レイフロ×クリス

ひんやりとした空気の温度でふと目が覚める。頬が冷たい。どうやら昨夜は暖房を切って事に励んだ後、何だかんだでスイッチを入れ直すのを忘れてしまったらしい。うとうとと微睡みながらそんなことを考える。腰のだるさは無い。ただただ心地好い疲労がうっすらと残るばかりだ。夢と現を行き来しながらクリスは手元近くの熱源へとそっと擦り寄った。あたたかい。もっとその熱を感じたくて冷たくなった鼻先を埋めれば、それはごそごそと動いてクリスの体を包み込む。抱き寄せられたのだろうか。誰に。何に。そう思う前にふわりと煙草の香りと馴染んだ男の匂いが鼻腔を掠め、強張りかけた緊張が一瞬で解ける。……ああ、これはマスターのものだ。すっかり安心しきった子どものように体の力が抜け、うとうとと再度微睡み続ける。昨夜は棺桶に戻らなかったのか。珍しいなと思いつつ、こんな風に迎える朝をクリスはそれなりに気に入っていた。放っておけばいつまでもゴロゴロしてベッドメイクがままならなくなろうとも、ベッドの広さからしてそもそも大人二人にはそれなりに狭かろうとも、棺桶でないから十分休めたか余計な心配をするはめになろうとも、こんな至近距離ではどんな顔をして朝の挨拶をすれば良いのか分からなくなろうとも……それでもこの匂いとあたたかさはとても落ち着くのだ。安心する。昔からそうだった。さながらライナスの毛布のように。

そう言えば初めて会った時もこんな冬の頃合いだったな、とそんなことを思い出す。今のようにまともな服も火もなく、ほとんど裸同然だったのに彼と一緒に居て酷く凍えたという記憶があまり無いのだから不思議な話だ。こんな風に何かにつけて彼に抱き寄せられていたからだろうか。それとも単に体温の高い子どもだったからか。どちらにせよヴァンパイアを、それも真祖である彼を毛布代わりにして眠っていたのだから、我ながら強かな子どもだな、と夢うつつに吐息でわらう。ああ、懐かしい。ふ、と笑みを洩らして……そんなことを思い出したせいなのか、ふと突拍子もない考えを思いつく。こんなに寒いのだから、あの頃と同じように少しくらい甘えたっていいのではないか、と。

どうせマスターはまだぐっすりと眠っているのだ。彼が目覚める前に起きれば良いだけこと。普段の彼の寝起きの悪さを考えれば、今日みたいな寒い日はより一層遅いに違いない。少なくともクリスがこうして二度寝を決め込むくらいには。そんなことを考えつつ、もぞもぞと近付いてはぴたりと肌をくっつける。ひとの肌というのはどうしてこんなにも心地好いものなのだろう。彼の肌だからだろうか。普段は人の肌より低い温度のはずなのに、小さなクリスが寄り添えば次第に熱が灯り、一人の時なんかよりずっとずっと温かくなった記憶を思い出す。今はどうだろうか。密着しているレイフロの肌をぺたぺたと撫で擦る。二人ともヴァンパイアなのだからきっと人間同士が寄り添い合うよりもずっと低い温度なのだろう。それでも今のクリスには十分温かかった。十分に、あの時と同じようにあたたかくて、安心する。

そうやってぺたぺたと押し撫でるクリスの手がくすぐったかったのか、まだほとんど夢の中であろうレイフロが微かなうなり声を上げ、クリスの身体を抱き寄せる。何をぐずっているのかとでも言うようにやわらかく頭を撫ぜ、ゆっくりと優しく寝かしつけるように背を叩かれるとクリスは不満げに口角を下げた。まるで子ども扱いだ。子どものように甘えながらもムッとする。もう貴方の息子じゃなくパートナーなんですよ…、なんて思うのに、とろとろと蕩けるような眠気が少しずつこちらへと顔を覗かせるのだからいただけない。普段は並外れた不器用さを見せるくせに、こんな風に子どもをあやすような時だけは妙に手慣れているのもよろしくない。だって自分はもうパートナーで相棒で……。

なんとなく悔しくて、気に入らなくて、クリスはレイフロの足へと己のそれを絡ませる。まるで情事の時を彷彿させるかのように。獲物に絡み付く蛇のように。そうしてより密着したそれは更に温かさを増し、心地好さに満たされるとクリスはようやく満足げな顔をしてゆるゆると最後まで瞼を落としきる。もう少しだけ。冬の短い昼間が終わるまで。もうしばらくは、このままで。

――そうやって。親に手を引かれるよう子どものように、親鳥に包まれる雛のように。今度こそクリスは抗うことなく身を委ねると、訪れる眠りの中へと深く深く沈んでいくのだった。

※※※※

驚いた。珍しいとばかりに、レイフロは数度目を瞬く。いつもならさっさと起きて居なくなっている――もしくは、だらだらと寝続けているレイフロを叩き起こして、まだ寝るつもりがあるのなら今すぐ棺桶に戻ってくださいと呆れて怒り出している――クリスが、今日はまだ腕の中で大人しく収まったまま、小さく寝息を立てているのだ。それも起きて去ってしまう恋人を引き留めるかのように、艶かしく足まで絡ませた状態というオマケつきで。

(そ、そんなに疲れさせたか……?)

そこまで無体なことをした記憶は一切無いのだが、恐る恐るといった体で眠るクリスの顔を覗き込む。……うん、顔色は――悪くない。隈や疲労の痕も見られない。寝顔は安らかで、むしろ健康そのものと言って良いだろう。つまりこれはなんだ、ただのお寝坊さんなのだろうか。それはそれで珍しいなと目を丸くする。

元は昼型のヴァンパイアとして日中行動をしていたせいもあるのか、クリスは夜型へと移行した後もやたらと早起きで、日が落ちる前から起き出しているのがルーティンだった。曰く”The early bird gets the worm.”と。故に、こうして宵の口となってもぐっすりと眠っているというのは、実は非常にレアな光景なのである。それもこんなにくっついて眠る姿なんて。

(可愛い上にあったかいな……)

肌に触れる、いっとう温かいクリスの手足に目を細める。こんなにも安心しきってすやすやと眠っているだなんて。なんだか物珍しさを超えてどこか懐かしいくらいだ。絡まった足先に胸が高まるより先に無垢な寝顔の可愛さに思わず小さかった頃を思い出して頬が緩まる。

――あの頃も。あんなにも寒い季節だったというのに、眠くなる度に幼いクリスの手足はじんわりと熱を持ち、眠い眠いとレイフロに知らせてきて。子どもだったからか、小さいのにとてもとても温かかったのを今でも覚えている。寄り添うヴァンパイアの肌へと熱を移すくらいにはその温度は高く、心地好く、愛おしいもので……だからこそ、自ら手を離して孤児院へと残してきたその年はそれまでとは比べ物にはならないほど凍えるような心地がしたのだ。ただのちいさな子どもだと言うのに。その小さな熱は何百年も生きているうちにレイフロが忘れ、置いてきてしまった、命の重みと温かさをいつの間にか思い出させてくれていたのである。

「ふ……、」

吐息のように笑いが洩れる。穏やかな寝顔は昔の頃と変わらず、なんと可愛いものなのか。普段なら怒って呆れてと忙しく吊り上がるその目も、皺の寄る眉間も今だけは縁遠いものである。まぁそういう表情も十分愛らしいと思っているし、その原因の九割がレイフロのちょっかいによる自業自得の結果なのだが。もちろん怒らせたくなければ悪戯しなければ良いと頭では分かっているのだけれど悲しいかな、つい衝動でポッと赤くなるクリスを見たくて手を出してしまうのだ。

(ほんと、可愛いなァ……)

あぁ、今キスをしたら起きてしまうだろうか。顔にかかる前髪を払ってやりながら、ふとそんなことを考える。やはり眠り姫はキスで起きてしまうものだし、やめておくべきか。でも額くらいならどうだろう。目尻は? 鼻の頭は? こめかみは? 頬は? 口端は?

ここならまだ起きないだろうか、いやこちらはどうだろう……。そうやってどこにキスしようかと頬を撫でているうちに、その動きが気に障ったのだろう。クリスがむずかるようにぐりぐりと頭を擦り寄せ、レイフロへと更にくっついてくる。

(おおお………)

可愛い。とてつもなく可愛い。ごそごそと動いて落ち着き所を見つけ、またすやすやと深く眠ってしまうところも堪らなく可愛い。

もうあと十数年は見られないだろう不意打ちの可愛さに胸をときめかせながらも、レイフロは可笑しそうにクスクスと笑みを溢す。どうやらこの様子だと眠り姫はまだまだ眠り足りないようだ。ならば仕方ないなとばかりに毛布を引き寄せ、肩口までしっかりと包み込んで。そしてそっとその体を抱き寄せると静かに唇を寄せた。さすがにこの状態のクリスを起こすのはなんだか忍びない。だからその代わりに、とでも言うように――その丸く、可愛らしいつむじへと慈愛のキスを落とす。愛しの眠り姫が目を覚ますまで。もうしばらくはその安らかな寝顔を眺め続けることにしよう。柔らかな眼差しを向け、さりげなくクリスの指を絡め取ると、レイフロは穏やかに微笑んだ。
おやすみクリス。良い夢を。
耳に届く安心しきった静かな寝息が、同じ数だけ愛しさを積み上げていった。