にぃと口端を上げた。

「手綱はしっかり握っておくんだな」

 犬と言っても所詮、獣。いつまでも大人しくしていると思っていれば手痛いしっぺ返しを食らうだろう。それこそ下手をすれば飛び掛かって、そのまま喉笛に噛み付き、喰われるかもな、と忠告して、するりと昼の腰に抱き付く。そんな気無いくせに、と昼が笑った。

「――……さぁて、どうだか」

 帯を締めず引っ掛けただけの合わせの合間に顔を埋めて、薄い腹の上へと唇で辿る。くすぐったいのか、ぴくりと昼の体が震えた。日の当らぬ白い肌……その上を舌でゆっくりとなぞり上げ、ちゅう、と音を立てて吸いつけば、赤い痕が浮かび上がった。それに言わずもがな、昼が眉を顰める。

「君ねぇ……」
「ダシにされてんだ。これくらいしねぇと割りに合わねぇよ」
「言ってること、意味分かんないんだけど……」

 つまり、かまえってこと? と少々見当外れのことをのたまってくれたが、悪い話ではなかったので口元だけで笑うことにして、是も否も答えなかった。それにはぁ、と呆れたような溜息が吐かれる。

「……一緒にお風呂、入る?」

 そう言って昼が外を一瞥したのは、わざとなのか偶然なのかは問わないでおいた。

 

 

 知っている、この関係が見た目通りのものではないことも。知っている、自分が求め、愛されているようで、そうでないことも。知っている、自分を取り合うことで二人が互いに不器用ながらも触れ合っていることも。きっと共通の趣味を持っていると親しくなりやすいとか、ライバルがいるほど燃えるとか、そんな感じなのだ。ひとつのテディベアを二人で反対方向から引っ張り合うのと同じ。でもそれはテディベアが欲しいんじゃなくて、同じものを欲しがっている自分を相手に見せたいだけ。
 なればこそ、と男は思う。このままずっとずっと気付かずにあればいいと。自分は恋のキューピッドではない。手足がちぎれるまで取り合われるテディベアだ。愛してくれる二人が、ただただ大好きな第三者。だから教えてやらない。この子が眠っている間にあいつがいかに愛おしそうに目を細めるのかも。ああやって自分を使って嫉妬を煽ろうなんて無意識に掠めるこの子の考えも、絶対に教えてやらない。
 だって、オレはまだまだ愛されていたいんだ。昔、三人が同じような好きで入られた頃のように、求め、愛され、変わらぬまま、ぬるま湯にいつまでもいつまでも浸っていたいのだ。例えそれが、どんなに酷いまやかしであろうとも。