約束 弐

 生まれながらに毒を抱く鴆が生まれたと言う。その知らせを聞いた瞬間、それが昼であることをリクオは確信していた。幼友であった、かの兄貴分である鴆から数代、親交は多少薄れようとも現在も良き下僕である鴆一派の当主へその子どもに逢わせろと迫ったのは言うまでもなかった。しかし無情にも返ってきたものは否、という言葉であり、続けられた言葉に夜はほとほと嫌気が差した。

「――夜若様、恐れながら申し上げますが、あの子どもは生まれながらにして私どもの力も優に超えるでしょう」

 傍流の子どもだった。傍流のそれも血の薄まりきった一派の父親と母親の子ども。普通に考えれば両親程度であれば超えても可笑しくない話だった。その逆もまた然りである。ただその言葉は両親などではなく現頭首のものだった。直系の、誰よりも濃い、鴆の血を授かったはずの者の。

「みすみす我が主を危険に晒すことは出来ますまい」

 く、と鴆の口角が上がったのを夜が見逃すことはなかった。呆れたものだと思わず溜息を吐きたくなる。つまりだ、この男はこう言っているのだ、自分よりも力を秘めた赤子、それは力も制御も出来ぬ、言わば抜き身の刃と同じ。その毒でうっかり自分を傷つけては大変だ、と。……あくまで表向きは。

「十年でよろしいのです。十年で我らの誇る全ての知識、技術、精神をその子どもに与えましょう」

 我が主の側に相応しいものとして、鴆一派のひとりとして恥の無いよう仕上げますゆえ。そう言って深々と頭を下げる鴆に夜は一笑に付した。いつからだろう、こうして自分がもらい受ける先々でこのようなことを言い出す輩が出るようになったのは。夜はただ、昼の生まれ変わりである子どもが傍らに居れば良かったのだ。引き取った先の一派を特別、目に掛けるようにしたのも優しいその子が気にしなくても良いようにと思っただけで。
 なのにまたも、ここぞとばかりに甘い蜜を吸おうと馬鹿なことを考える輩は生まれる。如何に自分に取り入られるか。どうすれば尚、目を掛けてもらえるか。いやはや、上手くいけば内から自分を操れるのではないか。そんなことばかり考えているのだろう。
 それもそうだ、他からすれば妾と同じなのだ。それを否定するのにも疲れたし、今更やろうとも思わない。あの子に届かないのであれば放っておいても構わない。だが、今はそれとこれとは話が別だった。

「オレに鴆毒は効かないことは、お前も既に知っていたと思っていたが?」

 関係無い、とそう一刀両断する夜に、いいえ、と鴆は首を横に振った。

「あの子どもは生まれながらにして毒に蝕まれております。確かに夜若様、あなたは平気でしょう。だが、あの子どもも……赤子も果たして同じと言いきれますか?」
「……」

 ただでさえ脆弱な赤子。そこに成人した鴆さえも吐血を齎すほどの鴆毒。その上、自分の強大な妖気に囲われ、果たしてその赤子は生きていけるのか。そう鴆は問うているのだ。最大にして最高の切り札。それは鴆の手の内にあった。夜も予想していなかったわけではない。こういう切り方をしてくることも。言われなくとも分かっていた――おそらく今、息をしているだけでも求めている赤子は奇跡のような存在なのだ。鴆毒に冒されるということはそういうことなのである。本当は有り得ないこと、あってはならないことが起きているのだ。つついただけで音を立てて崩れ落ちたって可笑しくはない。そう、夜が黙したのを良いことに、鴆はゆるりと目を細めるとこちらの勝利だとばかりに唇を弧にして見せた。

「なに、あと十年だけのこと。夜若様が待たれていた時間を思えば呼吸一つと同じことでございます」
「……鴆、お前が約定を違えねぇことは知っている。だからオレはお前を信用して待つことにする――――だが、」

 一瞬にしてすらりと抜いた祢々切丸を鴆の首へと宛がった。

「傷つけることは決して赦さねぇ。お前たちのことだ。傷の残らねぇ治療をするかもしんねぇがな、痕は必ず残るもんだ」

 それは心に、記憶に、歩き方一つにさえ。
 肝に銘じておけ、と口にする夜に、鴆はしばらくの間、閉口するも御意、と小さく小さく呟いた。

 

 

 

 開けた障子戸の先で、一番初めに言う言葉は決めていた。

「 おかえりはじめまして 」

 嬉しくて、思わず笑みが零れた。もう大丈夫だと言ってやりたくなった。そんな夜の心情を知ってか知らずか、冷えた金茶の色を宿した子どもは、驚きと惑いにぱちくりと瞬いて、じわりとその目に熱を灯すのだった。