約束 参

 本当は。本当は殺す気だったのだ……三代目、というそのひとを。

 生まれながらにして鴆毒を抱く自分は誰よりも強く、如何様にも鴆毒を操ることが出来た。しかしその分だけ、誰よりも醜いとされていた。幼い体を取り巻くのは毒に冒された証である紋様で、その髪と目の色は、他の鴆たちを若草色と呼ぶならば、枯葉色と呼ぶべき色を宿していた。生まれながらに枯れ落ちた鴆。それがこの屋敷での自分の二つ名でもあった。
 枯れ落ちた鴆は生まれた時から忌み子であった。この世に生まれ堕ちた時、母という者をその毒で冒してしまったのだ。所詮、傍流の子ども、当代の鴆よりも強い毒に当たっては当然、生きながらえることなど出来るはずもなかったのだ。だが父はそれを理解しながらも自分を決して赦しはしなかった。
 ……と、話には聞いている。
 実際のところ、よく知らないのだ。生まれてまもなく自分は当代、鴆の元に引き取られ、その父と呼ぶべきひととは未だ会ったことがないのだから。どうしてそんな傍流の子どもが、それも忌み子とされる自分が頭首に引き取られたのかと聞けば、全ては三代目、というひとのためだと皆、口を揃えて言った。忌々しいことに――そんな聞こえない悪意を頭に付けて。
 三代目、というひとがどういうひとなのか、よく知らなかった。頭首である鴆の主であるということ。十の歳になればそのひとの元に送られること。そのくらいだ。与えられた情報は本当に少なくて、姿かたちも思い浮かぶことはなかった。でも、これだけははっきりと言えた。自分は、その三代目、というひとを心底恨んでいるのだということを。
 三代目というひとがどんなひとかは知らない。ただ思うのだ。思い付きか何かは知らないが、自分を引き取りたいなどとそんな気まぐれを起こしてくれなければ、自分の生はもう少しまともになったのではないかと。

『そういう』生だった、自分の生というのは。血反吐を吐かぬ日が無いくらいに、この体は脆く、誰もが自分に様々なものを叩き込んだ。それは知識で合ったり、体術で合ったり、言われなき言葉で合ったり。
 決まってしまったのだ。三代目というひとが自分を貰い受けると言った瞬間に。自分の生というものが。
 ただでさえ忌み子と嫌われる子どもに、この一族さえも束ねる三代目というひとの『贔屓』は優しいものであるはずがなかった。教えられる知識は如何に幼くとも次の時には知っていることが当たり前で、知らなければその度に折檻された。
 体術を学ぶにしても、叩き込まれた基礎を抜けばおそらくほとんどが命の駆け引きをしていたに違いない。必要以上に屋敷の外にも出してもらえなかった。暗い屋敷の奥、どろりと濁った息苦しい部屋が全てだった。全ては三代目の御ために。まるで免罪符の如く口に出されるその言葉が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

 きっと子どもながらに三代目というひとを呪い、怨嗟することで心を支えようとしていたのだろう。誰かを怨むことでこの屋敷に満ちる、自分に向けられる悪意を紛らわそうとしたのだ。そういう世界しか知らなかったから。世界は自分に優しくない。それだけは誰に言われずとも知っていた。常に誰かが自分に悪意を向ける世界。それが世界の真実だと思っていた。だから、三代目というひとも自分を引き取ってただいたぶりつくすだけの主なのだと信じて疑わなかった。
 だから、

「 はじめまして 」

 初めて目の当たりにした三代目というひとが、自分を見た瞬間、本当に本当に――……零した表情に、わけが分からなくなった。ひとはこんなにも柔らかな顔が出来るのだと初めて知った。それを〝笑み〟と呼ぶのだと知らなかった。知らないのに、じわりと胸の奥が熱くなった。

 

 

 殺すつもりだったのだ。
 傍流に生まれたはずの自分は一派の誰よりも強い毒を秘めていて、その毒で三代目というひとを死に追いやるつもりだったのだ。喩え、逆恨みだと分かっていても、もう心に決めていたのだ。どうせ母を殺めたのだ。今さら一人増えようとさして己の罪が変わるまいと。どこかで何かを諦めて。しかしそれは三代目というひとに逢うまでの話だった。向けられた表情に、纏う美しくも強大な畏れに、自分は殺せないと思った。力でなく心が屈服していた。悪意ばかりだと思っていた世界が初めて、子どもに小さく小さく微笑んだ瞬間だった。