06

朝日が目に痛い。肩でぜぇぜぇと息をしながらアーデンはその眩しさに目を細める。結局、次から次へと湧いて出るナイトメアと一晩中戦わされ、こんな時間だ。
『やったね アーデン!』
いつの間にかどこぞへと隠れていた生き物がキュイ、と鳴きながらひょっこりと顔を出す。こっちにはあれと戦えと言いながら自分は逃げるだなんて、この裏切り者め。そんな思いを込めて、生き物へじとりと視線を投げつけるも、生き物は素知らぬ顔でよく出来ましたとばかりに羊皮紙に花の絵を浮かび上がらせた。あぁ、お前はそういう奴だったよ。アーデンはがくりと肩を落とす。
『アーデン』
「…なに」
『アーデンが頑張ってくれたから この先にあるパネルのロックが解除されたよ!』
「この先……?」
まだ先があるのか。呆れつつ顔上げると、生き物は付いてこいとでも言うように前へと進む。仕方なくアーデンも膝についていた手を離し、先行く生き物の後ろを追いかけようとする……が、ふとあちらこちらに点在して咲く青い花を見つけて思わず足が止まる。
「これは…ジールの、花?」
ナイトメアを相手にしている時は夜闇に紛れて気付かなかったが。羽毛のように細かく裂けた花弁が幾重にも高く連なるそれは確かに見覚えのある花だった。
『アーデン こっちだよ』
白い生き物が自分を呼ぶ。それに導かれるようアーデンも歩を進めた。花の香りが強くなる。ザッ、と風が木々の間をすり抜け、その強さに堪らず目を瞑った。巻き上げられた服と髪が煽られ、ハタハタと風にはためく。それらがようやく落ち着きを取り戻した頃、ゆっくりと目を開ければ、目の前には一面に咲き誇るジールの花が海のように遠くまで続いていた。
「………綺麗だ」
知らず唇から感嘆の言葉が溢れ落ちる。それに生き物もキュウと鳴いた。それが同意を示すようにも、早く来てと呼ぶようにも聞こえ、アーデンは気持ち急ぎ足となる。そんな姿をわらうように、ひときわ強い風がアーデンと青い花弁を浚った。その風に混ぎれ、どこか懐かしさを覚える声がアーデンの傍らをすり抜ける。

 

《これはジールの花》
《青く気高く咲き誇る花》
《 “  ”のみが咲かせられる特別な花なのです》

 

記憶の向こうで誰かが笑う。そう言えば、かつてこの珍しい花の名を教えてくれたのは誰だっただろうか。
遠ざかる声を追うように来た道を振り向いてみるも、もちろん誰もいない。それが本当にこの世界では自分と自分の記憶のものしか存在しないのだと言っているようで、なんだか物悲しくなる。
『アーデン』
「………はいはい」
呼ばれるままに、花畑の真ん中で座り込む生き物へと足早に歩み寄る。生き物がキュイと鳴いた。
「……これは?」
『頑張ったアーデンに ごほうびだよ!』
青いジールの花に埋もれるように。そこにはリボンを結わえた箱の絵が刻まれた銀色のパネルが備わっており、ロックの解除を示すようほのかに金色の光を放っていた。
『さぁ 踏んでみて』
きっとアーデンも気に入るよ。生き物の言葉に背を押されるようアーデンはパネルへと足を伸ばす。パネルが足裏で沈み、カチッと填まって作動する音がした。それとともにポンッと軽い破裂音と白い煙が充満して。ひらひらと色とりどりの紙吹雪が舞ったかと思えば、細かな光の粒を纏わせた黒い傘が目の前の宙に現れる。アーデンは驚きに目を丸くした。
「…は!? 傘…?」
『ほらアーデン 差して 差して』
そう生き物が促すのと、真上で黒い雲が一気に広がり頬にぽつりと雨粒が落ちてきたのは同時だった。
「わっ、」
暗い雲の狭間でいくつもの稲光が走る。アーデンはそっと宙に浮く傘を手に取ると、纏う光を払うようにそれを差した。途端、雨が強くなる。生き物は嬉しそうにアーデンの足元に避難すると、キュイと鳴いて文字を綴った。
『ほらアーデン 彼らが次の道を教えてくれるよ』
「彼らって…」
誰のことだ。そう続くはずの言葉はあんぐりと開いた口の形で止まってしまう。黒い雲の向こうで立派な杖を手にした巨大な老人が、雷を伴いながら空に浮かんでいたからだ。彼らとはまさかアレのことだろうか。ひくりと口端がひきつる。
しかし、そんなアーデンなどお構いなしに老人はアーデンへとゆっくり指を差す。いや、角度からしてアーデンではなくその後ろを見ろという意味か。指し示された方角へ目を向けると、何本もの稲妻が空を駆ける中、ひときわ明るいそれが雷鳴を響かせながら地へと落ちた。つんざく轟音。地を震わす衝撃。目映い雷光に堪らず目を閉じる。あちらは滝の方角だろうか──。
そんなことを思いつつ、収まった雷光に恐る恐る目を見開いたアーデンは、今度こそ目の前の光景に固まった。女──白銀に煌めく、まるで氷雪の化身のような美しい女──が背に生えた薄い羽を宙に翻えさせ、静かにこちらへと手を伸ばし、顔を覗き込んでいたのだ。アーデンは思わず言葉を失う。一方で白く輝く女はアーデンの視線が向いたと分かると、緩やかに優しげな微笑みを浮かべ、ふわりと空へ舞い上がった。それに喚ばれるよう何処からともなくひとり、ふたり……とアーデンの背後から次々と同じ姿の女が現れ、傍らを駆けていく。
「……凄い」
それは幻想的な光景だった。空で舞い踊る女達により厚い雲が払われ、まばらに落ちる雨粒が小さな氷となり高く高く吹き上げられて。舞い上がる花弁の青と垣間見る空の青に染まりながらもきらきらと水晶のように日の光を反射するそれは、もはや美しいとしか言いようがなかった。
『行こう アーデン』
思い思いにくるくると宙で躍り、漂いながら女達はアーデンを誘うように雷の落ちた方へと手をこまねく。どうやら向かう先はやはり滝の方らしい。その美しい光景に後ろ髪を引かれながらも、アーデンは生き物とともに導かれるまま足を進めた。ザアァァと風が吹き抜け、その先でジールの花が寂しげに揺れる。止まりそうになるアーデンを押し進めるように、生き物がキュイと鳴いた。
『次の場所はね キミも大好きだったところだよ』
「次…?」
『そう 次のお部屋!』
白銀を纏い女達が楽しそうにアーデンの周りを浮遊する。その内のひとりが何かを見つけたとばかりに滝の方へと指差した。それを合図にそれぞれがアーデンに手を振り、頭を撫で、かと思えば交差しながら高く空へと飛び去っていく。生き物も同じように何かに気付いたのかぴょんとその場でひとつ跳ねると、滝の方へと駆け出していった。
『アーデン あったよ!』
こっち、こっちと呼ぶ生き物の後を追いかけ、ようやくアーデンも彼らが見つけたものを理解する。
そこにあったのは金の輪だった。滝のほとりに違和感しか齎さない、大人一人は余裕でくぐれそうな程大きな金の輪が、滝から押し寄せるさざ波に揺れることも流されることもなく、ぷかりとそこに浮いている。
「ねぇ、まさか次に続く道って…」
『さぁ 僕に続け~ 思いきってジャーンプ!』
アーデンの言葉など聞いていないかのように、白い生き物はなんの躊躇いもなくざぶんと水音を立て金の輪の中へと飛び込んだ。嘘だろ……。アーデンは額に手を当て天を仰ぐ。
念のため確認してみるが、生き物が浮いてくる様子も沈んでいく様子もない。本当にこれが次の部屋への入り口──いやこの世界の出口と呼ぶべきか?──なのだろうか。いや、もうどちらでも良いか。諦めたようにひとつ溜息を溢すとアーデンはパチンと傘を折り畳んだ。まぁ悪いことにはならないだろう。……なったとしてもそれまでだ。
深く息を吸い、呼吸を止める。もう一度だけちらりと花畑の方へ視線をやるも、もうここからでは見えなくて。アーデンはもう一度だけ強く瞼を閉じると、生き物と同じように金の輪へと勢いよく飛び込むのだった。