約束 肆

「はじめまして――幼い鴆……いや、昼、と呼んだ方が良いか?」

 聞き覚えの無い名前。与えられていた呼び名とは掠りもしないその響きに、反復するよう、ひる? と首を傾げると三代目はあぁ、と言って目元を和らげた。

「お前のその色は昼の世界の色によく似ている。この目は陽を溶かし込んだ色、この髪は光当たる大地の色だ」

 それは美しい世界の色、生を表す大地の色。気に入らねぇかい? と続けられる言葉の端々におそらく誉められてはいるだろう感触が見受けられた。枯れ葉色と蔑まれていた自分をそんな風に例えるひとは初めてだった。美しいという言葉に少しだけ頬が赤くなった。
 しかしいまいち実感が湧かないのは、それが想像のつかない世界だったからなのかもしれない。元々、体の脆弱さを理由に屋敷の奥で囲われていた自分は外の世界をほとんど知らないのだ。昼の外の様子など言語道断。妖怪は闇の中に住まうもの、それを体現するかのように光とは無縁に生きてきた。

 頬を赤くしつつも不思議そうにぱちくりと瞬けば、もしかしてお前は外を知らないのかい? なんて問われる。それについ、口をつぐんでしまった。必要な時には(夜闇であったが)外に出たことはある……だから全く以て知らないわけではなかった。だからと言って多くを知っているわけでもない。さて何と答えれば良いだろうか。僅かながらに機嫌を下降させたと見える三代目を前に悩んだ。嘘を吐くのは憚られる。でもこれ以上機嫌を悪くされても困る。
 何が原因でその心の琴線に引っかかったのかは知らないが、不利な流れにはしたくはなかった。幼いながらもそういう狡猾さ、あざとさは人一倍あった。他人を不快にさせて碌な目に逢ったことはない。ただ自分が傷つくだけ。それを知っている故に出来るだけそうさせぬようにと、常に相手の望む正解を探し、求めてきた。それが自分なりの処世術だった。

 三代目というひとが、何を求めているのかを求め、じっと視線を向ける。このひとは誰かと話す時、相手の目を見て話すようなひとに思えたのでそうした。そこにそれ以上の深い意味は無かった。そうすれば、忌み嫌われた金茶の目に赤いその目は合わせられ、細まった。どうしてか心底、嬉しそうにして。

「見たことがねぇなら、今度、体調が良い日に『夜更かし』でもすると良い」

 特に透き通る空の色は、びっくりするくらい綺麗だからな。そう言って子どものようににかりと笑う。

「透き通る……?」

 それがどういう意味なのか分からなかった。夜の空は決して透き通ることなど有り得ない。あれは何もかもを呑み込む深い色だ。その色が五刻やちょっとで透き通るものへと変わるのだろうか。そして再び闇の色へと戻るのだろうか。光一筋届かない屋敷の奥部屋で、分からないと言った顔をすれば、三代目がガリガリと頭を掻いた。

「あー…なんていうのかねぇ…透き通るってのは、水色っていうのかい?」
「とりあえず……水に色はないかと」

 疑問を疑問で返されても困る上、特にそれは子どもでも知っていること。掬ってみれば分かる、水に色というのは無い。対象の像を歪めて屈折させるだけだけだ。確かに透き通ってはいるのだけど、今、自分たちを覆っているこの薄暗い色が無くなってしまうのか。やっぱりよく分からないと言った顔で眉を寄せると、お前は一休さんか、と三代目は唇を尖らせた。一休さんというのが何者かは知らないが、今さっき自分のことは『昼』と呼ぶとか何とか言っていた気がする。そう口にすれば、やっぱりお前には口で勝てる気がしねぇな、とこれ見よがしに肩を竦められた。それがそう、まるで前にもこんな問答を繰り返したような言葉なので、以前、このひとと会ったことがあるのだろうかと思うも、こんなに印象深い人と会って忘れることないだろうと頭を振る。こんなに優しいひとになど、会ったことは、ない。

「あー…じゃあ、夜の空の色は知ってるか?」
「…そのくらいは、」
「それじゃあ、それにたくさん水を混ぜてだな……絵の具は分かるかい? その要領で、だ。それから紙に薄ーく伸ばした感じの色がそれだな」
「それが水色…?」
「まぁ、正しくはないが近いもんだろ」

 ほら、想像してみな、と言う三代目に従って言われた通りに考えてみるが、思えば不思議な話だな、と思う。だって水に色は無い。なのに夜の空を薄めたらそんな色になる、というか近くなる。ならば、それはつまり、

「水色じゃなくて空色なんじゃ………」

 そう言って、ぁ、と零し、ぱちり、と一つ瞬いて。にやりと目の前の形のいい唇が吊りあげられた。

「そうだな、空の色だ」

 空の話をしていて、空の色を想像していて、その答えが空色で。三代目は楽しそうに笑っていた。反対に、自分は結局このひとは何を言いたかったのだろうと首を傾げる。毒にも薬にもならない話だ。そんなことに時間を割いた、その事実が驚きだった。それでも。

「今度、答え合わせしような、昼」

 それでも、三代目は綺麗に笑っていた。