汝、ネコと和解せよ-1

時折思う。クリスはヴァンパイアハンターを辞めた代わりにトラブルハンターにでもなったんじゃないのかと。目の前の奇想天外な姿を見れば、誰だってそんなことを考えるだろう。一体何をどうしたらそんなことになるんだ! そんな――猫の耳としっぽを生やした姿に……!!

 
※※※※※
 

「――ということで、お見苦しい姿ではありますが一日も経てば元に戻るということなので、これで失礼します……!」
「……うぐぐぐ……ちょっとぐらい良いじゃねぇかよーーーーっ!」
「良いわけないでしょう! なんでこの姿を見て、理由を聞くどころかいきなり飛び付いて来るんですか貴方は……!」
「だぁってカーワイ~~~~んだもん! 触らせてくれよぉその耳! アッ、耳は嫌か? じゃあ、しっぽ! しっぽはどうだ? 乱暴に掴んだりしないから! なっ? なっ? 優しく触れるからさ、いーーだろちょっとくらい~~! その可愛いもふもふでふわふわのキュートでキャットな部分を触らしてくれよ~~~~!」

仕事から帰ってきたクリスを一目見た瞬間、あまりの可愛さに目を輝かせ、飛び付いたのを避けられて。挙げ句の果てには、これ以上近付くなとばかりにぐいぐいと顔を押し止められながらもレイフロは諦めず抗議した。どうせ一日で元に戻るのなら、それこそ今楽しんでおかないでどうするんだ! と。だって見てくれ、この可愛さを! 輝かしいブロンドヘアと同じ色をした、頭頂部に生える柔らかそうな猫耳を! シャツとズボンの隙間からにょっきりと伸びる同じブロンド色をした長いしっぽを! 警戒しているのか少々毛を逆立てているが、その様さえなんと愛らしいことか! この際、トラブルを拾ってようがなんだろうがプラマイゼロどころか大幅のプラスである。可愛い。すごく可愛い! こんなのハグして撫で回してキスして写真もいっぱい撮らなければ世界の損失である! そう思うのに! そう思うのにだ! 肝心のチェリーは如何にも乗り気ではない……どころか今にもフシャーッと威嚇せんばかりにご機嫌斜めだ。

「……いい加減にしないと爪を伸ばして顔中引っ掻きますよ!」
「エッ! 爪も伸びるのか!?」
「えぇ……ですから余計なことをしたらタダでは済みませんからね」

そうきっちり念押しして。では失礼しますと言い置くと、くるりと踵を返して去っていく。笑って流すにはクリスの顔はあまりにも本気であり……おそらく爪も本当に伸びるに違いない。クリスがそれを正確に制御出来るかどうかは分からないが、さすがにグーで殴るどころか引っ掻き回されては大変だ。仕方がない、今回のところは諦めるしかないのか…諦めるしか……諦めるしか…………

「ぐうううう……チェリーのイケズゥ……!!」

触らせてくれたっていいだろぉ、減るもんじゃないんだし!! そう悔し紛れに叫んでみるも去りゆく背中は涼しいままだ。さすが朴念仁! 頑固者! おいおいと泣いたふりをいくらしても去りゆく足音は止まらない。さすがクリスだ。俺の扱いを良く知っている。構えばそのまま押し通されると気付いているのだ。猫の姿を愛でられない悲しみ八割、構ってもらえない悲しみ二割で嘘泣きが酷くなる。もうちょっと優しくしてくれたっていいじゃないか。俺はお前のパートナーだぞ~~、と演技に熱が入り始めるも、ふと可笑しさに気付き、ピタリと嘘泣きを止める。

「――って、ちょっと待て。お前、どこに行く気だ」

思わず疑問を口にすると、クリスの足がギクリと止まった。それもそうだ。そんな姿でバスルームを通りすぎるなんて明らかにおかしい。クリスも自覚していたのか、気まずそうにこちらをちらりと見るとあからさまに視線を逸らす。

「……だから失礼します、と」
「失礼しますじゃない。その足は今からどこへ向かう気かと聞いてるんだ」
「………………寝室です」
「寝室だとぉ? お前、今自分がどういう格好なのかちゃんと分かってんのか?」
「……別に貴方をベッドにお誘いしてるわけじゃありません……ただ疲れたから寝るだけで……」
「だろうな。だが寝るならもっとダメだ。今のお前は泥だらけの斑猫状態なんだぞ! 寝る前にせめてシャワーくらい浴びろ!」

いくら疲れているとは言え、子どもじゃあるまいし! そう珍しくレイフロが苦言を呈せばクリスの体がぶるりと震え、細くて長いしっぽがぶわりと膨らむ。なんだ。なんなんだ。猫のしっぽってそんなに膨らむものだったのか? 身近な例としてミネアの姿を思い出したが、アレが猫の姿でそんなに興奮しているところを見たことがないせいで全く参考にならない。そもそも興奮したらしっぽが膨らむんだったか? 怒ったときだったか? 一体何なんだ、間違ったことは言ってないぞと考えていればクリスがぽつりと呟く。視線はもちろん、顔さえも逸らしたままで。

「…………………ゃ、です」
「? なんだって?」
「っ、……絶対、嫌だと言ったんです…っ。シャワーを一日浴びなくても死んだりしません…!」
「ハ…? はぁ……!?」

待て待て待て待てちょっと待て。あのクリスが何だって……!? 明らかな異常事態に頭が混乱する。あの潔癖でまぁまぁの完璧主義者であるクリスがシャワーを拒否するだと!? 泥だらけでベッドに入るつもりだと!? あのクリスが……!? 言い訳をしてまで……!? いよいよおかしな事態に仰天する。シャワーを嫌うだなんて猫の姿のミネアのようだ。そう、まるでクリスも見た目だけでなく中身までもが半分猫になってしまったような……。

「猫……?」

はたと思い至り、顔を上げる。そうすれば、そろりそろりと音もなく、まさに猫のように寝室へと逃げようとするクリスの姿が目に入り――なんというか否が応でも認めざるを得なくなった。つまり、そういうことなのか……? 本当に半分、猫になってしまった、と……? 呑気に可愛いなんて言ってる場合ではなく、本気でトラブル真っ只中だったのかと……色々思うところはあるものの、まぁとにもかくにもだ。

「チェリ~~~~~~?」

少なくともこのまま泥まみれのボディペイント状態で寝室に行かせるわけには絶対いかない。そんなことを許した日には、正気に戻ったクリスとミネアに何と言われることか。考えただけでも寒気がする。仕方ない。今のうちにと逃げ出そうとするクリスをコウモリの姿となって追いかけ、あっという間に羽交い締めにして捕まえる。スピード勝負ならこちらが上だ。暴れて逃げ出そうとするのをどうにかこうにか引きずっていきウェルカム トゥ バスルームして、面倒だからと服を脱がすこともなくそのままバスタブへと放り込む。……一体いつぶりだろうか。こんな駄々っ子相手のお世話係は。さすがに容赦なく着の身着のままホカホカのシャワーを浴びせられれば、猫の本能に引っ張られ気味だったクリスも多少大人しくなった。いや、単に水が怖くて動けないだけかもしれないが。まぁ、それならそれでちょうど良いとばかりにシャンプーを用意し、さっさとクリスの後ろに座り込んで逃げ出さないよう腹側に腕を回す。こうなりゃヤケだ。シャワーヘッドを取ると手首で水圧や温度を確認し、見せつけるように目の前に掲げた。

「ほら、シャンプーしてやるから目を閉じろ。耳も水が入らないようにしとけ。もっかい頭から湯をかけるからな」
「だからシャワーはいや、だっ、…と……ぅ゛~~~~!」
「かけるって言っただろ。ほら、しっぽも」
「うぅ……服が濡れて、…きもちわるい、です…」
「今脱がせたら水浸しのまま逃げるだろ、お前。猫のとこだけこのまま洗ってやるから、その後自分で脱いで他のとこも洗え」
「…………ひどい」
「なにがヒドイだ。お前が素直に一人でシャワーを浴びないからだろうが」

まったく、と言いながらシャンプーを取り、クリスの腹の前でもこもこと泡立てる。濡れた服が張り付いて気持ち悪いのは本当なのだろうが、逃げ出さないよう牽制のためにもシャワーは出しっぱなしにしておく。その分、湯気で寒くないだろうし、動かないからこちらも落ち着いて洗える。ただ当然のごとくクリスの猫耳はすっかりしょぼくれてぺたりと伏せ、長いしっぽもべちべちとバスタブの底を叩いて不機嫌そのものだった。まぁこれから何をされるか分かっている分、仕方がない反応かもしれない。一応諦めを見せているあたり本人もシャワーの必要性は最低限理解しているのだろう。ここでからかって逃げられでもしたら面倒だ。ここはひとつ見なかったことにして、余計なお口はチャックするしかない。

「さてチェリーくん、耳としっぽどちらから洗ってほしいかね」
「…………チャーリーです…」
「はいはい。で、どっちからが良いんだ?」
「…………………………」
「クリス」
「……………………髪、」

この期に及んで尚、往生際が悪い。とは言え、これでも随分譲歩した方か。髪と言うからには耳側から洗えと言うことだろう。そういうことにする。りょーかい、と適当に返事して育てた泡を頭の上に乗せ、まずはご指名通り髪から洗い始める。もちろん逃がさないよう片腕は腹側へと回したままで。それが気に食わないのか、洗い方が雑になるせいか、クリスのご機嫌は真っ逆さまである。

「う゛ぅ…………」
「唸らない。まだ髪しか洗ってないだろ。痒いところはありませんか~?」
「ぅ゛~~~~」
「こら、クリス、痛いって」
「う゛~~~~」
「痛い痛い痛い、痛いって! 爪、腕に食い込んでるから……!」
「ヴ~~~~~!」
「こら、クリス!」

いいから一旦離しなさいと言ってようやく離すも、なんだかもう爪を立てるだけでなく今にも噛みつきそうな勢いだ。爪を伸ばしてないだけマシなのか? ちゃんとオーダー通り髪しか洗ってないのに……シャンプー嫌いすぎだろ、この猫……。これはもうのんびり洗って緊張をほぐしてやろうなんて考えない方が良いのかもしれない。つまりスピード勝負だ。さっさと洗って噛みつかれる前に終わらせてしまおう。そうと決まれば話は早い。新たにシャンプーを手に取り、もこもことめいっぱい泡立てる。明らかに雰囲気の変わったレイフロにクリスのしっぽや耳が微かに震えるがこの際、見ないふりだ。少しは大人しくしてろ、このいたずらっ子め。

「ほら、髪洗ったから今度は耳だぞ」
「ぅ、う゛……ゃ、ですヴーーーー!」
「イイ子にしてりゃ、すぐ終わるって…ほら、ココとか気持ち良くないか?」
「う゛ぅ、……? ん、……ン、…たしか、に」
「もう少し弱い方が良いか?」
「ン…べつに…このままでも……」
「そりゃ良かった。じゃあ次、反対な」
「うぅ゛…………」
「はいはいココは嫌なんだな。分かった。分かったから、イイ子イイ子」

尖った先の方は手で温めるように洗う以外最低限にして、根元の付け根あたりを重点的に優しく揉み込んでやる。声の感じからしてそうするのが好みのようだ。髪に近い分、安心するのだろうか。シャンプーと言うよりもほとんどマッサージに近い洗い方ではあるが幾分か大人しくなって、こちらもひと安心だ。この調子で最後まで終わらせてほしいものである。無論、そう簡単にはいかないと分かっていてもだ。

「ハイ。じゃあ最後はしっぽな」

と、そう口にした瞬間、それまで大人しくしていたクリスの身体がぴゃっと跳ねる。

「て、……っ、あっぶねェ…!」
「う゛~~~~…………」

慌てて抱いていた腕の力を強め、逃げ出そうとする身体を掴まえる。どうにもしっぽは嫌なようで、唸り声が止まらない。そう言えば猫ってしっぽ触られるの嫌いだったか? まぁ人間も急にその辺りを触れられたら嫌だろうし、仕方ないと言えば仕方ない。とは言え洗わないわけにもいかないのだ。さてはて、どうしたものか。

「クリス。嫌なのは分かるが、洗わなきゃいけない。それは分かるな?」
「ぅ……はい…」
「じゃあ三十秒だ。三十秒、お前が我慢してる間に終わらせる。それならどうだ」
「…………十秒で」
「お前が絶対逃げないって約束するならそれでも良いぞ。両手使って十秒な」
「…………三十秒、我慢します…」
「……逃げるのかよ」
「体が反射的に動くんですよ…私の意思じゃどうしようもないんです…」
「分かった。三十秒な。爪を立てるのは良いけど、引っ掻いたり噛みついたりするのはさすがに勘弁してくれよ」
「…善処、します……」

善処かよ。不安な言葉ながらもべちべちと荒ぶっていたしっぽが恐る恐るレイフロの前に差し出されたのでまぁ良しとする。イイ子だと頭を撫で、じゃあ洗うぞ、と泡を手に取ると、しっぽへと纏わせサクサクと洗っていく。

「そんなに汚れてないからすぐ済むな」
「ウ゛ぅぅーー……」
「痛くはないか? 強すぎとか弱すぎとかなんかあったらすぐ言えよ」
「う゛ぅ……痛くは、ないですけど……」
「? 耳と同じで先っぽより根元の方が良いってか? すぐ洗ってやるからもう少し待ってろ」
「ううぅ゛~~……ちがいます、どっちもぃやです…ぞわぞわする……」
「いやなのかよ……まぁもう少しで終わるから我慢だ、我慢」

ミネアと違って毛が少ない、すらりとしたタイプのしっぽで本当に助かった。大して毛も絡まらないし洗いやすいの一言に尽きる。これなら時間通りに洗いきれるだろう。もっとも俺の腕は爪を立てられ過ぎて全然助かってないけどな! まぁ血が出ない程度には加減してくれてるようなので許すしかない。本当に嫌なんだな、しっぽのトコ。ボトムをずらして根元の生え際まで綺麗に洗い終えてやる。なんだか変な声が聞こえた気がしたけど無視だ無視。さすがにココでそれをつっこむほど俺も無遠慮じゃない。

「……はい、三十秒。終わり。よく我慢できました。嫌なのに頑張ったな」
「う゛ぅ゛~~~~…………」
「ということで洗い流すぞ」
「ヴ……っ!? だっ…騙しましたね、ひどいですっ!」
「騙してないだろ。洗うのはあれで終わり。今からは洗い流すの。お前も分かってんだろ。ほら、ぐだぐだ言ってないで目閉じて息止めろ。耳も伏せとけ。シャワーかけるぞ」
「そう、ですけ…どっ、…ぅ゛~~~~!」
「だから、かけるって言っただろ……」

何のコメディだと、先程と同じやりとりをしながらも容赦なくシャワーをぶっかける。ここまで来たらもう洗い流すだけなのだ。水が耳の中に入らないよう、そこだけは注意してさっさと泡を洗い流していく。髪、耳、そしてしっぽ。ついでに体にくっついた分も十分に流して、もう泡がないことを確認してからコックを締める。長い戦いが終わった、ようやく。

「はい、これで本当に終わり! 残りは服脱いで自分で洗えよ」
「う゛ぅぅ…………」
「なんだトリートメントもしてほしいのか?」
「ぃっ、らない、です…! 今日一日くらいやらなくても…………おそらくは…」
「……やっとくか」
「ひ……っ!」

曖昧な応えに前言撤回だ。戦いはもうしばらく延長である。こちらもクリストファーの管理を問われてアルフォードに嫌みを言われるのは勘弁願いたいのだ。腕を思いっきり伸ばして置いてあったトリートメントを掴み取る。クリスのしっぽがぶわりと逆立った。

「ヴゥ゛…っ、ゃです! 絶対にいやです…ッ…! ぃやっ、ヴーーーー!!」
「はいはい。イイ子だイイ子。大人しくしてろって」
「やだって、…いやだって、言ってます…! フシャ――ッ!」
「あっ! こら待て! クリス! 落ち着けって!!」

まさかまさかの事態である。――まさかこれが。シャンプー以上の戦いとなろうとは。壮絶な戦いの幕が切って落とされようとは。レイフロもこの時はまだ知るよしも無かった……。