弟夜と兄昼 弐

「昼っ! また試験で一番取ったんだってな!」

 そう言って夜は帰ってきたばかりの兄の部屋に勢いよく飛び込んだ。着替えの途中だったのか、普段着の着物の帯を締めていた昼は突然訪れた弟に目を丸くし、手を止める。

「よ、夜!」
「お帰り、昼。で、おめでとな、一位!」

 どこから聞いたの!? と昼が驚きの声を上げるのも無理はない。おそらくその結果と思われる成績表はまだこの部屋の片隅にある鞄の中であろうから。黒羽丸がカラス天狗とじじいにそう言ってんの聞いた、と素直に口にしてにじり寄ると、昼は再び帯を結び直しつつ苦笑いを口元に浮かべた。

「ありがとう、夜。そう言ってくれるのは夜だけだよ」
「? なんでだ? 母さんにでも言えば御褒美貰えるぞ?」
「はは、良いよ、そんなの。試験で一番を取ったって結局はこの組には何にも使えないんだから」

 それにしても黒羽丸は何でも知ってるね~、どこで見てるんだろ、と笑って話を逸らそうとする昼に、夜は少しだけむくれる。お目付役、とまでは言わないが、昼の影の護衛として付けられている黒羽丸。その男は昼のこととなれば何でも知っていた。……夜の知らない昼のことも全部。だから夜はあまり黒羽丸が好きではない。祖父やカラス天狗の命で無ければ、側近の者に我儘でも言ってとっくの昔に引き離しているところだ。昼にとって味方の少ないこの家で、肯定するわけでもなく否定するわけでもなく、ただ寡黙に寄り添う黒羽丸を昼はそれなりに信頼している。喩え、その者によって余すことなく自分の行動の全てが他者に報告されようとも、黒羽丸自身、昼を否定する者では無い故に。いけすかない奴、と胸の内で呟いて、夜はそんなこと無い、と唇を尖らせた。

「また勉強教えてくれるだろ? 昼は教えるのが上手いからオレは嬉しい」

 誰かに分かりやすい説明が出来るのは相性以前にその者がきちんと理解していることが大切なのだと牛鬼は言っていた。昼が教えてくれることは全部面白いし、とても分かりやすい。頑張れば御褒美もくれる。だから自分もやる気になれる。昼が勉強出来て使えないことなど無い。むしろありがたい。牛鬼の教えてくれる話も興味深いけど、昼が教えてくれる方がずっとずっと楽しくて好きだ。

「それに、オレだったら試験ってやつじゃあ絶対一位なんて取れない」

 昼はすごいな。学年で一番ってことは三百の人間の一番上なのか。百鬼より多いんだな。ころころと笑って、そう冗談めかして言うと、昼の頬っぺたがうっすらと赤く染まった。可愛いなぁと思う。自分よりずっと年上の兄だけど、こういうところはとても可愛い、食べてしまいたいくらい。きっと黒羽丸はこんな顔をさせたことは無いんだろうなぁ、と夜はこっそり優越感に浸る。……あの男は昼を否定はしない。だがこうやって認めることもしないのだ。そう、これは自分だけの特権。

「なぁ、母さんに報告しよう。そんで、たまには昼も我儘言ったらいいんだ」
「うーん、それはねぇ……」
「なにか欲しいもんとかないのか?」
「欲しいもの、……」

 困ったなぁ、といった顔で昼の顔が少し曇った。それが本当に欲しいものが昼には無いという意味なのか、ただ母に、この家に遠慮しているだけなのか夜にはよく分からなかった。よく分からないから昼の顔をじぃっと覗き込む。覗きこまれた昼は困った顔のままそっと手を伸ばして、くしゃりと夜の髪を掻き撫でた。

「んー……じゃあ、御褒美は夜が頂戴? よく出来ましたって言ってくれると僕、嬉しいなぁ」
「……そんだけで良いのか?」
「それで十分だよ」

 そうか、と一つ頷いて、夜はぎゅっと昼の頭を己の胸へと抱え込んだ。え、と驚く昼を横目にそのまま夜はそのまあるい頭をよしよしと優しく撫で返す。

「――……よく出来ました、昼。よく頑張りました」

 よしよし、と。昼の頑張ってるところ、オレはちゃんと知ってるぞ、と思いを込めながら、よしよし、よしよし、と。
おもむろに昼の腕が夜の背に回される。そこでぎゅう、と寄る皺の数が、力の込められる指先が、すり、と強く頭を寄せる仕草が……どうしてか昼は泣いてるんじゃないかと夜に思わせるのだった。