子夜と子昼の誕生日

 一年に一度訪れる日。昼はこの日が大好きだった。なんてったって、普段なかなか会えない遠くに住む者たちが家にやって来るし、そんなみんなは自分たちに一段と優しいし、宴会まで開いて楽しそうだし、なにより大きなケーキが食べられる。毎年決まったふわふわのスポンジに真っ白なクリーム、スポンジの間にも上にもたくさんのイチゴが乗ったとっても美味しいケーキは、いつも食べてるお団子や大福とはまた違った甘さと触感があって、本当に特別な日にしか口に出来ないからとても楽しみにしていた。それに、今日この日はお母さんにありがとうを言う日だと保育園の先生が言っていた。だから、それを口実にぎゅっとお母さんに抱きついたって多めに見てもらえる。
本当に良い日だなぁ、と昼はいつも以上ににこにこしていた。けれどそれとは反対にむぅっと頬を膨らまして……とまではいかないが、苦い顔というか、うんざりした顔というか、とにかくあまり機嫌が良さそうでもない顔をしているのが双子の片割れ、夜であった。
 どうも目の前の大きなケーキが気に入らないらしい。大きなケーキを前にして喜ばない子どもなんて昼にしてみれば信じられないものだが、なんせ片割れ、日頃から甘いものが好きじゃないと言っては残すか、昼に与えてしまうか、な相手である。
つまり見慣れてると言えば見慣れてる。この歳で甘いものが嫌いな者なんてきっと夜ぐらいだろう、なんて思っててもだ。それでもやっぱりこういう素敵な日には片割れに笑顔になってもらいたい、というのが子ども心でもあったりする。

「ね、よる、ちょっとくらいケーキたべない?」

 ほら、と切り分けたケーキをフォークに刺してずいっ、と差し出す。クリームの付いたスポンジからイチゴが覗いた一口サイズのそれはちょっと崩れてはいるが、美味しいものには変わりない。とは言うものの、やはり頑なに口を閉ざしたままの夜なので、あーんして? と昼は小首を傾げてみせる。そこでようやく、しょうがないと言ったようにそろりと口を開けるので、ふわふわの感触をそっとおすそ分けし、夜も諦めてぱくりと一口噛み締めるのだが。もぐもぐと咀嚼する度に明らかに渋っていく顔。ごくんと呑み込んだ後には、オレはもういいから、とげんなりした声で言い渡される。その様子についついしょんぼり肩を落とせば、慌ててぽんぽんと頭を撫でられ、言い方きつかったか? と焦る声がする。それにううん、と頭を振って、ねぇ、よる、と口を開く。

「……もしかして、ケーキおいしくなかった?」
「いや……昼が食べさせてくれんだ。不味いわけねぇだろ?……でもやっぱ、甘ぇもんは苦手だ」
「きらい?」
「嫌いとまではいかねぇが……こういうのは、より好きなやつに食べてもらった方がケーキも冥利に尽きるってもんだろう?」

 特に、お前みたいなやつが、と付け足して、使っていなかったフォークを手に取ると、自分の分と取り分けられたまま手を付けていなかったケーキを切り分ける。そして、人の事なんざ考えて、肝心のお前はまだ半分も食べてないじゃないか、と苦笑しながら先程昼がしたように、ほら、あーん、と言ってフォークに刺さったケーキを差し出した。素直にぱくりと口に含めば夜はにっと笑う。それからもう一口。甘いクリームとふわふわのスポンジが口の中で溶けあって、時々見つかるイチゴの甘酸っぱさに昼もまたにこりと笑みを浮かべる。それを見て、オレはこっちの方が性に合ってると夜は昼に食べさせることに専念し始めた。チョコレートのプレートはいらねぇか、とか、こっちの飴細工はどうだ、とか。
 たべる! と目をキラキラさせて応えればそれはそのまま唇へと運ばれ、昼が美味しそうに口にすれば夜も柔らかく目元が緩ませた。
 まるで雛鳥に餌を与える親鳥のよう。そうやって夜に食べさせてもらい、幾分かお腹も満たされ、考える余裕も出てきたところでふと今度は、もしかしてこれってずるいのかな、なんて思いが沸いてくる。だって今日は〝おいわい〟の日で〝トクベツ〟な日だけど、それは自分だけじゃなくて〝ぼくとよるのふたりで〟とお母さんは言ってた。夜の楽しそうな顔も手伝ってもう一度、やっぱり、よるもケーキたべない? と誘ってみれば、口端の上がっていた唇はたちまち拗ねるように突き出されてしまった。あれ、おこっちゃったかな、と不安になるも夜はなんていうかなぁ……、と言葉を濁す。

「――おんなじ甘いもんなら、ケーキより甘酒の方がまだ良いっていうか」
「うーん、でも甘酒はこんどでものめるし、ね? ……じゃあそうだ、よる、イチゴ好きだったよね! ぼくのイチゴもあげるから、おこらないで、よる?」
「…別に怒ってないが…イチゴは昼も好きだろ?」
「うー、そうだけど……じゃあ、はんぶんこしよ! それならいいでしょ?」

 とりあえず、ケーキの一部なら良しとして、は? と首を傾げる夜に一口だけだよ、と悪戯っぽく言いながら昼は小さな手でクリームの上に乗っていたイチゴを摘まみ、クリームの付いてない尖った方を夜の唇に当てた。もちろん、はい、あーん!という言葉と満面の笑みを忘れずに。その仕草があまりにも自然で可愛らしくついうっかり言葉につられて夜が口を開ければ、摘まんだ赤いイチゴを口の中に入れられ、そこまでされては食べない訳にもいかず一口齧れば甘くてすっぱい果汁が口の中に広がった。そうして残ったもう半分のイチゴは何の躊躇いもなく昼の口の中へぱくり、もぐもぐ。ついでにクリームでべとべとになった手をぺろりと舐めながら、おいしかった? なんて聞けば、拗ねた顔もどこへやら、きょとんとした顔の夜が出来上がり、それだけでなんだか昼は達成感を感じた。

 どうやらイチゴは大丈夫だったらしい――そう確信を持てるのは、こんな顔をした後の夜は必ず楽しそうに笑うからだ。案の定、しばらくの間ぱちぱちと瞬きをしていただけの夜は、ゆるりと顔を綻ばせて、実に可笑しそうにくすくすと笑みを洩らし昼に抱きついた。

「昼、お前、本当かわいいなっ!」
「えっ、かわいいって、ぼく、おとこのこなんだけど……って、よるーっ! くるしいっ、ぎゅーってしたら、くるし……って、う、わあっ!!」

 双子なのになぜかそれなりに体格差のある二人なので、体の大きい夜が小さな昼を抱きしめるとそれなりに大変な状況になったりする――と言うか、押し倒された形となる。どいてよーっ! と抗議の声を上げるのだが、聞いていないのか聞こえてないのか夜の体は離れない。それどころか、夜はのしかかったまま顔を近付けて何かと思えば昼の頬っぺたにぺろりと舌を伸ばしてくる始末だ。随分と機嫌が浮上したらしく、舐め取ったものが甘ったるいクリームでも嫌な顔一つしない……いやむしろ、にこりと笑っては次々と昼の顔中にくっつけたクリームを舐め取っていった。そりゃあ、さっきから大きなケーキに夢中で自分の顔なんか気にしてなかったけど、そんなにクリームだらけにしてたんだろうか、と思うくらい夜はぺろぺろと舐めてくる。
 頬っぺたに、唇の端っこ、それから鼻の頭まで。むずむずとする感触に夜の機嫌を壊したくなくて昼も最初の方は我慢していたのだが、やっぱり無理! と笑いながら身を捩った。

「ふふっ…あははっ! くすぐったいよ、よる! ねこちゃんみたいっ!」
「だって昼、いっぱいクリーム付けてる」
「でも、くすぐったいよーっ!」

 逃げようとする昼の小さな顔をこれまた夜の小さな手が掬い、ぺろりと舐める。その目はきゅっと楽しそうに細められていて、けれどもその目に油断しているとあむ、と痛くない程度に噛まれたりもするものだから、本当に猫を相手にしてるようでより一層こそばゆくて仕方がなかった。それにいい加減、舐めるものも無くなってるはずなのに、全く止める気配を見せないし。困ったものはもう一つ、そんな二人の騒ぎを聞き付けてか、小物妖怪たちが一人また一人と覗いては集まり出してきたことだ。それも、二人の戯れを止めるどころか、夜若さまやるぅ! だの、見せつけてくれるねぇ! だのまるで見物のように騒ぎ立て、煽り立て。しかも皆かなり酒臭いときた。
 まぁ、見た目が小さいからと言ってもれっきとした(下手すれば祖父の時からいる)妖怪なのだ。酒だって呑むだろうし、始まってから随分と時間が経つから酔いもするだろう。でもだからといって、片割れを止めてくれないのはやっぱり困る。
体力の差から少々疲れを見せて動きを鈍らせていると、夜はそれまで頬や鼻先にくっつけていた唇を離し、ぺろりと舌で昼の下唇をなぞった。もちろん端とかじゃなく、真ん中、唇の上を。

 それに、え、と驚き目を瞬かせている間に、夜の顔がそっと近付いてきて柔らかな感触が唇に触れ。一瞬息が止まって、目の前には夜の白い瞼に長い睫毛、そして自分の口と夜の口がふんわりとくっついていて――……あれ、もしかしてこれってこの前カナちゃんが言ってた『ちゅう』ってやつかな、と思い至ったところで急にその唇、もとい夜の体が離れ暗い影に覆われる。
 もう一度、え、と目を白黒させつつ伸びる影を辿り目線を上げると、そこには後ろから抱き上げられじたばたと暴れる夜の姿と、いつの間にやら立ち上がって傍に来ていたのか、夜の体を軽々と抱き上げて、ひくりと頬を引き攣らせる父親の姿があった。茫然としつつ、一応起き上がってはみるものの二人は何やら言い争いをしているようで、相変わらず状況が分からないまま昼は首を傾げる。

「だから、手ぇ出すのはまだ早いっつっただろ、夜!」
「うっせぇな、親父の話なんか知るか! やりたい時にやりたい奴とやりたい事やって何が悪い!」
「歳考えろよお前ら……大体、ガキがませた真似なんかしてんじゃねぇっつってんの!」

 せめて十三になるまで我慢出来ねぇもんなのかねぇ、と呆れたように溜息を吐く父親に、妖怪共は鎮まるどころかむしろ盛り上がって、二代目つっこむところはそこじゃないですぜ! とか、若もなかなかのご成長ぶりだ! とか笑いに笑って言い合うので余計訳が分からなくなる。なぁに、何でみんなそんなに楽しそうなの? 尋ねようにもその中心にいる二人と言えば目の前でそんな焚きつける言葉も耳にしてないようだし、未だ枯れてるだの、枯れてないだの、待てだの、待てないだの何のかんのと言い合っているし。
 そして最終的には父親がぐりぐりと夜の頭に拳骨を入れ始めるまでに至って、痛い痛いと騒ぐ夜の声にようやく昼も膨れ面よろしく、すくりと立ち上がると父親の足元に歩み寄り、ぴょこぴょこと飛び跳ね猛然と抗議した。

「だめっ、おとうさんっ! よる、いじめるんなら、おとうさんきらいになるよ!」
「は?」
「くくっ、だってよ――さっすが、オレの昼!」

 くつり、と笑う夜に反して、父親としてみれば予想外の相手と言葉。言わずもがな目が点になってしまう。その隙を逃すことなく夜は覚えたてのぬらりと消え去る幻となって、見事父親の手を擦り抜け畳の上へと下りれば、ぎゅっと昼の小さな体を抱き締めた。今度は力加減を覚えたようで間違っても押し倒されることはなく、むしろそのぬくもりは心地良い。故に何が何やらさっぱり分からずとも勢いに乗じてぎゅっと抱きしめ返していた昼が、したり顔でちらりと父親の方を振り返って舌を出したことなど無論、知るはずもなくて。抱きしめられ自分の見えないところで父親がわなわなと震えてるなんて思いもしないことだろう。まぁ、そんな父親の様も当然と言えば当然なのだが――目に入れても痛くないどころか、出来ることなら目に入れてしまいたいほど溺愛している息子二人に片方では反抗され、もう片方には嫌いになるなどと言われてるくらいであるし。
 その上、そんなことであれば通常同情の的も良いところなのに、ここに集ったのは酔いに酔った者たちばかり……哀しいかな、これもまた一興と笑う者こそ居れ、慰め役など存在せぬ現状もおそらく一役買っているのだろう。哀れ、我が父。
されどなんせこの世の中、ひとの恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやらというもの、夜に容赦の欠片など無い。ふふん、とこのまま鼻歌でも歌ってしまいそうな程の上機嫌さで、夜はあくまで声だけは無邪気に昼へと言った。

「なぁ、昼。親父なんか放っといて一緒に風呂入んねぇか?」
 もう大体食べ終わったし、クリームでべたべたするだろ? それにほら、あれしようぜ、洗いっこ! 久しぶりだろ?  とにこりと笑い掛ける夜に、昼は一も二もなく目をキラキラと光らせた。最近になって少し大きくなったから、という理由で部屋を別たれ、一緒に風呂へ入ることですら久方ぶりの環境に昼は寂しさを覚えていたところだ。そこにそんな夜の誘いが来ようものならば昼に断る理由も躊躇う理由も無い。
「本当? やるやるー! 早く入ろうよ、よるっ!」

 途端、そんな二人の背後で雪女に氷漬けにされたかの如くピシッと固まってしまう父親とそんな二人に、もはやつっこむことさえ止めて笑い出す者、煽り立てる者、加えて部屋の片隅で投扇興に興じていた小さき妖たちまでもが調子に乗って、じゃあじゃあ若さま、オレたちも一緒に入りたい!  とわらわら昼の足元に群がり出す有様。最後の方だけは、夜も胸中でチッと舌打ちしたのだが、それは永遠の秘密のままだ。一方、昼と言えば、母親譲りの大らかさと目先に囚われた子どものままに、じゃあみんなで一緒にお風呂入ろうか、と朗らかに笑い、皆を引き連れ浴場へ向かおうとして。しかし、数歩進んだところで、あ、と何かを思い出したように足を止めると、さてどうやってこいつらを追い払おうかと考えに立ち止まっていた夜にくるりと向かい直った。
 あれー、どうしたんです、昼若さまー? 同じように足を止めた妖たちがきょとんとした顔で小さき主を見ていると、その主、昼は夜の元まで戻り、うーんとちょっとだけ首を傾げてみせる。そんな昼に夜もつられて首を傾げた。届くかな? うーん、まぁ、背伸びしたら大丈夫だよね? ……そう心の中で結論付けて昼は、何だ何だ、と続きを待つ妖怪たちと共に何事かとぱちぱちと瞬きをする夜へとにっこりと笑いかけた。

「――あんまりうごかないでね、よる?」

 きゅっと足爪先に力を込め、ぐらつかないように夜の肩を借りて手を置き、茫然としている夜の唇に。そっと己の顔を近付けば、拙くも自分のそれをゆっくりと重ねて。重ねると言っても本当に一瞬の触れ合いで……ほんのちょっと掠めただけ、いや、もしかしたら掠ったのは唇でなく吐息だったのかもしれない。そのくらい刹那の触れ合いだ。でも、とすぐに離れる昼の唇は笑みを象っていた。大切なのは唇同士をくっつけることだとカナちゃんは言ってたし、いいよね、と。
 口同士の〝ちゅう〟は『いちばん大好き』を表すためのものだと聞いた。さっき夜は昼に『いちばん大好き』と示してくれたし、昼だって夜が『いちばん大好き』なのだ。ならばそれはちゃんと伝えなければいけない。つま先立ちを止めて、ちゃんと踵を地に付ければ見えるのは、何が起こったのか分からないと言ったように、茫然とする夜で。それは思ってもみない顔で思わずころころと笑ってしまうも、昼は躊躇いもなく口を開いた。

「よる。ぼくもね、よるのことだいすきだよ!」

 その後、覚えてるのは、一気に頬を赤く染め上げた夜の顔と、強く引かれた手に感じた高い熱。それに、ほら、さっさと風呂行くんだろ…っ! と珍しくも荒々しい照れ隠しのような夜の声と、それからひゅうひゅうと声を上げたり手を叩いたりする喧しさ。そうそう、座敷を出る直前には、オレの昼が夜に喰われるううう!! という父親の悲痛な声も聞こえた気がする。残念ながらその言葉には返せる状況じゃ無かったので終ぞ昼の心の内にしまわれたのだけど、幼心ではついつい思ってしまうのだった――おとうさん、ぼく、ご飯じゃないから食べられないよ、と。

(その意味を理解するまで、あと数年)