18

夜は明け、陽はまた昇る。どんなに永遠を望んでも、いずれ終わりはやって来る。現実の世界でも、夢の世界でも。それが時というものであり、世界が正しく回っている証拠なのだから。
最後の花火を見納めて、水面から覗き始める目映くも暖かな光を見届けた後、アーデンはそれを背に長い廊下へと足を踏み入れた。肩から下りた生き物は数歩前を歩き、様々な絵画の飾られたそこを奥へ奥へと進んでいく。
「……君の名前を思い出したよ」
ぽつりとアーデンが溢した。花火を眺めながら遡り、見つけ出した記憶。それを唇に乗せる。
「カーバンクル。王家の子どもの守り神。額に赤い石を持つちいさな神様…」
その言葉にカーバンクルと呼ばれた生き物はキュウ、と鳴いて足を止めた。アーデン……。そう言葉を紡いで振り返る姿はどこか寂しく、また哀しそうな色を浮かべていて。アーデンを見つめるその瞳に、男はゆるりとわらってみせた。
「……昔、イズニアに怖い夢を見たと言ったことがあるんだ。そうしたら君の形をしたお守りをくれた」
赤い宝石の埋められた白い生き物のお守りを。眠る時、これを傍に置いておけば怖くないのだとそう言われて。おかげで確かに怖い夢は見なくなったけど。でも本当に欲しかったのはそんなお守りではなかった。アーデンはただイズニアと一緒に眠りたかっただけなのだ。傍に居て、手を繋いで、一緒に眠ってほしかっただけのこと。
「結局、また嘘を吐いてやっぱり怖い夢を見るからってイズニアの布団にもぐりこんだんだ」
懐かしさに目を細める。もう二度と戻らない優しい愛しい過去を思い返して。
「そうこうしてるうちにお守りもいつの間にか無くなってて…そのまま忘れちゃってたなぁ…」
そう言うアーデンにカーバンクルはキュッと鳴いた。それでいいんだよ、とでも言うように。それが正しいんだよ、とでも言うように。
『きみがもう ぼくを必要としなくなったからね…』
『きみはもう ひとりじゃなくなったから』
『ぼくは そういうものだから』
「そっか………」
だからか。カーバンクルの言葉にアーデンはちいさく優しくわらった。ようやく合点が行ったとでも言うように。納得したとでも言うように。
「本当に俺がキミを呼んだんだね……」
あの時。深い眠りに落ちた時。アーデンはこの夢の世界にカーバンクルを呼んだ。……もうカーバンクル以外に──こんな小さなお守り(生き物)以外に、頼れる者がいなくなってしまったから。世界にひとりぽっちとなってしまったから。だから呼んだのだ。たすけて、と。まるで幼い子どものように。
……そうして神様は来てくれた。アーデンをたすけるために。この世界から連れ出すために。寄り添い、慰め、導くために。
「でも、また君はいなくなるんだね……」
夢の世界は終わる。穏やかな時間もまた。だからアーデンは思う。
目が覚めたとき、この生き物のようにアーデンと共に居てくれる者はいるのだろうかと。いつか現れるだろうかと。いたらいいな、と男は思う。化け物だと罵られた世界でたったひとりでいい。この痛みを分かち合える誰かがいたら。そうしたら、もしかしたら変えられるのかもしれない。未来を。憎しみを…。
栓無きことだとアーデンはわらう。
「……ねぇ」
止めていた足を再び動かし、カーバンクルを追い越すとアーデンは訊ねた。
「夢のゴールってどこに続いてるの?」
進む男に慌てて追いかけ始めたカーバンクルがキラキラと羊皮紙を輝かせる。
『……夢のゴールはね… 君が一番ほっとする場所に続いてるんだよ』
カーバンクルはキュウと鳴いた。
『…君はみんなが大好きだったから── みんなの顔が良く見えるお城のバルコニーかなぁ?』
『でもジールの花も大好きだったから 花がいっぱい咲いてる楽園かもしれないね!』
『ふふっ 僕 君のことよく知ってるでしょ?』
声だけはふざけたようにはしゃいでいて。なのに今にも泣き出しそうに言葉を綴るカーバンクルに男はそっと笑みを浮かべた。本当はどちらも違うのだとふたりとも分かっていて。茶番だと知っていて、言っているのだ。
「そうだね」
アーデンはわらいながら頷いた。これが最後だから。もうおしまいだから。優しい時間も、ふざけた茶番も。だから、だから。
ふたりで進んでいく廊下の先、行き止まりとなる壁際に見つけた金色の輪。それにカーバンクルが駆け寄っていく。
『さぁアーデン 夢のゴールへ行こうー!』
カーバンクルは振り返らなかった。だからアーデンもまた振り返ることはなかった。未練も記憶もそこに置いて、最後の金の輪を通り抜けた。
さよなら、夢の世界。さよなら、優しいちいさな神様。
そう小さく呟いて。

 

 

 

 

随分と懐かしい夢を思い出した。肘掛けに肘を付いた格好のまま、アーデンはそっと下ろしていた瞼を押し上げる。
そこは。長い階段を埋めつくす崩れた瓦礫と荘厳な装飾の施された壁に覗く巨大な穴。容赦のない破壊の爪痕から流れ込む外の空気はもう何年も陽の光を知らないためか、ひやりと冷たく、夜の重さに凝っていて。
長い長い階段に連なる高い高い椅子の上で、アーデンは背凭れに深く重く頭を預けると、ひとつちいさな溜息を洩らした。目の前には鎖に吊られた四人のイミテーションが、ぶらりぶらりと風に吹かれ揺れている。男は疲れたようにゆるゆると目を閉じると、皮肉げに唇で弧を描き嗤った。
分かっていたことだろう。男は何度も何度も反芻する。夢はいつか覚めるもの、覚めなくてはならないものだと。
だからアーデンもまた夢から、……あの深い眠りから目を覚ましたのだ。
優しい記憶をそこに置いて。世界を呪う化け物となった。
男は思い返す。
たくさんの呪いを撒いて回ったことを。帝国を利用し、シガイを増やして、ルシスの障壁を崩し、多くの民を葬ったことを。幾つもの運命をも狂わせ、命を、愛する者を奪い去ったことを。星を冒し、神を出し抜き、復讐の一心でこの椅子に座ったことを。異母弟によく似た男の大切なものをひとつひとつ引き剥がし、踏みにじったことを──。
そこに後悔はない。
後悔などないのだが……ただ時折、水底から浮かび上がる泡沫のようにあの夢が、アーデンの僅かばかりに残った良心というものに影を落とすのだ。
アーデンは深い深い溜息を落とす。
冷たく堅い、他人を見下ろすばかりの玉座の上。ずっと求めてやまなかったその上で。
「……こんなものが、」
アーデン・イズニアは固く固く目を閉じる。
こんなものがあの男は欲しかったのかと、こんなもののために自分は殺されたのかと、こんなものを巡って二千年もの時を彷徨っていたのかと思うと……、なんだか急にやるせなくなった。こんなもののために死んでゆく男を少しだけ──不憫だと思った。