子夜と子昼で手袋を買いに

 狐の呪いというものを知っているか。そうやって始まるのは偶に寝物語のように聞かされた話の冒頭で、昔も昔、遠い昔におじいさまがおばあさまを悪い狐から助けたところから始まる話であった。昔々、その昔、この世には悪い狐が住んでいて、綺麗な女の人を片っぱしから食べていたそうな。
 そんなある日、悪い狐はそれはそれは綺麗で不思議な力を持つおばあさまを見つけたんだと。悪い狐はおばあさまを食べようと捕まえて、自分の屋敷に連れ去ってしまったのだけれど、もう駄目だという時におばあさまが大好きだったおじいさまが現れて、その悪い狐をやっつけてしまわれたそうな。
 おばあさまを奪われた上におじいさまにもやっつけられて、露となって消えてしまいそうになる寸前、大層怒った悪い狐はおじいさまとおばあさまに呪いの言葉を吐いたんだと。すなわち、おぬしらを絶対に赦さないと。おぬしらの血筋を未来永劫呪ってやると。おぬらしらの子は孫はこの狐の呪いによって縛られるだろうと。
 そんな呪いを身に受けながらも、おじいさまとおばあさまはめでたく夫婦の契りを結びなさって、子を育みしあわせな時を過ごしたのだと云う。ただ一つ変わっていたのは、二人の間に生まれた子ども――つまりお父さまであるその人が半分、狐であったことだ。半分と言うのもお父さま、一日に何度も人と狐の姿を行ったり来たり変化して、赤ん坊の姿と思えば子狐に、子狐かと思えば赤ん坊へところころ姿を変えてしまう大変なお子様だったのだと。実はおじいさまは生粋のぬらりひょんという大妖怪で、おばあさまは紛れもない人であったので半分妖怪で半分人間の子どもが生まれるのだと皆々思いはしていたが、これは本当に度肝を抜かれたそうな。
 あぁ、これが狐の呪いというものか、とおじいさまとおばあさまも皆と同じように初めの方こそは驚かれたが、ここは妖怪と人間という種族を超えて夫婦になった二人。すぐにそもそも子どもは半分妖怪ということもあり何があっても可笑しくないと、妖怪というのは姿形を変える者が多いからと、そのうち人と狐の姿を自分の意思で変えることが出来るだろうからと朗らかに笑ったんだと。実際、その言葉通りで案ずるより産むが易し。共に過ごせば情も湧き、気がつけば周囲も自然とお父さまを受け入れて、お父さま自身、歳を重ねるごとに変化の術をきちんと身に付け、ついでとばかりにきっちりおじいさまとおばあさまの力も受け継ぎ周りの者を驚かしたとか。
 そうやって永い永い時を生きたお父さまも、おじいさまとおばあさまと同じように人の子を妻に迎え、二人の子ども――すなわちボクたちを授かった。二人と言っても生まれたのは双子の子どもで、考えていた名前は『リクオ』の一つ。そこでもう一つ考えれば良いのに、おじいさまの血を四分の一受け継いでいるから、とか何とか変なところでこだわって二人同じ名前を付けたんだと。とは言うものの日常で使うには少しばかりややこしいので、昼のリクオ、夜のリクオ、または昼の若さま、夜の若さまと呼ぶことにしたと言うことだ。

 面白いことに、リクオと名付けられた二人の子どもは全く似ることはなく、一人は人間の血を多く残しているのか代々の母君にそっくりな面影を、方や妖怪の血を色濃く残したのか代々の父君にそっくりな顔立ちを現わしていたこともあり、前者を昼、後者を夜と呼んだのである。そんな、まさに全く正反対の姿をした二人の共通点と言えば、頭から覗く小さく尖った黄金色の獣耳に、ふさふさと柔らかな耳と同色の毛が生え揃った尾っぽ、そしてそれぞれ少々鋭い爪と牙が生えているといったところであるか。狐の呪い、と皆が瞬時に思ったのは、もう致し方がなかった。おじいさまとおばあさまの血が薄くなったおかげか、呪い自体が弱まって中途半端ではあるものの姿を現したのだろうとそう結論付けられた。
 しかし、そうは言っても一昔前では丸々狐のお子様が生まれたくらいであり、そう思えばなんとまぁ今度の姿は愛らしいことであるか、と驚き過ぎれば今度は我先にと、愛いのう愛いのうなどと言って二人の子どもを大変可愛がった。大抵の妖怪にしてみれば、子どもというのは己の孫にもひ孫にも等しくて、それはもう目に入れても痛くない、という言葉がぴったりなほど、大切に大切に慈しんで、守り、育てる内にあっという間に二人は五つの歳を迎えることとなった。その歳ほどになると子どもたちは元気に庭を走り回り、特に昼の若と言えば小物妖怪と悪だくみを考え、常時周りの者たちを巻き込んでは驚かせ、一方夜の若と言えば普段からふとした拍子に見失ってしまうほど物静かに過ごしてはいるものの、一度剣術指南を受ければそれはそれは楽しそうに目を輝かせて思う存分相手をしたりもする。

 一見、相反する二人であるが、その実とても仲が良くて、ふと静かになって眠ったのかと思えば二人して静かに戯れ遊んでいることもしばしばであった。それぞれがそれぞれ、悪戯好きでありつつも誰にも悟らせることのないぬらりひょんという妖怪の二面性を上手い具合に受け継いでいるだけで、元は一つとでも言うように綺麗に嵌るのがこの二人なのである。さて、五つの年を過ぎたある日、お父さまは言った。

「お前らも五つの歳を迎えたんだ。妖怪にしちゃあ遅い方だが、血は四分の一だし、ちょうど良いだろうよ。オレが言いてぇのはただ一つ、お前たちもそろそろ人間に化けられるだけの術を身に付けなくちゃあならねぇってことだ」

 ほら、こうやって、とお父さまはポンッと何かを爆ぜるような音をさせ、二人の子どもよりも小さい狐へと化けてしまわれた。ふさふさと艶光る揃った毛並みは子どもたちと同じ黄金色。そうしてお父さまは近くに座っていたお母さまのところへと、とことこ歩んで行き、その柔らかいであろう腿の上へと顎を乗せると、狐の姿なりににんまりと笑った顔を向けて、どうだ、これが変化というものだと、妖というものなのだと言ってみせた。ただし黄金色の毛並みをお母さまの手で優しく撫でられて、心地良さそうに目を細めながらであるので、威厳というものはほとんど皆無に等しかったのだけれど。己の意思に応じ自分の姿を変えることが出来るのが妖怪というものであり、何も自分のように全てを変えろと言うわけではない。ただその耳と尾っぽ、それから鋭い爪と牙を隠してみろ、とお父さまは言うのである。

「お前たちにはちゃあんと妖の血が流れてる。だから頑張ればすぐに出来るようになるさ」

 でも、そんなこと言ったって、現実味もやる気も起きないのは一目瞭然、いつか出来るものだと能天気に考えて練習しないでいるのは良くないこと。だから、とお父さまは一度言葉を切って言いなさった。今日から三日後に、一つお前たちに買い物を頼んでみようか、と。――そうしてお父さまはちらりとお母さまの方を見ると、お母さまはくすくすと笑いながらとある狐の話を語ってくれた。子狐が人の世界へと手袋を買いに行くそんな話を。

 

 

 夜のリクオが心配そうに見つめる隣で、昼のリクオはどうしよう、と泣きそうに呟いた。約束の三日という時は奇しくも早々と過ぎていき、とうとう約束の日とした当日、行ってきます! とみんなに見送られ元気に家を出た数分後の話だった。
家は遠く、いつも側にいるみんなも近くにいない。夜のリクオと二人っきり……だからこそ零された言葉はいつもの闊達さが嘘のようにしゅんと力無い弱音そのもので、今にも泣きそうな昼のリクオに夜のリクオは懸命にあやす手つきで片割れの頭を撫でている。なぁ、と夜のリクオが言った。もう一回やってみろよ、と。こくり、と一つ頷いて、昼のリクオはきゅうっと目を瞑り、ゆっくりと息を吐き出すと、人とは違うであろう耳の方へと意識を移した。
 一番難しいのは耳である。何と言っても人の形と似せた上に場所も変えなくてはならないのだから。……そして次に爪と牙で、耳と同じように母親の形を見て学んで、丸く小さな貝のように尖りを小さくしなくてはならない。意識すればするり、と柔らかな風が昼のリクオの変えたい部分を撫ぜていって、自分の姿形が変わっていくのを認識した。本人でしか分からないほどの微風、しかし自分をずっと見ている者にとっては次第に空気へと溶け込むように消えていく不思議な光景に映るだろう。
そっと舞い踊る風が収まって今度こそは、と昼のリクオはもう一度ゆるりと目を開けてみる。そうすれば、そこには実に複雑そうな顔をする夜のリクオの姿があって、やっぱり駄目か、と始め同様しょんぼりと肩を落とすのだった。

「……昼、今度は耳、ちゃんと出来てるから」

 嘘じゃない、とでも言うように変化したであろう人の形をした昼のリクオの耳朶へと夜のリクオは指を伸ばす。つられて触れた人間の耳という感触はふにふにとした柔らかいもので、毛の生え揃ったそれまでのものと大分触り心地の違うものだった。そしてそんなやわい耳に触れても傷一つ付かないのは、これまで尖っていた爪がきちんと丸みを帯びた人のそれに近い形をしているためであって残るは尾っぽ、とくるりと背中側を覗いてみれば、やはりふさふさと揺れ動く黄金色のものがそこにはあった。まさにそれは狐の尾っぽ。消すだけだと分かってはいるものの中々消えてくれない憎らしい存在である。

「……また…」

 きゅっ、と唇を噛み締める。そこがあまり傷つかないのは牙が綺麗に丸みを帯びたおかげだろう。つまるところ尾っぽだけが隠しきれなかったということだ。耳隠して尾っぽ隠さず。そうぽそりと洩らした言葉のなんと言い得て妙であるか。昼のリクオは力無く項垂れる。爪と牙は何故か上手く隠せた。でも問題は耳と尾っぽの二つ。たった二つのことだけだと分かっていても何度変化しようが同じだった。耳を隠せば尾っぽがそのままに、尾っぽを隠せば耳がそのままに。幾度となく人の姿に似せようとも、必ずどこかで狐の部分が残ってしまう。この三日間という短い期間が過ぎた後でもそれは変わずに……つまりどんなに練習しようとも、どんなに努力をしようとも昼のリクオは人の姿に変化する術を身に付けられなかったのである。

 逆に夜のリクオはと言うと、それはそれは見事なもので練習を始めたその日に、あっという間に自分の意思で人と狐の姿を行ったり来たりすることが出来た。妖怪の血が多かったことも理由の一つかもしれない。そんな夜のリクオは出来たからといって鼻高な天狗などにはならず、目の前で変化して見せてやったり、コツを教えてやったり、励ましたりと昼のリクオを手伝っていた。ゆっくりと学んでいくタイプだったらしい昼のリクオは、始めは空っきしでも練習のおかげで着実に自分を律していけるようになった。
 それでもやっぱり三日は短すぎて、完全なる人の姿にはどうしてもなりきれなかった。人の姿になれなければ商店街へ行けない。商店街へ行けなければ手袋が買えない。父が買っておいでと言った物は、昼のリクオ、夜のリクオ、それぞれの手にぴったりと合う手袋のことだった。手袋の売ってある店へと二人で行って、それぞれこの手に合う手袋をくださいって頼むんだよ、とそう言って預けられたお金は首へ吊るす形の財布へと入れられて、今はぷらぷらと胸の上で揺れている。

 初めての商店街。
 狐の姿じゃ商店街に行けなかったから、その手袋屋さんの店には行ったことも見たこともないのだけれど、屋敷の道からまっすぐのところにあって、外から飾られてる手袋が見えるから大丈夫だと教えてもらった。だからワクワクしていた。ドキドキしていた。家とはまた違う賑やかさで、夕方になるとキラキラ光って綺麗なのだと言っている者もいた。見てみたかった……でも、日が暮れてしまう前に帰っておいで、とも言われた。つまりそろそろ商店街へ向かわなければ、帰ってくる頃には真っ暗になってしまうほど、二人は長らく変化のやり取りを繰り返していたのだ。どれだけ遠いのかよく分からない。でもきっと子どもの足では遠いのだろう。昼のリクオはしょうがないとばかりに夜のリクオへと言った。

「……ね、夜。ボク、ここで待ってるから夜だけ手袋買っておいでよ。じゃないと、夜まで怒られちゃう」

 自分のせいでちゃんと変化の出来る夜が、このまま手袋を買いに行けなくて、もしくは日暮れまでに帰って来れなくて、怒られるのは嫌だった。せめて夜の分だけでも買って来ないと、と夜のリクオを追い立てるのに、そこは頑として縦に頷かないのが片割れであって、最終的には昼が行かないならオレも行かないと、あんなに楽しみにしてたじゃねぇかと困ったことを口にしだす始末だった。それが出来たらとっくの昔に二人で向かっていると言うのに、そんなわがまま言わないでよ……と自分の情けなさも手伝って昼のリクオもだんだんと涙目へ変わっていく。

「……って、その……な、泣くなよ、昼……オレが悪かったって……昼に泣かれたら、オレどうして良いか分かんねぇだろ……?」
「うぅ……だって……っ…よるが……っ」
「悪かったって、もう言わねぇから……な? 昼、オレ考えたんだ。二人で手ぇ繋いでったら誰にも気付かれねぇだろ? だから店には二人で行こうぜ」

 たまに悪戯でやっただろ? と夜のリクオは昼のリクオの手をそっと握る。そうすれば不思議なことにすぐ横を通り過ぎても誰にも気付かれなくて、時々二人で手を繋いでは家の至るところに悪戯を仕掛けて回ったのだ。ほらな、こうすれば誰にも姿を見られないだろ? と、狐の尾っぽを残していてもバレやしないさ、と夜のリクオは握った手を強く引く。行こう、行こうと手を引く片割れに、昼のリクオは不安そうな顔をした。人の振りをした自分たち(一部、昼のリクオは変化しきれていないけど)が手を繋いでも果たして同じように見えなくなるのだろうか。それに、父は言ったのだ――お前たちの行く手袋屋さんの店主は、実は妖怪の一人でお前たちのこともちゃんと伝えてある。だからズルをしたってダメだぞ、と。ズル出来ないように頼んでおいたぞ、と。そう考えれば行ったって手袋を買えない可能性が高いのに、そんな危険を冒してまで行くべきであろうか。うーん、うーんと悩む昼のリクオに夜のリクオはにっ、と笑った。

「行ってみなきゃ分かんねぇだろ? それに商店街ってとこ、見てみたくねぇのか? ダメだったら、入口で引き返せば良いだろ?」

 だから行こうと小さな手を引いて、夜のリクオは言う。商店街……見たことの無い世界、もちろん昼のリクオも気になりはする。行きたいと思う。でも……、とそれでも渋る昼のリクオに大丈夫だ、と夜のリクオは続けた。

「それに案外、店に着いただけで合格かもしれねぇぜ?」

 もしかしたら上手く変化出来てないのも見逃してくれるかもしれない。運良く手袋を買えるかもしれない。そういう可能性、それを提示されてしまえば、昼のリクオの心はそれはもうぐらりぐらりと揺らぐのだった。入口だけなら……、昼のリクオの好奇心はくすぐられる。入口ならば、もしちょっと覗いてダメでもすぐに引き返せば良いし、大丈夫そうだったらそのまま二人で店まで行けば良いし……それくらいならこの姿で行っても大丈夫なのかもしれない、と。ほらほら、と手を引く夜のリクオにつられて昼のリクオもまた、恐る恐る足を踏み出した。ちょっとだけ、ちょっとだけ。ほんの少しの罪悪感と膨らむ期待を胸に抱きながら、変化が解けないよう気を付けて、二人はぱたぱたと商店街へ向かうのだった。

 

 

 誰も気付かなかった。商店街の入り口をこっそりと覗いても、目の前に立とうとも誰も気付かないし、こちらには目も向けない。そのことが分かると夜のリクオと昼のリクオはにこりと笑って堂々と商店街を歩んでいった。
 初めて見た、人がたくさんいる世界というものを二人はキラキラと目を輝かせながら進んでいく。新しい発色の良い建物もあれば、我が家のように木で建てられたものもあり、それでも違和感なく絶妙に景色へと溶け込んでいるのが不思議で、あれは何の店だ、あ、お花がたくさんあるよ、などとあちらこちら、ふわりふわりと寄り道をした。そうしてようやく目的の店に辿りついた頃にはすっかり日も傾く頃合いとなってしまっていて。
 その店を見つけたのは大きく填められたガラス窓から、色とりどりの手袋を見つけたからだった。ふわふわの白色にしっとりとした茶色、明るい空色に可愛い桃色。様々な編み方、形、素材とあって手袋ってこんなにあるんだね、ときゃっきゃとはしゃぎながら、どちらともなく中へ入ろう、と声掛ける。
 ガラス窓のすぐ横にはつやつやと綺麗に磨かれた古い大きな扉があって、少し背の高い夜のリクオが開けるとからんころんと大きな鈴が扉の上で鳴った。手を繋いだまま二人は滑り込むように店内へ入ると、奥で座っていた店主らしき男はかたりと椅子を立ち上がって、しかし客の姿が見えないのかきょろきょろと入口付近を見回す。そんな店主に、二人は小さく笑ってとことこと近くまで寄ると、せーの、と声を合わせて、ぱっと手を離し、老店主を見上げるのだった。

「――おやおや……これは、たまげた。ようこそ、小さなお客さん」

 奴良組の坊やたちだね、とそう言って真っ白いひげをふさふさとたくわえ、曲がった背筋を伸ばすその老店主は丸い眼鏡の向こうで穏やかに笑った。その見た目はとても優しそうなお爺さんで、これなら見逃してくれるかな、なんてずるいことを考えながら、さてさて今日はどのような御用事かな? と首を傾げる老店主に夜のリクオは、ほら、と昼のリクオに目をやって、一緒に老店主の目の前でぱっと手のひらを掲げて見せた。

「この手にぴったり合う手袋くださいっ」
「…………………………………くださいっ」
「おやおやおや」

 老店主は下がったメガネをちょいと上げて、二人の手のひらを見比べた。体もそうだが、昼のリクオは夜のリクオよりも少しだけ小さい。じーっと見つめて、そうだねぇ、と顎ひげを撫で擦ると、老店主はくるりと後ろを向いて立て付けが悪いのか何度かガタガタと音を立てて引き出しを開けると、どれどれ、と棚の中をごそごそ探し始めた。やったな、と声には出さずに夜のリクオが昼のリクオへと目配せする。ふさりと昼のリクオの尾っぽが喜びを表すように右へ左へと揺れ動いた。思った以上にあっさりしてるんだな、と二人は不思議な気持ちでそわそわとしながら手袋を待っていると、あぁ、これが良いな、と呟いて老店主は手袋を取り出し、また引き出しを仕舞って二人へと向き合った。

「じゃあ、お代はこっちの坊やだけ貰おうか」

 そう言って、ミトン型の手袋をひとつ取り出し、老店主は夜のリクオへと言った。あったかそうな真っ白の手袋、手首のところにはふわふわとした飾りがあり、おそらく夜のリクオの手にも雰囲気にもぴったりであろう小さなそれ。けれども老店主の手にはそれひとつのみで、他の手袋は用意されていなかった。え、と昼のリクオ、そして夜のリクオは目を丸くさせる。

「悪いね、坊や。こっちの坊やはちゃんと変化が出来ていないようだからねぇ。お父さんと約束しただろう? 人の姿になって手袋を買いにおいで、って」

 ほぅら、と老店主に指差されたのは隠しきれなかった狐の尾っぽで……うぅ、と小さく唸って昼のリクオはしずしずと小さな手を引っ込めた。間違いなく約束は約束だと、お爺さんの言う通りだと、ふにゃりと尾っぽも垂れ下がる。反対に唇を尖らせたのは夜のリクオの方だった。ふくれっ面な顔をして、なぁ、爺さん、こいつはこの通り変化しきれなかったけど、全く出来なかったってわけじゃねぇ、ちゃんと頑張ってるとこはオレも見てたし、ここまで来たんだ、お金もある、そんな意地悪しないで手袋をくれよ、と諦めることなく言い募る。昼のリクオは慌てて、夜、わがまま言っちゃダメだよ、と袖を引くも、夜のリクオはだって、と尚も食い下がった。

「昼はオレより妖怪の血が薄いんだってみんな言ってた。だからちょっとくらい出来ないのもしょうがないって。でも頑張ってる。まだ追いつかないけど、その頑張ってるのを見ない振りしたら昼がかわいそうだ」

 ほうほう、と老店主は笑った。つまり坊やたちは一緒が良いってことなんだね、とそう言って。こくりと夜のリクオは頷いた、自分たちは生まれた時も一緒、遊ぶ時も一緒、ずぅっと一緒。だからどちらか片方だけが贔屓されるのは良くない、と言う。そうかい、そうかいと老店主は笑顔のまま、二人の前でよっこらせ、と腰を曲げると同じ目線へと合わせた。

「だが、そうだなぁ、夜の坊や。坊やの方が少ぅしだけ昼の坊やより出来てしまうようだ。そんな坊やをちゃんと誉めないのも良くないことではないのかな?」
「オレは別に良い。昼もちゃんと出来た時に一緒に誉めてくれればそれでいい」
「じゃあ、夜の坊やは昼の坊やが出来るまでずぅっと待ってあげると言うことだね」
「あぁ。爺さんが今日、昼に手袋くれないって言うんなら、オレのもいらない。昼が父さんに怒られるって言うんならオレも一緒に怒られる」
「ほっほっほ。なんとも勇敢な坊やだ。……だがなぁ、坊や。本当にそれで良いのかな? 昼の坊やはなんだか今にも泣いてしまいそうな顔をしているよ?」

 そう老店主に言われ、夜のリクオが驚いて隣を見れば、今にも溢れだしそうな涙を必死に目じりで溜めている昼のリクオがいた。なんで昼が泣くんだよ、とおろおろする夜のリクオに老店主は苦笑いを浮かべ、昼の坊や、坊やはどうしてそんな哀しそうな顔をするんだい、と優しく問い掛けると、だってだってと昼のリクオは涙声で答えるのだった。

「……だって…よるが、ボクと一緒におこられるって……」

 自分のせいで夜のリクオが怒られるのは、自分のせいで夜のリクオが何も出来なくなるのは、それはずっと一緒にいた片割れとして、いやずっと一緒にいた片割れだからこそ一番いやなことであった。一緒には居たいけど足を引っ張りたくはない――それは当たり前なのに矛盾する思いで。出来ない自分を置いて、出来る夜だけが先へ先へと前にひとり進んで行ってしまうのは哀しいのに、わざわざ歩みを止めて、自分が追いつくまで待っていると言う夜も嬉しいのに哀しいと思うのだ。
 一番わがままを言っているのは自分の方なのだとそう思うと、昼のリクオはぐすりと鼻を鳴らした。おぉ、よしよし、と老店主は昼のリクオ、それから夜のリクオの頭を撫でて、諭すように語りかけた。

「良いかい、坊やたち。我らは憐れみなど要らぬのだよ。欲しいのは絆だ。付いて来い、と引っ張ってくれる背中なのだ」

 この意味が分かるかい? と問い掛ける老店主に二人はきょとんとした顔で瞬きをして、それからふるふると首を振った。だろうなぁ、と老店主は朗らかに笑い声を上げる。だが、良いかい、と老店主は言う。弱き者、少しばかり力の足りぬ者にとって、力強き者というのは――本当に喜ばしきことというのは、我らと同じ弱い立場のところへ佇み、慰めの言葉を掛けてくれる者のことではないのだよ、と。ただ力強きことを誇らしげに魅せ付ける者のことでもないのだよ、とそう言って。

「手を引いてくれる者、お前たちの方が上がって来いと、そう言ってくれることが最も嬉しきことなのだよ」

 自らが堕ちるのではなく、ただひたすら先を行くのではなく、弱き者であるならば、力足りぬ者ならば、足りない分は手を引いてやるから付いて来いと。自らの足で進んで来いと。そう言われるのが一番嬉しいことなのだと。それは、手を引く者が確かに付いて来れると信じているから、だから強き者は足を止めない。強き者が足を止めない限り、弱き者もまた、一歩、一歩と前へと進める。信じるということの絆、それは坊やたちにもあるだろう、とそれぞれ隣り合う小さな右手と左手を取り上げた。

「今日だって、夜の坊やが昼の坊やの手を引いてここまで連れて来たんだろう? それで良い。足りなければ力を持っている方が貸してやれば良い。力のある方が引っ張ってやれば良い」

 それは昼の坊やにも言えることだよ、と老店主は笑う。まだまだ昼の坊やには出来ないことがいっぱいあるだろうけど、もう少しすればきっと坊やには出来て、でも夜の坊やには出来ないこともいっぱい出てくるだろう。
 血が薄いのなら尚更だ。坊やたちは一緒だけど一緒じゃない、出来ることも出来ないこともこれからどんどん違ってくるだろう。だが、それで良いのだ。それでお互いがお互いを引っ張って、色んなことを出来るようになれば良いのだ、と。

「だからなぁ、坊や。得られる力を粗末にするものではないよ。この手袋だって同じだ。これも立派な力の一つになろうぞ」

 またこれで力を貸しておやり。引っ張っておやり。それに、誰も昼の坊やを叱ったりはしないさ。また頑張ってうちへおいでと笑うだけさ。
 そう口にして老店主はずい、と夜のリクオの目の前へと手袋を差し出す。それをじぃっと見つめて、それから老店主の顔も見つめて、そこでようやく夜のリクオはゆっくりと首に掛かった財布を手に取って、がま口を開けるのだった。

 

 

 

――そうして、夜のリクオの右手には白い手袋を、昼のリクオの左手にも同じものを、残った手と手はぎゅっと繋いで。日が傾き始めて寒くなる商店街の道中を、キラキラ光る景色をこっそり一緒に眺めながら、二人仲良く帰って行ったとか。