正座

 オレの昼はどんな顔をしていても可愛らしい。その表情豊かな顔はくるくると絶えず喜怒哀楽を浮かべるし、小さな体も負けず劣らず分かりやすく動くからずっと見てて飽きない。ただ、それを眺めるのは己にとって楽な姿勢、又はそれなりに愉しめる姿勢を所望したいのだが、何分今日の昼はご立腹であるらしく、子どもながらにまろやかに曲線を描く肩も上がり気味、大きな目も眉も同じで、決してそんなこと赦してくれそうにも無い空気に夜はこっそり溜息を吐いた。膝が付きそうな程近い距離というのは大変喜ばしいことではあるのだが、その姿勢と言えば何を言おう正座なのである。普段、胡坐しか掻かない者が急に、しかも長時間正座させられたら、どうなるか分かるだろう? すっげぇ足が痺れんだよ。

 とは言え、事の発端は分かっている、自分があることないこと言いふらしたからだ。それで昼は怒っている。いつもは反省の色を少しでも見せれば終わるものを、今日に限ってなかなか終わらないのは、いつまで経っても夜が反省しない上に黙秘を続けているからだ。理由が理由なのだ、周りの牽制にやったのだと、そう言えばこの子どもは納得してくれるだろうか。いや、やっぱり子どもだから分からないか、と考え直しつつ、ついでにそれどころか、その必要は無いと今後は鴉を使って自分のことを徹底的に調べ上げ、常に目を光らせそうな気がしてならない。自分が遠くから見張られてる間に、油断しきった無防備な子どもを他人にぺろりと頂かれてはそれこそ元も子も無い話ではないか。……やっぱり黙っておこう。そう思って一体幾許の時が過ぎたのやら。思わず遠い目をしていると、夜、聞いてるの!? と昼の怒声が聞こえてくる。残念ながら先程からあまり話を聞いてなかったりする。そもそも夜としては怒られる理由は分かろうとも、それが本当に怒られるべき事象なのかはよく分かっていなかった。むしろ怒る程のことなのだろうかと疑問さえ思う。なぁ昼、と声を掛ければ、なぁに、夜? と実ににこやかに返された。……正直、怒った顔よりその笑顔の方が恐ろしいと思ったのは久方ぶりだ。それでもこれ以上悪化の一途を辿る前に聞いておきたいことくらいは聞いておかねばと口を開く。

「……オレはあることないこと言っただけだよな? なんでそんなに怒ってるんだ?」
「君、やっぱり反省してないんだね!? 大体、無いことはさておき、あること言ってどうするのっ…! 余計、質が悪いじゃないかっ!」
「ないことだけだったら良かったのか?」
「そういう意味じゃなくてっ!」

 僕がどれだけ恥ずかしい思いしたと思ってるの…! と、いっそ泣き叫ぶように言われて、そんな噂放っておけば良いのに、と口にしなかったのは恐らく英断だ。人の噂も七十五日。妖怪となれば尚早い。奴らは噂好きだが、それを肴にすれど一々本気にするような酔狂さは持ち合わせていない。放っておけば一月もせずに忘れるだろうよ、なんてこと元凶である自分が言おうものなら、それはそれは恐ろしい事態に成りかねない。もしかしたら勢いに任せて刃傷沙汰になるかもしれない。防戦一方の対祢々切丸という世にも恐ろしい命懸けの戯れに。それは困る、とうんうん心の中で頷いていると、昼の刺すような視線が痛くなる。なのに一方でどう落とし前付けてくれるんだよっ、と涙目かつ無言で言い放つその姿をつい可愛いと思ってしまったのはもう致し方ないのだろう。

「とりあえず、ないことも近々あることにするから気にするな」
「気に……って、真面目な顔して言ってるけどねぇ、君! 噂で一体何て言ったのかちゃんと覚えてる!?」
「あー、確か××××で買った×××で一晩中お前の×××に××て」
「…っ…、うわぁああ!! ちょっ…黙れ! 黙れぇえっ!! 誰が説明しろって言った! 何でそう、君には恥じらいが無いの!?」

 この程度、特に恥じらうことでもないような気がしないでもなかったが、ここは素直に閉口しておくことにする。……あまりからかってると昼の身の方が持たない気がした。あと、絶対やらないからね! 何があっても絶対に! 絶対に!! そんな恥ずかしいこと今後一切、一度たりとも赦さないから!! そう念押しされたけれども、如何にその絶対を崩すかが愉しいのであって、そこはどうあっても昼の意見は却下される予定であることを果たして教えてやるべきか否か。悩んでおきながらも結局これも秘密にしておくことにした。意外と自分は昼に秘密が多いようだ。まぁ全部近いうちに昼自身へと返っていくから良いのだろうけど――ちなみに夜の頭の中には傍迷惑極まりない、という言葉は残念ながら存在しない。
 それよりオレにとっちゃあ、こっちの方が大問題なんだが、と足を指して夜は声を上げる。……いい加減、痺れた足が限界なのだ。妖怪が滅多に怪我しないからといって足が痺れないとは限らないということを一つ学ぶ。反対に昼は、と言えば一瞬きょとんと目を丸くしたかと思えば、何の話だとばかりに胡散臭く首を傾げた。まさか、これも策略や説教の内に含まれていたのか……? なんて考えたくもなくて、夜はひくりと頬が引き攣るのを感じながら無理やり思考するのを止めた。が、もちろん怒り心頭の昼が赦すはずもなく、この前、鴆くんから教えてもらったんだ、とむしろ心なしか嬉しそうに話し出す。
 曰く妖怪も人間と同じように痛覚があるのだから、神経線維は似たような作りになっているのだと、故に長時間正座させて血の巡りを悪くすれば当然、痺れも来るものだと教えてもらったらしい。今度、鴆くんにお礼を言っておかないと、と笑みを零す昼の傍で、後日思いつく限りの嫌がらせをしてやると胸の内で誓いつつ、どうせこいつも十分胸のすく思いをしたんだろうし、と勝手に足を伸ばす。あぁ、一挙一動がこんなにも痛い。激痛とは言わないが思わず眉を顰めるほどに腹立たしくも痛い。それは昼とて知っているのだろう、だからこそ人の悪い笑みを浮かべた瞬間、この子どもはやってくれた。

「…いっ……ッッ…っておい、昼!!」
「なぁに、夜?」

 普段は色気のいの字も無いくせにこんな時ばかり、人の足を撫で回すように指を這わしやがって……! びりびりと走る不快な痺れに夜の柳眉がぎゅっと寄る。その顔が楽しいのか何なのかは知らないが、何度も何度も繰り返して、それはそれは楽しげにはしゃぐ子どもみたいに笑い声を上げる昼の姿に、幾度目かの痺れと共に夜の頭の中でぶちりと何かが音を立てて切れるのを感じた。
 そして自分の様子に気付かず悪戯に痛みを煽るその細っこい手首をがしっと掴む。え……? と昼は驚いた顔をするが気にせずそのまま引っ張り、ついでとばかりに勢いのまま背から畳の上へと倒れ込めば、数瞬後ずしりと慣れた重みが掛かる。つまり、まぁ簡単に言うと昼を抱き込んで仰向けの状態となったのだが、これがなかなかに良い眺めだったりする。昼はすぐに我に返って、焦りどうにかこうにか逃れようと手足を伸ばすも、その場所で自分の力で体を支えようとするなら方法はたった一つに限られていた。くすり、と夜の唇から嗤いが洩れる。たまにはこういうのも悪くないと思う。こうやって自分がまるで昼に襲われたような形というのも――所謂、自分の体を跨って四つん這いの姿と言うのか、滅多にお目に掛かれない上に、着物でそんな格好をすればお分かりだろうが、それなりにいやらしい光景なのだ。特に下から覗いてる者にとっては。着物の裾を割って曝け出される白い大腿なんぞ、なんて美味そうなのか、とついつい食指だって動いてしまう。けれども『そういうこと』は悪戯精神旺盛の子どもにたっぷりと意趣返しをしてからだ。

「――おい、雪女!」

 どうせどこか近くで自分たちのことが気になって聞き耳を立てているであろう側近の名前を大声で呼ぶ。何で呼ぶの! と慌てだす昼だが、逃げ出される前に夜はにぃっと嗤いを浮かべつつ昼の首へとそのしなやかな腕を絡め、それはだねぇ、と顔を上げて吐息の掛かる距離で、さも意味ありげに囁く。そして、だんだん近づいてくる障子の外の衣擦れの音を拾いながら、次の瞬間、昼の唇へと深く口付けた。言葉にならない声で悲鳴を上げられた気がしたが、それは二人の口内で消え、それと同時に夜の腕で昼を抱き寄せてより一層密着した形とする。ふと視線を障子の方へと向けると、こちらの部屋に近づいてくる小柄な雪女であろう影が映し出されていた。もう少し。ちゅっと吸いついて一度昼が呼吸できるように離してやってから、すぐにまた口付ける。それとすれ違うように外から、お呼びですか、夜若さま? と雪女の声が聞こえた。急いで離れようと身を捩る昼の体を腕で抑え込んで口付けを続けたまま返事をしないでいると、夜若さま? 昼若さま? と不安そうな声が投げられる。それさえも応えないでいれば、とうとう心配性の側近の影は立ち上がり、堪らずとばかりに障子戸へと手を掛けた。

「あの……夜若さま、昼若さま、いらっしゃいま、」
「ん…っ……!!」

 おおよそ三秒、雪女は目の前の光景に凍りつく。これはあれだろうか、昼若さまが夜若さまを押し倒していて、口吸いなさっていて、もしかして、いいえもしかしなくても自分はとてつもなく無粋なことをしてしまったのではないか……云々、思っていただろう、おそらくは。それも、ちらりと夜の投じた視線と出会うまで。視線が合った瞬間、雪女はぐるぐると目を回し始め、顔を真っ赤に染めて、ししし失礼しました若ぁぁあ!! と叫び勢いよく障子を閉めて走り去っていった。その速いこと速いこと。このままじゃ一刻もしないうちに噂広まるだろうな、と考えつつ、昼との口付けを解いてやれば、雪女同様ぐるぐると恐慌状態に陥っていてなんとも可愛らしい姿だった。もちろんその姿に、いただきますと呟いて昼の大腿に手を伸ばしたのは言うまでも無い。

(その後、昼にされた説教はまた別の話)