ご近所さんの話 伍【大人夜と子昼でハロウィン】

「本当にお母さん、付いて行かなくても大丈夫?」
「うん、平気だよ! 夜が誘ってくれたんだから危ないことはないでしょ? そんなに心配しないでよ」
「ふふ、それもそうね。みんなも一緒だし危ないことなんて無いわよね。それじゃあ、みんな気を付けて行ってらっしゃい」

 は~い! と元気良く手を挙げて返事をするのは、小さなリクオとその周りに集う十数人の小さな不思議な姿形をする者たちだった。今宵はハロウィン。遠い海の向こうのお祭りの日であり、子どもたちは仮装をして『トリック オア トリート!』なんて言ってお菓子を貰って回る特別な日なのだ。
 先日、またもや〝偶然〟助けてくれたご近所さん、夜にそう学校で習った内容をリクオが得意げに話してみせたのが事の発端である。それまで自分を抱き合げ、ほうほうと静かに頷いて聞き入るだけであったご近所さんは、聞き終わった時にはどうしたことだろう、ここぞとばかりに一つ悪戯を思いついたような顔をして突如、誘いをかけてくれたのだ。

 ――曰く、ならば今年は菓子をやるからうちの屋敷に来れば良い、と。お前と同じくらいの、縁ある者たちを迎えにやるから日が落ちたらこちらに来ないかと、その者たちと共にハロウィンという祭りとやらを楽しめば良いと、そう言って。
 うっすら目元を和らげ浮かべた夜の笑みに少しだけ頬を赤くしたのはまだまだ記憶に新しいものである。どうする? と艶やかに問いかけられた言葉に赤くなりつつも、リクオは子どもながらに行きたいと思った。それは今夜、縁日があるが行くかい? と父親に尋ねられているようなもので、子どもの好奇心がくすぐられないはずはない。しかし唯一の肉親である母親のことを考えるとすぐに言葉では答えられず眉を下げていれば、我儘を言えないリクオの代わりに夜はこれまたあっさりと母、若菜に掛け合って、その母もまたあっけなく、あら良いわねぇ~なんて言って(むしろ母さんの方が楽しそうにきらきらと目を輝かせて)許可をくれたのがこれまでの経緯と言ったところだ。

 そして当日、いつもと同じくご近所さんの家を訪れるための着物を身に付け、そこに少しだけ手を加えるよう母特製のおめかしをして無事に宵を迎えれば言葉通り、夜に縁のあるらしい様々な姿に扮したであろう小さな子どもたちが青白く光る提灯をいくつか掲げてリクオの家へと迎えに来た。
 その子どもたちは実に立派なもので、本格的な仮装の子ばかりであり、おそらく『妖怪』という生き物に近しい……いやその格好そのものとも言い切れるくらいの完成度である。
 妖怪と言えば普段からリクオを追いかけてくるあの怖い妖怪を第一に思い出すのだが、この者たちはその姿に似合わずとても明るく陽気で、調子が良い上にこれ以上ないほど親切であり、これまで見た妖怪の姿とは天と地ほどの差があるのだということはすぐに分かった。故にリクオが怖さを感じることは微塵もなかったし、そこには夜と深い縁があるのならば決して悪い者たちではないはず、というどこか盲目じみた思いも一役買っていた。リクオはそれくらい夜を信頼しているし、そもそもこんなに陽気な者たちが自分をぺろりと食べてしまうはずはない。本格的な妖怪の姿を目にしても物怖じしない態度のおかげか、みんなは夜の屋敷の者たちと同じようにリクオのことを昼若さま、と呼んではわらわらと嬉しそうに集い、坂の上へと手を引いた。
 ねぇねぇ、昼若さま~とそのうちの誰かが声を弾ませて口を開く。

「屋敷までかけっこしましょうよ! おいらぁ、足が速いんだよ!」
「ばっかやろう~、昼若様は下駄を履いてらっしゃるんだぞ? 草履のお前が勝っても何も不思議はねぇだろ~?」
「あはは、もう慣れたから、走るくらい簡単だよ! ねぇ、やろうよ、みんなでかけっこ! それとも負けるのが怖いの?」
「まっさかぁ~! 昼若さまが良いっておっしゃるんなら、やりましょうよ! おーい、提灯持ったやつ遅れんじゃねぇぞ~!」

 仕切り屋な者と、そう言うお前こそ遅れんなよ~! いやお前こそ~と笑い声を上げる小さな者たちにリクオもつられてふふりと笑いを洩らす。それから、それじゃあ、行くよ? と確認を取り、おおう! と返す声によーいドン! と掛け声を落として一つ手を叩けば、途端きゃあきゃあと、はしゃぎながら、皆が走り始めた。かけっこと言ってもお遊び程度の軽いものだったが、リクオも負けじと駆け出してみれば、からんころんと軽やかな下駄の音と、身に付けていたちりんちりんと奏でる涼やかな鈴の音が明るい笑い声に花を添えた。傍らから掠める、この感覚久しぶりだな~とか、なぁに言ってんだ久しぶり過ぎて鈍ってんじゃねぇのかい? もう息が切れちまってるぜ~などという冗談に耳を傾けたり、一緒に言い合ったり、宵闇の中でゆらゆらと揺れる提灯の灯りに目をやったりしながら坂の上を目指す。それは昔ながらの友達のようにこうやって笑い合える感覚は不思議とリクオにとってとても懐かしく感じるものだった。

 別に学校でいじめられているとかそういう訳ではないのだが、どうやって人の口に戸は立てられぬ。……仲良くしてくれる子ももちろんいるが、妖怪に追いかけられたと、そう口にする自分を気味悪がる子だって確かにいるのだ。
 だから普段から言動には気を付けなければならないとリクオは学んでいたし、どこか一歩引いたところを立ち位置としているのに、この者たちにはその必要は無いと思わせる何かがあった。元からこのような姿形で出会ったからであろうか。とにかく難しいことを何も考えず、ただただあどけなく笑ってたくさんの者たちとはしゃげる空間というのがとても久方ぶりのように思えたのだ。そのせいか、あんなに遠いと思っていた坂の上も今日はすぐに終わりが見えたような気がした。門前まで続く道の脇に掲げられた提灯はいつもと違って既に青い灯火が煌々と宿っており、傍らのそれと同じく美しくも幻想的な光景を魅せている。
 その眩しさに思わず走る足を止めてそっと目を細めれば、周りの妖怪たちもそれぞれに足を止めた。こちらから影になった門のところに誰かいる。暗い影だが、見覚えのあるその姿にあ、とリクオがぽつりと零すと、影の人は明かりの下へと進み出てその貌を晒した。

「よく来たな、昼――どうしたんだい? まるで化け物でも見たような顔して」
「え、え、ぁ…ちょ、ちょっとびっくりしただけっ。夜が外で待ってるなんて思ってなかったから」
「まるで、普段からお前の来訪を待っていないような言い草だなぁ」
「ふふ、私の言った通りでしょう、夜若さま? 昼若さま、絶対びっくりなさるって」
「……え? あ、つらら!」

 いらっしゃいませ~、昼若さま、とそう言って夜の後ろからそろりと姿を見せたのは、馴染みある白い着物を身に付けたつららだった。初めてじゃあるめぇしおまえ、なんで驚くんだい? と未だ分からないと言った顔で首を傾げる夜へ、つららはくすり、と綻ばせそれはですねぇ~とちらりとこちらに微笑みかける姿に、まるで自分の心が読まれているのではないだろうかと思えてしまって、途端リクオは気恥ずかしさに襲われる。今すぐにでも先を言ってしまいそうなつららに、ついつい居た堪れなくて慌てて駆け寄って馴染んだその柔らかい体へとぎゅっと抱きつくと、つららはあらあらと目を丸くしたものの、にこりと笑ってはいつものようにぎゅっと抱き返してくれた。

「お久しゅうございます、昼若さま。風邪など召してはおられませんか?」
「…うん、」
「それは良うございました。今日は甘いお菓子がたくさんありますから、存分に楽しんでいってくださいね?」

 ふふ、と笑ったつららの手がリクオの頬や耳朶を優しく撫でる。ひんやりと冷たいそれは、夜闇ではあまり目立たないであろう赤くなったそこに当てられ、火照った肌にはちょうど良くて気持ちが良かった。やっぱりつららは気が付いている……、とリクオは内心思ったが、言えるはずもなくて抱きしめる腕にぎゅうっと力を込めるだけに終わる。言える訳がない。……青白い提灯の明りの下、艶冶に口元を緩めこちらを見る夜の姿があまりにも綺麗で艶めいていて、男の人相手だと言うのに思わずどきどきしたなんて、そんなこと。

 恥ずかしさに白い着物へと顔を埋めていると、後ろでつらら、つらら、オレたちにもなんか一言くらいあるだろ~! という声が聞こえた。それにつららは、はいはい、みんなもお仕事ありがとう、可愛い悪戯程度で楽しむんですよ、とそう言って、ほらほら夜若さまも! と夜を見上げた。

「せっかく昼若さまがいらしてくださったのに、そんな顔をするものではないですよ?」
「……オレがどんな顔してると? つらら」
「そりゃあもう、盛大に拗ねたお顔のようで」
「………………」

 くすくすとつららが笑う。それにつられてリクオも顔を上げれば、そこには子どものように拗ねてむっとした夜の顔があった。そんな顔にぱちくりと瞬きをしていると、やにわに夜はつららへと抱きついていたリクオの手をやんわりと取って、そっと自分のそれへと繋いだかと思えばそのままずいずいと門の中へと連れて行ってしまう。夜若さまー、乱暴はいけませんよー! とつららの声を背にしながらリクオは慌てて短い足でとことこ付いては行くものの、あまりに突然のことで夜? と問いかければ、繋いだ先を行く男はくるりとリクオの方を向き、なんだい、と応えた。

「怒ってる、夜?」
「怒ってはない。ただ、つまんねぇなとは思ってる。お前を呼んだのはオレなのに、お前ときたらオレに構わずつららに抱きついてばかりだから」
「………それってつまんないの?」
「あぁ、つまんねぇさ」
「ふぅん……」

 よく分からないが、つまり放っておかれてつまらないから相手をしろ、ということであろうか。確かにさっきは驚いてじっと夜を見つめたり、はたまた恥ずかしくてつららに抱きつき顔を隠したりしたのは悪かったのかもしれない。
それじゃあ、とリクオはにこりと笑った。

「トリック オア トリート、夜! お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!」
「は? ……くく、あぁ、そうだったな、今宵はハロウィンだったな。悪戯も歓迎だが、菓子もちゃんと用意してある。いくらでも持っていきな、小さな妖怪さんよ」

 にっ、と夜が笑う――それはいつも通りの笑い顔で、夜の大きな手がくしゃりとリクオの髪を撫でた。そうすればリクオの頭に付けた黒い猫耳付きのカチューシャがふわりと揺れて、飾りの鈴がりりんと音を立てる。化け猫かい? と夜が尋ねるので、うん! と応えれば、さすが若菜さんだ、と含んだ笑いが夜の口元を彩った。どうしてそれを知っているのかと(事実、ハロウィンと聞いた母さんが実に楽しそうにこのカチューシャと着物諸々を用意をしていたのだが)疑問に思うと、そのまま顔に出ていたのか、そりゃあ、若菜さんは可愛いものが好きだからな、と夜はゆるりと目を細めた。

 確かにそう言えば、僕、化け猫より狼男のほうがカッコいいと思うよ? と言った言葉も、こっちのほうが可愛いんじゃないかしら? なんてさらりと返された記憶がある。それはつまるところ、妖怪なのに可愛いとかそういう方面になっているということなのだろうか……。それってどうなんだろう、と頭を悩ませるも、可愛らしい妖怪で良いじゃねぇか、と夜はするりと頬を撫ぜた。
 少なくともオレは好きだがなぁ? とそう言ってぺろりと舌を唇に這わせる夜に、どちらがおどかす側だか分からないと思ったのはきっと自分の気のせいだとリクオは思い込むことにする。まるですぐ傍でライオンを見ているように背筋がぞくりとしたなんて、そんなこと夜に限ってあるはずがない。
 そうやってハロウィンの夜が既に始まっていることなど気付かぬ振りをして、リクオは夜の誘い込む手に引かれるまま屋敷の中へと足を踏み入れる。もちろん夜から甘い甘いお菓子をもらうために。

 

 

 

 きらきらと琥珀色に輝く鼈甲飴、可愛い色と形をした有平糖、大玉のざらめをまぶした色とりどりのみぞれ玉に、小さなお星さまを手にしたような色とりどりの金平糖。飴一つ取っても様々な種類が揃えられるそこは、言うなればヘンゼルとグレーテルに出てくるお菓子の家のようだった。――ただし全て和風だったけれど。それでも、夜の気に入ったかい? と問いかける言葉にリクオは、もちろん! と屈託ない満面の笑みを浮かべて答えられる。美味しい和菓子たちも、隣の大部屋から聞こえてくるどんちゃん騒ぎの声も、(子どもばかりのはずなのに何故か)酒の香りを乗せている風も、もはやハロウィンを見失つつある形ではあるが、そのような驚きも通り越せばどこかくすりと笑いたくなる程の楽しさがここにはある。

 そして、それがこの屋敷の雰囲気としてどこかひどく似つかわしかった。むしろ普段のもの静かな屋敷よりも、今のこの騒がしいくらいの屋敷のほうがしっくりくると思うのは、はてハロウィンという祭りの熱気にあてられたせいなのか。そんなことをこっそりと思うリクオの前でそりゃあ良かった、と夜は笑う。

「ならもっと食べていくと良い。昼、お前は痩せすぎだ。それに背も小さい。甘味だって時には必要だろう?」
「そうかなぁ…ちゃんと食べてたら、僕も夜みたいに大きくなれるかな?」
「くく、それはどうかな。まぁ、少なくともオレは甘いもんは苦手だからそう滅多には口にしなかったとだけは言っておく」
「……それって甘いものと大きくなるの関係無いって言ってるのとおんなじだよね?」
「さぁて。信じるも信じないのもお前次第」

 くつくつと愉しそうに笑いを零す夜にリクオは拗ねたようにむぅ、と唇を尖らせた。時折、夜はこうやって本当か嘘かも分からないような掴みどころの無いことを言ってはこちらで遊ぶ。……正直言って性質が悪い。夜のばかーと、腹立ち紛れに摘まんでいた金平糖をいくつか口の中へと放ると、リクオは舌の上で転がすこともせずにもぐもぐ噛み砕いた。すぐに甘みが口の中に広がって、しかめっ面が少しだけふにゃりと緩み、悔しさもまた金平糖と同じようにほろりと脆く崩れていく。確かに甘いものは体に良いのかもしれない。少なくともちょっとした幸せを口の中へと運んできてくれる。

 そんなことを思っている自分にふとじーっと夜の視線が向けられていることに気が付いてリクオは目を瞬かせた。……正確には夜の視線はリクオではなく、リクオの手の上に乗る金平糖に注がれていたのだが、何故そんなに熱心に見つめているのかと首を傾げると一つの考えに思い至る。もしかして……。

「えっと……夜も食べる? 金平糖」
「食わせてくれるのかい?」
「え、あの…僕が食べさせてあげる、の?」
「ダメなのか?」
「え、いや、…ダメじゃないけど、」

 あれ、なんでそういう話になっちゃうの? と思いつつも、別段難しいことでも何でもないので小さな星の形をした菓子を一粒、指で摘まんではそっと落とさないように持ち上げるが、そう言えば夜は甘いものが苦手だとついさっき言ったばかりなのに、大丈夫なのだろうかという疑問が浮かぶ。念のためこれ、すごく甘いよ? と確認も込めて言ってみれば夜は、ふぅん、と頷き、かと思えばどっちが甘いのか知るのもまた一興、などと笑んで見せた。どちらもこちらも甘いのは金平糖に決まっているのに、何を言うのかとリクオが眉を寄せると、目の前で夜の唇がにぃっ、と艶っぽく優美な弧を描く。そして、その唇が薄く開かれて覗いた舌が音もなく下唇を濡らすと、リクオの胸はドキリと跳ねて、途端魅入られたように動けなくなってしまった。それを分かっているかのように綺麗な夜の顔が近付いた。
 動けない自分の代わりのように、夜が自ら金平糖を求めて口を開ける。
 食べられる――そう思った時には唇が己の指へと触れていた。

「…っ、……!」

 ぱくりと食まれた指。それと同時に、力の抜けた指から舌の上へころりと滑り落ちる金平糖。瞬き一つでリクオの頬には、それはそれは鮮やかな朱が散った。しかしそれさえも序の口だと言うように、夜の唇はリクオの指を離さずして、それどころかちろりと舌を伸ばして指の腹をくすぐり舐め上げる。その感覚にきゅっ、とリクオの肩が竦む。
 舌の上で踊る小さな金平糖がやんわりと当てられると、指を痛くない程度に甘噛みされると、強く指を吸いつかれると変な感じがして堪らなくなる。くすぐったいという感覚にも似ているが、それとは別の、奥で疼くようなじくじくしたどうしようもない歯がゆさにも似た感覚が芽生える。

「好いねぇ、その顔。そそられる」

 そう言って食んでいた指を離して、ふわりとリクオの顔を覗きこむとその唇に夜の吐息が触れた。合わさったその視線の先は、その細められた目の色は、綺麗なのにどこかライオンかヒョウのように力強くしなやかで、抗いようのない何かを含んでいた。でもだからこそ畏ろしくてしょうがないと思う。いつもの意地悪とは何かが違った。からかうような色が見当たらなかった。畏ろしい……。恐ろしいのではなく、怖ろしいのでもなく、ただ純粋に畏ろしいと思うのである。妖怪に追いかけられるような恐怖というものではなく、美しさに、力強さに目を奪われて、その間に全てを奪われてしまいそうな、そんな畏怖がリクオを襲う。逃げなきゃ食べられる。そんな根拠のない考えが浮かび上がった。

「……っ、ダメだよッ。悪戯はちゃんとお化けの、妖怪の格好して、お菓子を貰えなかった子しかしちゃいけないのっ」

 そう言ってぺちり、と音を立てて小さい手のひらで夜の口を塞いだ。そうなのだ、これが普段の意地悪でないのならきっと悪戯に決まっている。……だって今日はハロウィンなのだから。ちょっと羽目を外し過ぎてしまっただけで。
 夜の口元を押さえる手がかたかたと震えてみっともないことは分かっていた。今にも泣きそうにくしゃりと歪んだ顔も。もっともらしい言い訳も、おそらく夜がつつけば簡単に崩されてしまうだろう。それでも一縷の望みを託してリクオが夜を見つめると、夜はきょとんとした顔をして、それからからからと大笑いをした。

「そうか、それならしょうがねぇ。口吸いは――悪戯はまたの機会にしておくか」

 くっくっと一通り笑い終わると、夜の口の中でがり、と金平糖の砕ける音が微かに聞こえた。それと同じくして大広間の襖が(それこそ隣できっちり聞いていたのではないかと思うくらい絶妙な間で)スパーンと開け放たれ、小さき妖怪の姿の者たちがわらわらとなだれ込んで来ては、そういや昼若さまーと声を掛ける。え、と突然のことにリクオは驚き慌てるも、そろそろ化け猫横町に行きましょうよ! と言いつつその手を取って立たせられ、ほらこれも、と可愛い巾着袋まで手渡された。

「お菓子貰いに回るんなら、やっぱ化け猫横町にも行かねぇと!」
「良太猫のやつ、きっと今か今かと待ちくたびれてますぜ!」
「夜若さまはどうします? 回るのはちっちゃい子どもだけって聞きましたけど~」

 騒がしいほど口々に声を上げる者たちに夜はちらりとリクオを見やってから(ぴくりとリクオが肩を震わせる様を見つけたののだろう)あぁ、そうだったな、お前たちだけで行って来いと苦笑し、ふと立ちあがって開けっぱなしの縁側へと歩み寄った。するり、と腕を上げると、しばらくしてゆらゆらと宙に浮く青い炎がどこからともなく夜の側へと寄ってきて、さながらまるで数十もの蛍に囲まれたような幻想的な光景を映し出す。夜闇に浮かぶ美しい炎と夜の姿……。そのあまりにも美しい様にとくりとリクオの胸は脈を打った。

 リクオの視線に気付いたようについ、と夜がこちらへと視線を向けるとその意思を感じ取ったかのように炎は夜の側から離れ、ゆっくりと皆の側を漂い周りを明るく照らし出す。その炎を綺麗だと思う一方で見た目通り、触れたら熱いのだろうかと、リクオは反射的に身を固くするも、ゆらゆらと近づいてきたそれは側を掠っても全く熱を感じず、興味心でそっと手のひらを差し出してみれば、青火はふわりと大人しく収まって、リクオはわぁ、と思わず声を上げた。

「きれいだね、これ…」
「そうかい? お前に気に入られたんなら、こいつらも喜ぶだろうよ。昼、夜道は暗い。そいつらも連れていくと良い」
「いいの? ……ありがとう、夜」
「……あぁ。それと、そこの菓子もいくつか持って行くと良い。オレみたいに悪戯しようと思うやつがいねぇとも限らねぇからな」

 そう言ってにやりと嗤う夜の貌に、リクオは今この幻想的な光景も忘れ、先程の畏ろしくもしなやかな夜の姿を脳裏に思い出して、顔を赤くした。リクオの頬だけでなく耳まで真っ赤に染め上げる姿に何が可笑しいのか、夜がくつりと喉を震わせ意地悪そうに相変わらず、と言葉を洩らす。それはいつもの姿でもあり安堵するやら、拗ねてしまいたいやらでリクオは内心、とても複雑だ。相変わらず、なんだと言うのだろう。むくむくと擡げる小さな反抗心。こうなったら持って行けるだけ持って行ってやろうと、さっさと懐にお菓子を詰めて、夜の顔も大して見ることが出来ぬまま、行ってきますっと言っては他のみんなを連れだしてぱたぱた逃げ出すように座敷を出て行った。

 だから知らない。

 相変わらずお前は興味をそそると艶やかに嗤う貌も、大体、オレは妖怪で、お前が与えた菓子も元はオレが用意したもので――悪戯する権利は十分にあったんだがなぁ……? とそう愉しそうに呟く声も。ライオンのような目でこちらの後ろ姿を見ていたことも。何もかも、今はまだ何も知らない。

(短気は損気)