07

──落ちる、落ちる。
全身を包む水の感触から、世界へと放り出される感覚。そしてぼよん、と何かの上に落下し、跳ねる感覚へ。
「いたたた…」
一体ここはどこだ。アーデンは着地した体を擦りながら周囲を見渡す。
「なるほど。次の部屋…ねぇ、」
まるでどこかの童話の主人公みたいだな、と頬をひきつらせた。広い部屋だ。壁一面、巨大な本棚が立ち並び、そこにはぎっしりと分厚い巨大な本が詰められいて。床には緻密な模様を描いた広大な絨毯が敷き詰められ、その上にはこれまた上等であろう重厚で巨大な椅子や机を始め、幾つもの羽ペンや本、そして報告書らしきものが散らばっている。巨人の部屋か? そう思いたくなる程に、どれもこれもが人というサイズを無視した大きさをしていて──。
「いや、違うか…」
部屋が大きいのではない。自分が小人のように小さくなっているのだ。そう気付いたのはとことこと部屋の奥からやってきた白い生き物がキングベヒーモス並みに大きかったからである。
『アーデン 見つけた!』
キュイと嬉しそうに生き物が鳴く。どうやら二人バラバラに着地したせいか、体が縮んだせいか、この白い生き物に捜されていたようだ。
「…ココどこ?」
『アーデンの大好きなお部屋だよ』
全然ヒントにもならない答えを出しながら白い生き物はぴょんとアーデンの隣に飛び乗った。反動でぼよん、とアーデンの体がとび跳ねる。
『そして その中でも一番のお気に入りだった ソファの上!』
ほら、とでも言うように生き物はアーデンの座り込む巨大ソファの端へと顔を寄せる。そこにはまるで肘掛けの上へ上れとばかりに階段のような段差を作りながら絶妙なバランスで積まれた本が数冊あって。その上には先程まで森の中で辿っていたものと同じクリスタルの欠片が浮かび、道標のように列を成していた。
『今回はこのソファがスタート地点みたいだね』
『さぁ 冒険の続きをしよう!』
生き物がソファから飛び降りる。アーデンもこっちに来てよと言わんばかりにこちらを見つめるそれに、アーデンはひとつ肩を竦めた。冒険はまだ終わらないらしい。踏み出す度に沈む不安定な足場を慎重に進み、本で出来た階段へと辿り着く。キラキラと光るクリスタルの欠片を集めながら、一歩一歩階段を上り詰めれば高いように思えた肘掛けは割りとすぐそこだった。
「これはまた……」
肘掛けの上から一望できる景色にアーデンは小さく嘆息する。随分と広い部屋だ。誰かの執務室か書斎なのかもしれない。それもそれなりに高貴な身分の者の。
ぐるりと部屋の中を見渡せば、様々なものが見えてくる。光を取り込むために填められた大きな窓。天井にはたくさんの蝋燭を立てた立派なシャンデリア。机の上には高く積み上げられた紙束に羽ペン、インク壺。絨毯の上には先の世界で世話になったパネルがいくつも鎮座し、あちらこちらに散らばった巨大な本やティーセットはクリスタルの欠片と共に見事なタワーを成している。冒険。なるほど言い得て妙だ。この部屋自体がまたひとつの世界であり巨大な迷路でもあるのだろう。
「それにしても……」
なんというか寒々しい部屋だ。ふとそんなことを思う。窓の外が曇り空だからだろうか。人の気配が全くしないせいかもしれない。太陽は疾うに昇りきっているだろうに、窓一枚隔てただけで誰もいないだだっ広い空間は薄暗く、冷たい印象を受ける。ここはこんなにも空虚な場所だっただろうか。もっと暖かな場所だった気もするが。
脳裏に浮かぶのはこことは真逆の、窓から差し込む柔らかな陽射しを背に書類へと向かう誰かの姿だ。白い光に霞む、有りもしない誰か。それにアーデンはそっと目を細める。まるで目映い光を見るかのように。まるでその姿を懐かしむかのように。そうやってアーデンの見つめる先。それに気付いた生き物がそうだったね、とでも言うようにキュイと鳴いた。
『そういえばアーデン あの窓も気に入ってたもんね』
「そうだったかなぁ…」
『そうだったよ~』
間違いない! と力説する生き物に、ならそうだったかもしれないと適当に相槌を打ってアーデンはクリスタルの欠片が示す通り、肘掛けのなだらかな斜面を伝い、床へと滑り落ちる。きちんと着地点にクッションが置いてあるのは気が利いている。ぼすん、と軽い音とともに着地し顔を上げれば、ねぇアーデンと生き物が首を傾げた。
『あっちに天気を変えるパネルがあったよ』
『晴れにしようよ』
「…眩しくなるだけだからいいよ」
『でも』
「いらないよ」
生き物を嗜めるようアーデンは言葉を繰り返す。それでも尚、文字を紡ごうとする生き物にアーデンは首を横に振った。眩しいのは嫌いだ。それを眩しく感じる自分も。そう含みを持たせれば生き物はシュン…と気を沈ませる。が、それも瞬きひとつのことで、すぐにハッと何かを思い出したようにそうだ! と耳を立てると、唐突にくるりとアーデンに背を向け部屋の奥へと歩き出した。
『思い出した!』
『さっきアーデンを探してる途中で いいものを見つけたんだ』
「いいもの…?」
『そう! あれがあればアーデン もう眩しくないね!』
意気揚々と語る生き物に、あれって何だと問いかけるも答えはない。見たら分かるよ! だから早くアーデン。そう言って呼び立て、急き立てるだけ。そんな生き物にアーデンはひとつ溜息を溢す。こうなっては何を言っても聞きやしないだろうと。全く、面倒な生き物だ。だが、それを呆れはしても不愉快とは思わない自分もいるのだから、可笑しなものである。似合いもしない苦笑が漏れた。それを耳にしたのか揚々と歩いていた生き物が足を止め、こちらへと振り返る。
『アーデン?』
「…なんでもない。今行くよ」
そう言って少しだけ駆け足で。アーデンは今にも鼻歌を歌い始めそうな生き物の背を追った。