13

ざぁざぁと雨の降る音。バラバラと雨粒が弾かれる感覚。トンネルを抜けた先、どこか哀愁を漂わせる雨のにおいにアーデンはゆっくりと瞼を押し上げた。
『アーデン』
目の前にあるジェラート屋の屋台の下で、先に進んでいた生き物はひとり雨を凌いでいた。濡れるわけでもないのに律儀なものだ。
「ここは…?」
いつの間にやら手に持っていた傘を差したまま。アーデンは屋台へと歩み寄り、ぐるりと周囲を見渡した。綺麗に敷き並べられた石畳、あちこちに配置された天使の彫像、彩り豊かな花の数々、人々の憩いの場になるであろう美しい噴水。そして。つい、と遠くを見やれば、重厚で目にも鮮やかな建物と緻密で優美な尖塔がいくつも建ち並んでいて。その間隙を整備された瀟洒な水路が縫い合わせるように繋いでいる。どこかで見たことのある街の風景。……アーデンは儚い記憶を巡らせる。ジールの花が咲き乱れる楽園にも似たここは。豊潤な水に囲まれるこの街の名は──
『水の都 オルティシエだよ』
「オルティシエ……」
ぽつりと呟くアーデンに、生き物はそうだよ、と言ってキュウとちいさく鳴いた。本当はね…と、少しだけしょんぼりとしたように耳を垂らして。
『楽園にしようと思ったんだ…』
『でもあそこは きみにとって 楽しい思い出ばかりじゃないから…』
だからやめたのだと。そう綴って。ごめんねとでも言いげな雰囲気にアーデンは十分だよ、とその頭を押し撫でた。
「オルティシエ……”最高の街”だっけ…まぁ、悪くないんじゃない?」
アーデン自身、本当にそう思ったのだ。喩え滅びる前の最も華やぎ、栄えた楽園の姿を見ても、きっとアーデンは幸せには酔えなかっただろうと。幻は幻なのだと思い知らされるだけだ。それならば、いつか訪れた街の中を散策する方がまだマシであると。そう言えば、白い生き物はどうしてか寂しそうに笑ったように見えた。……雨が降っているせいだろうか。けぶるように雨が降っているから、そんな見間違いを起こしたのか……。
「……そういや前に来たとき、雨は降ってなかったなぁ…」
記憶にある限り、オルティシエの空は晴れ渡り、気持ちの良い風が吹く賑やかな街だった。だからか。誰もおらず、ただざぁざぁと雨の降る音だけが響く街はなんだか物悲しく、似合わないような気がしたのだ。雨って憂鬱になるよねぇ…。そうぼやいて、アーデンは辺りを見回し、あのパネルを探す。──天気を変えるあのパネルを。
その姿に気付いてか、生き物はぴょんと飛んでアーデンの肩に乗っかると、あっちだよアーデンと方向を指し示した。あっちあっち。拙い生き物の案内に沿って進んでいって。そうすれば街の一角、行き止まりのテラスの前にそのパネルはあった。
生き物は甘えるように言った。
『アーデン ぼく 晴れの天気が良いなぁ』
アーデンはちいさく笑い、希望通り二度パネルを踏んだ。奇遇だな。そう心の中で呟いて。

 

雨の天気を曇りの空に。曇りの空を晴れの空に。天気を変える不思議なパネル。踏めばあれだけ土砂降りだった景色が嘘のように、降りしきる雨を止ませ、雲間から見事、太陽と清々しい青空を覗かせた。
あぁ、まぶしいな…。目を細め、少なからずそう思うけれど。アーデンは傘を折り畳み、光の粒子へと変えた。まぁ、この帽子があれば問題ないだろうと肩を竦めて。
生き物がキュイッと嬉しそうに鳴いた。
見れば手元の羊皮紙には、歪んだへたくそな虹の絵が浮かび上がっていた。……なんだかくすぐったい心地になって、アーデンはそっとそっぽを向いた。

 

さて。街を散策し始めてすぐ、アーデンはふと思い出したように口を開いた。
「そう言えばここに来る前、この世界が最後だって言ってたけど、ここのどこかがゴールなの?」
『ううん』
生き物はふるふると首を振る。
『正確にはこの世界がゴールじゃなくて ここのどこかに長い廊下があるんだ』
『それが”夢のゴール”に続いてるんだよ』
「なるほど…」
どうやら今度はこのだだっ広い街から長い廊下を探さなければならないらしい。途方もないな…とアーデンは憂鬱になる。が、よくよく考えればゴンドラの漕ぎ手はいないのだし、そもそもゴンドラも用意されていない。水路で繋がる水上都市で水路を使えないとなると、捜索する範囲はある程度絞られてくるだろう。そう思い、アーデンは気を取り直す。まぁ、それでも広いことには代わりはないのだが。
『さぁ 夢のゴールに向けて 一緒に頑張ろう!』
方向音痴の案内役という不安要素には目を瞑り、アーデンは足を進めた。
『あっ でもその前に!』
生き物はストップと言ってアーデンの肩から飛び下りると、アーデン、あのパネルを踏んでみてよ、と少し先にある、道のど真ん中に設置された銀色のパネルへと駆けていく。
「……なにこれ」
仕方なしに近付いてみれば、そこには丸くて可愛らしい雛鳥のような絵が刻まれたパネルがあって。なんとなく嫌な予感がしたアーデンはそっとパネルから目を逸らした。
『効率よく 街を回れるパネルだよ!』
「いやいや、どう見ても鳥の絵なんですけど?」
前の部屋で、似たようなチョコボのパネルを踏んでどんな目に遭ったのか。未だ記憶に新しいアーデンは絶対にお断りだと苦い顔をする。しかも今回は成鳥でなく雛鳥だ。これはこれで何か酷く面倒な事が起きる気がする。
『さぁ 踏んでみよう~』
「却下します」
『え~ なんでなんで! 絶対アーデン気に入るよ~?』
『なんたって抱っこしたら もふもふのふわふわなんだから~!』
そう熱く語る生き物に、無視して先に進もうとしていた男の足が止まる。もふもふのふわふわ…? 抱っこしたら、ということは自分がこの雛鳥になるわけではないのだろうか。少しばかり興味が湧いたアーデンはジッとパネルを見つめた。もふもふのふわふわ…。うん、悪くない。そう思い、いや、でも待てよと歯止めをかける。そうやって生き物の甘言に乗せられて何度痛い目に遭ってきた? ぐるぐると脳内で討論しているうちに、これ幸いと生き物がえいっと体当たりしてきた。
「ちょっ…なっ!?」
ふらつく体。たたらを踏んでそのまま起動するパネル。ボフッと音を立てて広がる白い煙。それと共に宙に舞う色とりどりの紙吹雪と、パネルを囲んでキューキューと鳴く五匹のヒナチョコボが現れて……。
「!?」
『ということで アーデンには今から ヒナチョコボを捕まえてもらいます~』
「…いや、待て待て待て!」
勝手にしておいて突然何を言い出すんだと声を上げるアーデンをよそに、ヒナチョコボ達は一斉に思い思いの場所へと走り去っていく。
「あ、ちょっ……!」
あっという間に姿の見えなくなるヒナチョコボ。それに唖然としていると生き物がキュイと楽しげに鳴いた。
『ちなみにボクも彼らがどこにいるのか分からないから』
『頑張って一緒に探し回ろうー!』
あとヒナチョコボを捕まえると一匹あたり大きなクリスタルを一つ貰えるよ! という要らない情報もおまけに話してくれた。本当に要らない情報だな…とアーデンは額を覆い、天を仰ぐ。
「……つまりヒナチョコボを追うと自動的に街中を走り回ることになって、ある意味、街中探索には効率的だと……?」
『そういうこと! さすがアーデン』
「いや……いやいやいや、もう追わなくても良くない? 今のヒナチョコボの速さ見たよね!? すごく速かったよね? 見掛けたときに捕まえようかなぁくらいの気持ちで良くない!?」
『え~ でも……』
生き物はうんうん考えるように首を傾げる。なにか嫌な予感がした。すこぶる面倒なことが起きる予感が。……そして悲しいかな、その予感は見事的中する。
『ヒナチョコボ 街にいるナイトメアに食べられちゃうかもしれないし…』
「あいつらヒナチョコボまで襲うの…!?」
『まぁ一応 クリスタルの欠片を持ってるしね』
『それにナイトメアもヒナチョコボ食べたら 強くなっちゃうし… 体も大きくなっちゃうし…』
アーデン困らない? と言う生き物を振りきってアーデンはヒナチョコボが消えたであろう方向へと全力疾走し始めた。困らないかって? 困るに決まってるだろ! そりゃもう色んな意味で…! アーデンは走る。ヒナチョコボを追うために。ナイトメアを探し出すために。そういうことはパネルを踏ませる前に先に言え…! と叫びながら。生き物がアーデン待って~! と騒いでいたが、華麗にスルーした。

 

こうしてアーデンとヒナチョコボの全力鬼ごっこが開幕したのである。……絶対に負けられない戦いがそこにはあった。