Good night Ardyn

その命を以て世界に夜明けを齋した偉大なる第百十四代ルシス王、ノクティス・ルシス・チェラムの国葬の儀は刻一刻と迫っていた。
国事は順調に進んでいる。一般市民とは言え、王の親友であり、共に戦い、旅する仲間でもあったプロンプトもまた、その時刻に合わせ足を運んでいた。
最後の見送りの儀はもうすぐだ。そのため、大きな白い百合の花束を手に、城の中へと繋がる長い階段へと足を進めていたプロンプトは、しかしその階段の手前でぴたりと足を止めた。
……そこは王の背を見送った場所であり。全ての──旅の始まりの場所でもあった。
プロンプトは徐に城を背にするようくるりと回り、目に映る光景に思わず唇を引き結ぶ。
……酷い有り様だった。最低限の補修はされているが、十年前の、あの蒼天の下に見た景色には遠く及ばない瓦礫の山ばかり。
それはあの、世界が闇夜に包まれ、夜の時代と呼ばれた十年の間に脆く崩れ去ったところもあれば、プロンプト達が王と共に炎神を倒し、王を背に最後の足掻きとばかりに現れ続けたシガイを葬った跡でもある。……どちらかと言えば後者二つの方が大きいのかもしれない。炎を纏い、大剣を振り回す炎神の力は荒々しく、凄まじく。また夜が明けるまで、王が力を解放するまで、湧く水の如く次々と現れ、咆哮を上げながら襲ってくるシガイ達はキリがなかったから。
そうやって傷つき、残されたままの跡の中でも。一際目につく跡を見つけ、プロンプトは呼ばれるようにゆっくりと歩み寄った。
どこかで見たような跡だった。同じところを何度も何度も、けれど毎度違う武器を使ったかのように異なる跡が幾つも幾つも重なり、掠り、散らばっていて……。
──あぁ、そうだとプロンプトは思い出す。
これは王の、歴代王の力が宿った特別な武器の残す跡だったと。過去、攻撃上、致し方なく地に振り下ろした時、特殊な跡を残したそれを見つけて、四人でまじまじと観察したから覚えていた。間違いない。プロンプトはそう思う。不思議なことに、あの時は武器自体に傷ひとつ付いてなくて、四人でひたすら首を傾げたものなのだ。ならば、とプロンプトはじっ、とその跡を見つめた。
この跡がここにあるということは。これが意味することとは。プロンプトはゆるゆると目を瞑った。
きっとその予想は間違っていないだろう。
ここは。この跡は。世界を闇に陥れ、敵国の宰相として、シガイの王として暗躍し、真の王の剣によって打ち倒されたアーデン・イズニアの最期の場所だ。
アーデン・イズニア……。
その男のことを考えると、プロンプトの胸に様々な感情が沸き起こる。怒り、憎しみ、屈辱、恐怖……それは圧倒的に負の感情に偏っていて。けれどもそればかりでないことをプロンプト自身知っている。あの夜の時代に。タルコットの見つけ出した記録の断片と共に。プロンプトの眼裏に、男に関するとある記憶が蘇った──。

 

 

 

 

「……ずっと不思議に思ってたんじゃない? イグニスがあんたの正体に気付かないなんて。そんなこと有り得るのかって」
夜の時代になってから。プロンプトに今現在、問いを投げかけられている男、アーデン・イズニアは時折暇を潰すようにふらりとプロンプトの元を訪れていた。真の王が目覚めるまで、どうやら割りと暇らしい。プロンプトだけでなく他の仲間の元にも訪れると聞くので、その日その時の気分で会う相手を決めているのだろう。実にストレスフルで迷惑極まりない行為であるが、今日だけは違っていた。
「…いいや? 軍師としては間抜けだなぁとは思ってたけど」
そう言って男はにたりと嗤う。意地悪そうに。挑発するように。まぁ、なんせあの王様の軍師だしね、そんなもんでしょ、と。
その言葉に少しばかり……いや、大分腹が立ちはしたが、そこはぐっと押さえ込んで、プロンプトはひとつ息を吐いた。
「……今日はあんたに話がある。…アーデン、昔話をしよう。あんたがシガイから、人々を助けていたという話だ」
その言葉に、男の笑みがぴたりと止んだ。そして向けられる無表情ながらもじろり、とこちらを睨むような、観察するような重い視線に少しだけ胸のすく思いを感じながらも、プロンプトはどこか苦い思いを忘れられなかった。あぁ、自分の推測は正しかったのかと。そう確信して。
「…お利口なプロンプト。お前は何を知っている」
ひやりと温度のない声だった。逆鱗に触れたと言っても過言ではないだろう。いつもの飄々とした態度からは想像も出来ないほど冷え冷えとしている。だが、それは予想済みだとプロンプトはごくりと生唾を呑み込んだ。
先日、タルコットが発見した文献の一部。そこに記されていたとある一文。それを読んだ時、プロンプトの心は決まったのだ。この男を激昂させてでも伝えるべきことがあるのだと。
「……でもその前に、まずはオレの昔話をしてあげる。なんでイグニスがあんたのこと分かんなかったのか、なんでオレがあんたの過去を知ってるのか…全部」
「………ルシス王家に連なる者でもないキミが何を知ってるって?」
男はハッと鼻で嗤った。明らかに馬鹿にしている様子だった。けれどもプロンプトに怒りは湧かなかった。ただ、静かに応える。
「…だからだよ。これは一般市民のオレだから知ってる話だ」
そう口にするプロンプトに男は眉を寄せた。それを受け流して、プロンプトは訥々と語り始める。
「昔、オレが高校に通ってる時、クラスにひとり、転校してきた子がいた」
高校って分かるよね? そう訊ねるプロンプトにそれくらい分かるよ、と男は鼻に皺を寄せる。学校のことだろう、帝国にもあったと。そう応える男にそれもそうか、とプロンプトは話を続けた。
「名前は”アーデン”。その子とは結構仲良くなって、色んな話を聞かせてもらった…」
プロンプトは一般市民だから。親友とは言え、王族であるノクティスや側近であるイグニス、グラディオラスとは身分も違うし、立場も違う。もちろん高校のクラスも違ったし、だから友人もそれとはなしに異なる層の人間が多かった。
「”アーデン”はルシスの端っこの地域から来たらしくて、インソムニアに来てからは驚きでいっぱいだって言ってた…中でも一番驚いたのは……何だと思う?」
そう男に投げかければ、男はさぁね、と肩を竦めた。プロンプトが何を意図して話しているのか、全く解せないといった表情で。それにプロンプトはちいさく苦笑して言った。
「名前だよ…。その子はすごく驚いてた……クラスで、アーデンって名前の子が自分ひとりしかいなかったから」
「…………」
クラスだけではない。学校全体を見渡してもアーデンという名の人間はその転校生ひとりしかいなかった。プロンプトも珍しい名前だなと思ったくらいだ。だから分からなかったのだ。何故、その名を持つ人間が少なくて驚くのかと。
「不思議に思って訊いたんだ。そんなに驚くことなのかって。そしたら教えてくれた…その子の故郷では、アーデンって名前の子はいっぱいいて、クラスには少なくとも二、三人いたんだって」
インソムニアでは考えられない話だった。むしろ聞き馴染みのない名前だったから。プロンプトはのめり込むように訊いた。外の世界の話を。その名前の由来を。
「その子は言ったんだ。アーデンって名前はその昔…ずっとずっと昔、その子のご先祖様達の間で拡がった病を命懸けで治し、救いに来てくれた心優しい王様の名前なんだって。だからアーデンって名前は、そんな王様のように優しく立派に育ってほしいって願い、付けられる名前なんだって…」
そう誇らしげに言った青年のことをプロンプトは今でもはっきりと思い出せる。その地域では、外の世界ではよくある、ありきたりな名前ではあっても。アーデンと名付けられた者達は皆、その名に誇りを持っているのだと。そう胸を張る青年の姿を。
「……知ってる? 王様が変わったことさえ伝わらない辺境の地では数百年、王様はずっとアーデンのままだったらしいよ…。馬鹿みたいな話だろ? 百年もしたら人間なんて死んじゃうのに…」
なのに人々はアーデンを王として頂き続けた。遠い名前も知らない王様より、この地まで救いに来てくれた王様が、彼らの本物の王様だったから。
「そんな話を旅が始まる前、イグニスにしたんだ。外の世界の話をね。そして実際、旅して分かったよ。確かに外ではアーデンって名前の人、多いみたいだった。いろんなところでアーデンって呼ぶ声がしてたから…」
だからかな、とプロンプトは震えた声で言った。
「だから、イグニスがあんたの名前を聞いても帝国の宰相だって気付かなかったのは……よくある名前だって流しっちゃったのは……」
あんな話、しなければよかったと。そう、何度悔いたことか。でもその話は巡り巡って、年月を経て、別の意味を持って返ってくることになる。ひとつの大きな真実を伴って。
「それと…この前、タルコットがある文献を見つけたんだ……そこにはアーデン、あんたのことが書かれていたよ。……あんたが…シガイから人々を救ったって事実が」
その一文を読んだ時、プロンプトは気付いたのだ。かつて辺境の地まで足を運び、人々を救っていたかの王様が、目の前の男であったことを。王、アーデンとはアーデン・イズニアその者であることを。
「そりゃ、数百年経っても王様がアーデンのままなわけだ…」
実際に今の今まで生きているわけだし。そう冗談混じりにちいさくわらって、プロンプトは男へと視線を交じ合わせた。
「……本当はあんたも気付いてたんだろ、アーデン。アーデンという王様は忘れられてはいないんだって」
「………やめろ、」
「やめないよ…本当は化け物として神にも過去にも切り捨てられた王じゃなくっ、」
「黙れッ…!!」
アーデンは肩を怒らせ、怒鳴った。知ったような口を利くな、と。たった数十年生きただけの子どものくせに、偉そうなことを口にするなと、そう言って。
「………プロンプト、昔話と言うなら、ひとつキミに良いことを教えてあげよう」
男は歪んだ顔つきのまま言った。
「アーデンという名に願いや由来などは含まれていない。この名に意味なんてものは何もない」
それは。プロンプトという名に語源があるように。ノクティスという名に夜という意味があるように。名前というのは大体にして願いや由来、意味を連ねている。だがアーデンにはそれがない。音の響きだけで付けられたのだから。そう男は皮肉げに、憎らしげに口にすると嫌な笑みを浮かべた。
「………でも、」
それでも、とプロンプトは反論する。
「喩えそれが事実だったとしても…、今はちゃんと意味があるだろっ…」
アーデンとは代々、民に愛され、頂かれ続けた王の名なのだと。誇りを持つべき名なのだと。あの青年は教えてくれた。だから。だから。
「……あんたは覚えておくべきなんだっ。あんたは、…アーデンという王は誰よりも人々に寄り添い、救ってきた英雄王で、これからもずっと人の心に、その名と共に残り続ける王様なんだって…っ」
「…………っ、」
あの文献を見つけた時。プロンプトは伝えなければならないと思った。この闇に生きる男に。かつて人々を救い続けた王に。民の声を、人々の真意を、一般市民として、ルシスの人間として、告げねばならぬとそう思った。
なぜならそれが、かつて親友と未来を約束した、プロンプト・アージェンタムの今、出来る最大のことだったから。自分が一般市民であるからこそ出来ることだと思ったから。だから。
プロンプトの言葉を耳にしながら、澱んだ目をした男は、そのままゆるゆると拳を握り締めた。

 

 

 

 

プロンプト──そう遠くで呼ばれる声がした。
「…そんなところで何してんだ」
張りのある、グラディオラスの大きな声。それにプロンプトは下ろしていた瞼を押し上げ、声のする方……階段を上りきった入り口の方へと顔を向ける。そうすればそこには腕を組んで見下ろすグラディオラスの姿があって。まるで苦虫を噛み潰したような顔をしているところを見ると、どうやら約束の時間から随分と待たせてしまったらしい。
「…ううん、なんでもなーい」
グラディオラス様直々のお迎えとは。イグニスあたりに早く確認してきてくれと大分つつかれでもしたのだろう。プロンプトとしてはほんの数瞬、記憶を顧みていただけの気持ちでいたが、どうやらそこそこ長い間、目を瞑って考え込んでいたらしい。陽光の眩しさにちかちかする目を擦りながらプロンプトはごめんごめん、すぐ行くー! とグラディオラスに返した。
「……あ、でも」
駆け出そうとして背にした石畳の傷跡へ振り返り。プロンプトは腕に抱いていた花束から一輪の白い百合を抜き出すと、そっと地面へと横たえる。
……そこに祈りの言葉はなかった。黙祷することも。
けれどもそれは、確かにプロンプトから二千年生きた男への弔いだった。
プロンプトは傷跡を背に、グラディオラスへと追いつくため、階段を駆け上る。

 

 

 

結局……あの日、あの時、あの言葉はアーデン・イズニアを、この世界の未来を変えることは出来なかった。
けれどそれが全く男に響いていなかったのかと問われれば、そうじゃないのだとプロンプトは思っている。
気付いてはいても、知ってはいても、覚えてはいても……もはやアーデン・イズニアは立ち止まれなかったのだ。全てがもう遅すぎたから。
男を救うにも。過去をやり直すにも。
──だって……プロンプトは知っている。
あの時。男が声も上げず、きつく唇を噛み締めていたことを。拳を握り締め、震えていたその姿を──。
だから、きっとプロンプトは忘れないのだろう。あの時、声無き声で泣いていた男の姿を。沸き上がったやりきれない感情を。この心の臓が止まるまで、きっと。

 

(了)