鴆と子リクオと父

「ねぇ、おとうさん。どうして、ゼン君には名前が無いの?」
 ことり、と可愛らしく首を傾げた息子にそんなことを聞かれた。
「? 名前ならあるだろ? 鴆、てお前も呼んでるじゃねぇかい」
「違うよ、それは妖怪の種類の名前って、この前ゼン君言ってたもん」

(オレは鴆って妖怪だから――…)

 幼いのに、そんな細かいところもきちんと聞いている。子どもは時に大人以上に侮れない、と思ってしまう。その一方で、それに、それに、と小さく飛び跳ねるのは年相応のものを感じさせた。

「それにね、しょーえい君にはちゃんと名前あるよ?」
「しょーえい…? あぁ、狒々の息子か」

 だから、ゼン君にもあるんでしょ? 教えて、教えて、てせがむ子どもに父として叶えてやりたいのは満々だが、何分知らないものはしょうがない。興味が無かったのも一つだし、そもそも鴆の父親が生きてるうちに息子の存在を話すことも無かったのが主な理由だ。共に戦い、死した父親を継ぐ、と本家に乗り込んできたのが初対面であり、その時からゼンは鴆だった。小さな子どもとは言え、頭を継げば名は組と同じものとなる。頭は組の象徴であり、本質であり、組そのものなのだから当然と言えば当然だ。けれども、それをリクオに話したところでこの子どもは納得などしないだろう。
 自分たちがぬらりひょんの息子、ぬらりひょんの孫と呼ばれていても、きちんと奴良鯉伴、奴良リクオ、と名前があるのだから。それが特殊だと言っても、リクオの言うしょーえいさえ仮の名だとしても首を縦には振らない。この幼い子どもは名前が大切なものだとちゃんと知っている。

「あー……そうだな、鴆本人に聞いてみれば良いんじゃねぇかい?」

 とりあえず、こうなった息子は少々骨が折れるので、他の誰かに回すのが最適だ。名前は大切なもんだろ? だからオレからじゃなくて本人から聞かなきゃいけねぇもんだ。もっともらしい正論も述べてみる。そっかぁ! とキラキラと瞳を輝かせる愛らしい息子を、正直あのぶすくれたガキに赴かせるのは気が向かなかったが、この際しょうがないというものだ。これから無理難題を押し付けに行くのだし。さて、鴆はとっくの昔に捨てた名を再びリクオに教えるものだろうか。妖怪として、それはありえないとは思うが、その場合リクオの質問責めになんとも悲しい結果しか見えてこないのは自分だけだろうか。

「なぁ、リクオ」
「んー、なぁに、おとうさん」
「もしもだ。もしも鴆がお前に名前を教えられない、と言ったら……」

(――その時はお前が名前を付けてあげると良い)

 2人だけの秘密とでも言えば、あのガキは嬉々としてリクオに名前を付けられるだろう。迷惑掛ける父親からの餞別だ、ありがたく受け取りやがれ。2人だけの秘密、という言葉にきゃっきゃとリクオは笑う。子どもは秘密が大好きで、名前は大きな意味を持つ。

「ほーらリクオ、出掛けるぞ」

 向かうは薬鴆堂、リクオの大好きな義兄弟のいる屋敷だ。リクオを抱き上げ、朧車を待っている間も、腕の中の子どもは楽しげに笑っていた。

 

 

――そうして帰る頃、なんとも言えない顔をこちらに向けて見送っていた鴆のことはまた別の話。