異母兄弟パロ 壱

 細い瞳だった。日の下に彷徨う猫のように細くしなやかで、なのに紅を支配するその黒い瞳はとても綺麗。注意深く睨みつけるのに無関心。その一方で声を掛ければ眩しそうにしながらも睥睨する。そんな目だった。

「夜のおめめは紅くてきれいだね」

 五年経って初めて逢った兄は異母兄弟のくせにどんな偶然か必然か、同じリクオという名で、自分が人間であるのに対して妖怪であった。お互い同じリクオと呼び合うのはおかしいよ、と言えば、じゃあお前は昼に生きる人間だから『昼』、オレは夜に生きる妖怪だから『夜』で良いだろ、となんとはなしに決まった。まぁ五歳の身では人間だの妖怪だの区別する意味などほとんど分からず、とりあえず目の前にいるのは兄であり夜と呼べば良いのだ、とそれくらいにしておいた。

 兄はとても綺麗だった。白とも銀とも言えない白銀のキラキラした髪もそうだし、何と言っても紅い目は本当に昼のリクオの興味を引いた。人間とは言え、周囲は妖怪が世話をしてくれてたし、たまに外で妖怪を見かけることもあるけれどこんなに綺麗な紅の目をしていた者はいなかった。

「ほんと、きれい」

 思わずぽつりと洩らした呟きにじろりと紅い目はこちらを見るも、すぐに逸らされる。兄は簡単な挨拶と呼び名を決めてからずっと沈黙を保っていた。黙ったままの綺麗な姿はまるでお人形にそっくりで、妖怪であるがためか昼間であればそれこそ儚く見える。

「よる」

 紅い目がもう一度ちらりと向く。綺麗な目、紅い紅い怖いくらいうっとりさせられる宝石の目が自分を見ている。それが誇らしくて、同時に無性に〝欲しく〟なって、するりと昼のリクオが手を伸ばした。自分より真白い兄の頬に自分の小さな紅葉のような手のひらをぺたりとくっつけて、そのまま目尻へと這っていく。

「……ッ…て、ちょっ、お前何してッ…!?」

 始め、何なのだと訳も分からず茫然と黙っていた夜のリクオは危なっ! と叫んで慌てて昼のリクオの手を掴んだ。そして先程と打って変わってそれはそれは大きな声で怒鳴りつける。

「昼っ、お前、オレに何の恨みがあるんだよ…!!」
「あ、夜、しゃべった!」
「人の話を聞け! なんでお前は黙って大人しくしている奴の目ん玉に、指突っ込もうとしてんだよ!!」

 しかし夜の怒鳴り声などよそに昼のリクオはしゃべった! しゃべった! ときゃっきゃっと笑う。小さい子どもの興味などそれこそ瞬く間に変わっていく。それに夜のリクオは諦めたように項垂れ肩を落とす。

「……あぁ、そうだった、お前にはオレを憎む理由も嫌う理由もあったな……」

 だがいくらオレが嫌いだからといって幼い子どもが普通そこまでするか? はぁ、と溜息を零しながら夜のリクオは掴んでいた昼の手を離した。

「オレはお前に一切の危害を加えない。そういう誓いを立てている」

 それとも本家の奴はここまでするもんなのか? そう曇った表情で問い掛ける夜のリクオに昼のリクオこをこてん、と首を傾げた。

「? ……よくわかんないけど、ぼくは夜のこと、きらいじゃないよ。だって夜はとってもきれいで、おもしろいじゃない!」
「………お前は変な奴だな」
「ヘンなのは夜だよー。うちにいるみんなは、ぼくにあんな大きな声でおこんないもん」

 ねぇ、夜、遊ぼう? 雪女がおはじき作ってくれるんだ! ぱっと思い付いた案から両手で夜の右手を引っ張り立たせようとするも、夜はバツの悪そうな顔をした。……その提案こそがまだ本家に来たばかりの夜のリクオにとって都合の悪いことになると、昼のリクオが知る由もない故に。

「………昼、二人っきりじゃダメか?」
「夜、ねむいの?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
「じゃあ、お昼寝しよう!」
「え、……は?」

 握った手はそのままにぺたん、と膝を着くと体重よろしく体重よろしく夜もろとも畳に転がる。一体何なのだと目で問えば、そう言えばね、この前首無が妖怪はふつう昼は眠ってるって言ってたからね。夜も妖怪だしお昼寝しようよ? とにこにこ笑い掛けるだけに終わる。

「オレは別に昼間起きてても問題は……」
「だからね、夕方になったらあそぼうね」

 じゃあ、おやすみなさい。そう言ってさっさと瞼を下ろす昼に、夜は慌てて肩に引っ掛けていた羽織を掛けてやる。その顔は不可解としか言いようのない表情を浮かべていた。

(――昼、……お前が真実を知った時、お前は一体どんな顔をする……?)
(オレがお前の未来を奪ったと知った、その時、お前は……)

 夜のリクオの呟きはきつく唇を噛むことで己の胸の奥深くへと沈んだ。

 

 

 

 母はかつてとても美しい乙女だと言われていた。山吹の花のように優しく美しい清らかなる乙女だと。その母は東日本総元締の二代目頭領である奴良鯉伴に見初められ籍を入れ、長くを共に生きた。けれどもその間、二人の間に子が出来ることはなく、肩身の狭い母は家を後にするしかなかった。
 ……母は気付かなかったのだ。去る直前にその腹にはずっと望んでいた新たな生命が宿っていたことに。

 やがて母は独りで子どもを産んだ。その容姿は愛したかの夫、鯉伴にそっくりな男の子どもであった。そうして母と子しばらくの間、――人としては長い時――を二人で過ごした。母は相変わらず美しいままで、父の武勇伝を目を細めて何度も何度も語った。それだけで満たされていた、十分だった。
 ……なのにささやかなしあわせは、いつしか終わりを迎える。

 何の因果であろうか。母は謀反者となってしまったのだ。母は何十年、何百年経とうと別たれた夫を愛していた。愛して、求めて已まなかった。それは子どももどこかで知っていた。だから母はきっと許せなかったのだろう。かの夫が新しい妻と、そしてその妻に抱かれた妻そっくりの子どもに寄り添いしあわせそうに笑うその姿を。全ては偶然だった。かの夫との邂逅も、かの夫が洩らした古歌も。

山吹の古歌、母が唯一残した面影――なのに、なぜ……?
 なぜ、かの人は自分と寄り添っていないのだろう。なぜ、かの人はあんなにしあわせそうに笑っているのだろう。私が、隣に、いない、のに、なぜ、なぜ――……。母は美しい妖であったが、強い妖ではなかった。心に落とした影はすぐに他の妖を引き寄せた。奴良鯉伴への殺意を有するモノを呼び寄せてしまった。なぜ、とぽつり零した母の言葉。そしてじり、と踏みしめられた地面。その瞬間、体は動いていた。
 ゆらり、と幽鬼の如くかの夫の前に躍り出た母。驚愕に目を見開き動けない男。腰に挿された刀の柄に手を伸ばす母。にこにこと笑っていた顔が凍りつき茫然とする妻と、何が起こったのかさえ理解も出来ぬ幼子をかばう子ども。滑るように、覗いたと同時に銀の抜き身が男を串刺しにして。抜きざまに噴き出す真っ赤な血の飛沫。ゆっくりと流れていく目の前の光景。じろり、とこちらを見る母の目。真っ赤な真っ赤な血の色をした目。ぬらぬらと紅く濡れた刀身がこちらを向き。

「――母さんッッ……!!」

 記憶はその後曖昧で。

 

 

 気が付けば己が手は紅く染まっており、傍らには同じく紅く染まった抜き身の刀。そして、首の無い母。黒い翼を広げた鴉天狗と名乗る妖怪が駆け付け、見知らぬ屋敷へと連れて行かれ、事の始終を問いただされ現実の感覚を失っている間に何もかもが終わっていた。母の焦がれた夫は結局助からず、母の体もそれはそれは醜く朽ちていった、と。初めて見た父は血まみれで、最後に見た母も血にまみれていて。なのに最期を見送ることは赦されず、紅く染まった記憶に焦がれたまま気が付けば遠野という場所に送られた。

 そして幾年の末、迎えられたのは、かの父の生家であり、かの妻、かの子どもが過ごす屋敷であった。謀反者の子どもとはいえ、その首を刎ねたこと、かの妻子を守ったこと、そして何よりその身に四分の三もの妖怪の血を宿していることから、多くの誓約と引き換えにたった一つの立場と未来を与えられる。それすなわち、亡き父の跡目、三代目を継承すること――かの幼い子どもの未来そのものを奪うことに繋がるなど思いもせぬままに。